俳優として『傷だらけの天使』(日本テレビ系)や『熱中時代』シリーズ(同)、『相棒』シリーズ(テレビ朝日系)など数々の名作を持つ水谷豊(64)が、初めて監督を務めた映画『TAP -THE LAST SHOW-』(17日公開)。自身が20代から映画化を熱望していた企画が、40年の歳月を経て実現――。その道のりを振り返ってもらうさなかに、水谷の意外な思いに遭遇した。
■経験が生んだ作品のテーマ「夢を見続けることの大切さ」
20代の頃、タップダンスをテーマにした映画を作りたいと思っていた水谷。その後、ブロードウェイで観たショウで感動の別世界に連れていかれた経験をする。その感動を映画に取り入れたいという思いが強くなっていった。
しかし「20代でトライしたけれど相手にされず、30代でももう一度トライしたんだけれど、そこでもダメだった。3度目の正直という思いで40代でも挑戦したけれど、いろいろなタイミングが合わずに実現しなかった」と3度のチャレンジを振り返る。
“3度目の正直”にはならなかった企画。50代ではトライすることを諦めた。「この企画、最初は自分がタップダンサーとして出演するつもりだったんです。だから40代まではなんとかいけると思っていたのですが、さすがに50代ではそんなエネルギーはないだろうなと思ってチャレンジすらしなかったんです」。
夢が夢として終わろうとしていたある日、プロデューサーと茶飲み話をしていたときに光が差し込んでくる。「なんの気なしに企画の話をしていたら、のって来たんです。以前は自分がタップダンサーを演じて踊るつもりだったのですが、もうこの年齢だし視点を変えていろいろ話をしていたら、おもしろいってことになったんです」。
水谷は、ある事故によって一線を退いた伝説のタップダンサーという立ち位置で、物語に登場することになる。さらに、企画構想として話を進めていた水谷には、監督のオファーも舞い込んできた。そんな提案に水谷は最初、首を縦に振らなかった。
「以前も何度か監督のお話はいただいたことがあるのですが“水谷豊”という俳優の名前があるから監督をやれたという事になるのが嫌だったし、他の監督たちに失礼だという思いがありました。。なので、もしやるならば全責任を持って、一度きりではなく、今後も監督業を続けていく覚悟を決めなくてはならない」。
それでも、自身が持ち込んだ企画。「最も作品の良さを具現化できるのは水谷豊しかいない」というプロデューサーの言葉に覚悟は決まった。そして水谷は「やりたいことを続けていくためには、つらいことや大変なことはたくさんある。そうしたことを抱えながらも夢を見続けることの大切さ」というテーマを作品に色濃くにじませていく。
■30代で抱いていた“違和感”「役者の世界は僕の住む場所じゃない」
そんな若者の夢と現実への苦悩がテーマの本作。水谷自身にも似たような経験があったという。「役者の世界は僕の住む場所じゃないってずっと思っていましたね。30代でもそういう思いは強かったです」。
30代といえば、すでに『熱中時代』などのヒットもあり、俳優としての地位を確立していたように思われるが、「僕らの仕事って感性を持ち寄って作り上げていくわけですが、感性なんてみんな違うわけですよ。若いときは先輩も多く、思いを遂げるためには、ぶつかることもたくさんあります。そうするとエネルギーをすごく消耗しちゃうんですね。作品がヒットしても、常に自分の居場所ってここじゃないんだろうなって思っていました」と打ち明ける。
そんな思いはずっと続いていたが、「『相棒』を始めたのが47歳のときです。そのあたりから、あまりぶつかることはなくなってきましたね」と変化が生じてきた。自身が苦労してきたからこそ「若いときだから許される、滑ったり転んだりをぶつけてきてくれるのはうれしいもんです」と目を細める。
若い力が躍動する『TAP -THE LAST SHOW-』。出演するメインキャストたちは過酷なオーディションによって選ばれた一流のダンサーたちだが、演技の経験は皆無に等しい。それでも「僕は芝居が上手い下手というのはあまり関係ないと思っているんです。上手くても下手でもいいから、思い描く世界にしっかり来られることが大切」と彼らに太鼓判を押す。
たどり着きたいところがある――。水谷が常に大切にしていることだ。そこにたどり着くかどうか、それが俳優としても監督としてもモチベーションにつながっている。この作品がたどり着いた場所は果たしてどこなのか。その目で確認してほしい。(取材・文・写真:磯部正和)
