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45周年の“帝王”水木一郎が語る、アニソンの変化「本来持っている役割や魅力が見失われつつもある」

 アニメソングのパイオニアであり、今や「アニメソング界の帝王」として“アニキ”の相性で親しまれている水木一郎。1971年、『原始少年リュウ』主題歌で初めてアニソンを歌ってから、今年でアニソンシンガーとして45周年を迎えた。アニソンを取り巻く環境が変化するなかで、アニソン文化を国内外へと広めていくことにまい進し、生涯現役を誓う水木。そんな彼の45年とアニソンへの想いを語ってもらった。

ORICON STYLEのインタビューに応じた水木一郎(写真/草刈雅之)

ORICON STYLEのインタビューに応じた水木一郎(写真/草刈雅之)

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■僕の歌い方がアニメという新しいジャンルにマッチした

――その3年後、1971年にテレビアニメ『原始少年リュウ』の主題歌で初めてアニソンを歌うことになりました。そのときはどんな気持ちだったんですか?
【水木一郎】 当時はアニソンなんて言葉もなく、“まんがのうた”という言い方をしていましたけど、依頼を受けたときは正直どんなものかまったくわからなかったんですよ。ディレクターからは「レコードジャケットに顔もでないけど、いいか?」と念を押されました。でも、考え方を変えれば、スクリーンとテレビのブラウン管という規模の違いはあるにせよ、それは僕がやりたかった映画主題歌と同じものなのかもしれないなって思えた。だから快く引き受けたんですよね。「ぜひやらせてください」って。

――そこから今に繋がる歴史がスタートしたわけですね。
【水木一郎】 そう。僕の歌い方がこの新しいジャンルにちょうどマッチしたんでしょう。ちょうどその頃、東映さんと日本コロムビアさんが“まんがのうた”を専門に歌うアーティストを育てようと動き始めたこともあり、あれよあれよという間に、1日に1回はどこかで水木一郎の歌がテレビから流れるようなことになっていったんです。小さい頃から様々なジャンルの曲を聴き、歌ってきた経験が、いろんなタイプのアニソンに生かされたところもあったと思いますね。歌謡曲を歌っていた時代は、「どうか1曲だけでいいのでヒットをください!」って神様にお願いしてたこともあったけど、アニソンではたくさんのヒット曲にも恵まれた。嬉しかったですよね。

■シーンが盛り上がる一方でアニソン愛が無い人も入ってくることに

――この45年を振り返ると、アニソンのシーンにも様々な変化があったと思います。水木さん自身はどう感じていますか?
【水木一郎】 “まんがのうた”からアニソンに変わり、声優ブーム、アニメブームとともにアニソンシンガーを目指す人がどんどん増えていきましたよね。楽曲に関してもジャンルの幅が広がり、いわゆるJ-POPとの境界がなくなってきたり、子どもだけではなく、大人が聴くものにもなった。そういう変化はいい面でもあるんだけど、一方ではシーンが盛り上がることでアニソン愛のない人たちが入ってくることもある。僕は愛と誇りをもってアニソンというものを開拓してきたつもりだけど、アニソンが本来持っている役割や魅力が見失われつつあると感じることもありましたね。

――でも、水木さんはシーンをさらに盛り上げるためにまい進し続けましたよね。
【水木一郎】 はい。2001年に初めて香港に行ったんだけど、そこでの経験がすごく大きかったんですよ。ライブではいきなりのスタンディングオベーションだし、日本語で会場中が一緒に歌ってくれるんです。報道の数もすごかった。海外の人たちがいかに日本のアニソンを尊敬してくれているのかっていうことを初めて目の当たりにした瞬間でした。それによって、日本のお茶の間にももっともっとアニソンを理解してもらわないといけないなって思うようになったんですね。そこからトレードマークとして赤いマフラーを着けて、「ゼェーット!!」と叫んだりしてテレビのバラエティ番組などにも積極的に出るようになったんです。変な人だな、と思われたとしても、覚えてはもらえますからね。

■夢は「最高齢現役歌手」 まだまだ新しいアニソンを歌いたい

――ご自身の今後についてはどう考えていますか?
【水木一郎】 今や幅広い世代に聴いてもらえるようになったアニソンですけど、僕にとっては今も基本的には“子どものうた”なんですよ。「正義だ! 勇気だ! 希望だ!」みたいなことを歌えるのはアニソンならではだし、そこに僕はロマンをすごく感じる。人として生まれた以上、国や文化も関係なく、誰もが大切に思うことだからね。だから、個人的な愛とか恋とかを歌うのは他の方にお任せして(笑)、僕はそのロマンをこれからも子どもたちにアニソンを通して伝えていきたいんですよね。

――パワフルなボーカルは衰えることを知りませんよね。
【水木一郎】 ありがたいことに、僕はいまだに昔の曲もオリジナルのキーのまま歌えるんですよ。しかも、どれだけ歌っても声が出なくなることがない。レコーディングは3テイクほどで終わることが多いんですけど、たとえ声が嗄れてきても、コーヒーを飲んでちょっと休めばまたすぐ出るようになるんです。それは若い頃に誰よりも練習したということが自信にもなっているし、いまだにレコーディングやライブという真剣勝負の機会に恵まれていることも大きいし、何よりもアニソンを愛して、1曲1曲魂を込めて歌を磨き続けてきた積み重ねによるものだと思っています。

――生涯現役として、ここからの活躍も楽しみになってきます。
【水木一郎】 「水木一郎」っていう芸名は一生歌い続けていく名前なんですって。アニソンと出会ったことで、それがその通りになってきた。神様が与えてくれた運命なのかな。とりあえずはね、50周年を迎えるまで少年のように夢と情熱をもって突き進んでいこうと思ってます。夢は最高齢現役歌手。僕の意志を継いだ下の世代のアーティストもたくさんいますけど、悪いけど僕はまだまだ新しいアニソンをどんどん歌っちゃうからね(笑)。まだ行っていない海外の国もたくさんありますし、歌える間はとにかくずっと歌い続けていきたいです。

(文/もりひでゆき)

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