俳優の坂上忍が、NHKの単発特番『“変人”の正論〜福澤諭吉編「親友なんていらない!?」〜』(28日放送、後10:55〜11:20)に、現代の“変人”として出演。坂上は、“変人”として番組に呼ばれたことに「全然、ほめ言葉だと思いますよ」と満足げで、「完璧な人間なんていないって言うと皆うなずくけど、それなら皆どこか“変”人ですよね」とズバリ切り返している。
番組では、歴史上にその名を残す“偉人”たちの言葉でも、時代が変われば“暴論”に聞こえる、偉人が“変人”に見える主張に注目。今回は、近代教育の礎を築き、1万円札の肖像でおなじみの“福澤諭吉”が「親友なんていらない。人間は所詮ウジムシだ!」と言い放った、その真意について掘り下げる。SNSが全盛を極め、“つながり”や“きずな”の大切さが声高に叫ばれる現代で、彼の主張は“暴論”か、“正論”か?
『学問のすゝめ』『福翁自伝』などの現代語訳で知られ、“現代の福澤”を自認する教育学者・齋藤孝氏(明治大学教授)が、大河ドラマさながらのふん装で福澤諭吉になりきり、弟子の山里亮太(南海キャンディーズ)を引き連れ、現代の“変人”たちのもとへ。坂上のほか、慶應義塾長・清家篤氏、早稲田大学教授・池田清彦氏とそれぞれ熱い議論を戦わせる。
俳優育成学校を主宰するなど、自らも「教育」の現場に身を置く坂上と“福澤”の対談は、今回のテーマ「親友」にとどまらず、「子ども観」「大人の役割」「教育論」「自信とは」「覚悟とは」…と、さまざまな方面に話題が及び、白熱。「“毒舌”かどうかは他人が決めること。僕はただ正直でいようと決めただけ」「明日仕事がなくなってもいい」「今の教育は選択の余地がない」「(福澤の時代の)“暗殺”とは、現代における“黙殺”だと思う」「友人とは“結果論”」など、坂上らしい示唆に富んだ言葉の数々が語られる。
収録を振り返って坂上は「僕は、昔の人というか先輩たちの時代の方が、良い意味でも悪い意味でも偏った方々が多かったと思うし、今はその“偏り”が少なすぎると思っているので、すごく元気づけられる対談でした」と充実した様子だった。
番組では、歴史上にその名を残す“偉人”たちの言葉でも、時代が変われば“暴論”に聞こえる、偉人が“変人”に見える主張に注目。今回は、近代教育の礎を築き、1万円札の肖像でおなじみの“福澤諭吉”が「親友なんていらない。人間は所詮ウジムシだ!」と言い放った、その真意について掘り下げる。SNSが全盛を極め、“つながり”や“きずな”の大切さが声高に叫ばれる現代で、彼の主張は“暴論”か、“正論”か?
『学問のすゝめ』『福翁自伝』などの現代語訳で知られ、“現代の福澤”を自認する教育学者・齋藤孝氏(明治大学教授)が、大河ドラマさながらのふん装で福澤諭吉になりきり、弟子の山里亮太(南海キャンディーズ)を引き連れ、現代の“変人”たちのもとへ。坂上のほか、慶應義塾長・清家篤氏、早稲田大学教授・池田清彦氏とそれぞれ熱い議論を戦わせる。
俳優育成学校を主宰するなど、自らも「教育」の現場に身を置く坂上と“福澤”の対談は、今回のテーマ「親友」にとどまらず、「子ども観」「大人の役割」「教育論」「自信とは」「覚悟とは」…と、さまざまな方面に話題が及び、白熱。「“毒舌”かどうかは他人が決めること。僕はただ正直でいようと決めただけ」「明日仕事がなくなってもいい」「今の教育は選択の余地がない」「(福澤の時代の)“暗殺”とは、現代における“黙殺”だと思う」「友人とは“結果論”」など、坂上らしい示唆に富んだ言葉の数々が語られる。
収録を振り返って坂上は「僕は、昔の人というか先輩たちの時代の方が、良い意味でも悪い意味でも偏った方々が多かったと思うし、今はその“偏り”が少なすぎると思っているので、すごく元気づけられる対談でした」と充実した様子だった。
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2014/03/13