■経験が生んだ作品のテーマ「夢を見続けることの大切さ」
20代の頃、タップダンスをテーマにした映画を作りたいと思っていた水谷。その後、ブロードウェイで観たショウで感動の別世界に連れていかれた経験をする。その感動を映画に取り入れたいという思いが強くなっていった。
しかし「20代でトライしたけれど相手にされず、30代でももう一度トライしたんだけれど、そこでもダメだった。3度目の正直という思いで40代でも挑戦したけれど、いろいろなタイミングが合わずに実現しなかった」と3度のチャレンジを振り返る。
“3度目の正直”にはならなかった企画。50代ではトライすることを諦めた。「この企画、最初は自分がタップダンサーとして出演するつもりだったんです。だから40代まではなんとかいけると思っていたのですが、さすがに50代ではそんなエネルギーはないだろうなと思ってチャレンジすらしなかったんです」。
夢が夢として終わろうとしていたある日、プロデューサーと茶飲み話をしていたときに光が差し込んでくる。「なんの気なしに企画の話をしていたら、のって来たんです。以前は自分がタップダンサーを演じて踊るつもりだったのですが、もうこの年齢だし視点を変えていろいろ話をしていたら、おもしろいってことになったんです」。
水谷は、ある事故によって一線を退いた伝説のタップダンサーという立ち位置で、物語に登場することになる。さらに、企画構想として話を進めていた水谷には、監督のオファーも舞い込んできた。そんな提案に水谷は最初、首を縦に振らなかった。
「以前も何度か監督のお話はいただいたことがあるのですが“水谷豊”という俳優の名前があるから監督をやれたという事になるのが嫌だったし、他の監督たちに失礼だという思いがありました。。なので、もしやるならば全責任を持って、一度きりではなく、今後も監督業を続けていく覚悟を決めなくてはならない」。
それでも、自身が持ち込んだ企画。「最も作品の良さを具現化できるのは水谷豊しかいない」というプロデューサーの言葉に覚悟は決まった。そして水谷は「やりたいことを続けていくためには、つらいことや大変なことはたくさんある。そうしたことを抱えながらも夢を見続けることの大切さ」というテーマを作品に色濃くにじませていく。
■30代で抱いていた“違和感”「役者の世界は僕の住む場所じゃない」
そんな若者の夢と現実への苦悩がテーマの本作。水谷自身にも似たような経験があったという。「役者の世界は僕の住む場所じゃないってずっと思っていましたね。30代でもそういう思いは強かったです」。
30代といえば、すでに『熱中時代』などのヒットもあり、俳優としての地位を確立していたように思われるが、「僕らの仕事って感性を持ち寄って作り上げていくわけですが、感性なんてみんな違うわけですよ。若いときは先輩も多く、思いを遂げるためには、ぶつかることもたくさんあります。そうするとエネルギーをすごく消耗しちゃうんですね。作品がヒットしても、常に自分の居場所ってここじゃないんだろうなって思っていました」と打ち明ける。
そんな思いはずっと続いていたが、「『相棒』を始めたのが47歳のときです。そのあたりから、あまりぶつかることはなくなってきましたね」と変化が生じてきた。自身が苦労してきたからこそ「若いときだから許される、滑ったり転んだりをぶつけてきてくれるのはうれしいもんです」と目を細める。
若い力が躍動する『TAP -THE LAST SHOW-』。出演するメインキャストたちは過酷なオーディションによって選ばれた一流のダンサーたちだが、演技の経験は皆無に等しい。それでも「僕は芝居が上手い下手というのはあまり関係ないと思っているんです。上手くても下手でもいいから、思い描く世界にしっかり来られることが大切」と彼らに太鼓判を押す。
たどり着きたいところがある――。水谷が常に大切にしていることだ。そこにたどり着くかどうか、それが俳優としても監督としてもモチベーションにつながっている。この作品がたどり着いた場所は果たしてどこなのか。その目で確認してほしい。(取材・文・写真:磯部正和)
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2017/06/16