1972年に大学の仲間たちで創刊した雑誌ぴあ。読者と編集部だけでなく、読者同士もつながる誌面はインターネット・コミュニティの先駆けでもあった――。オンライン消費者コミュニティの開発・運営を手がけるクオン株式会社の武田隆代表取締役が、ぴあ株式会社 代表取締役社長の矢内廣氏に、同社の「企業の遺伝子」を聞いた。(この記事は2015年4月8日収録のラジオ番組『企業の遺伝子』の内容を活字にしたものです/オリジナル番組制作:JFN、番組企画:クオン株式会社、画像提供:ぴあ株式会社、構成・編集:編集工学研究所、番組パーソナリティ:武田隆、春香クリスティーン)
東京中の文化情報を集めれば価値になる
それまでなかった発想で雑誌を創刊
武田隆(以下、武田) ぴあをつくられた矢内さんにお会いできて光栄です。創刊時はどんな雑誌だったんでしょうか?
矢内廣(以下、矢内) ぴあの創刊は1972年ですが、はじめは映画、演劇、音楽、美術展など、いつどこで誰が何をやっていて、料金はいくらなのか、そういった基本的な情報だけを書いた薄い雑誌でした。
武田 当時はそういった情報誌がなかったわけですね。
矢内 なかったですね。大学3年生の頃、アルバイト先で就職のことが話題になったときに、このまま大学を卒業してサラリーマンになってしまうっていうのはなんとなくイヤだなっていう気分をみんなが持っていました。そんな時代だったんですね。
「じゃあ自分たちで仕事をつくっちゃおうよ」という話になったんです。でも何をやろうというアイデアはまだありませんでした。
春香クリスティーン(以下、春香) どういう風に思いついたんですか?
矢内 僕は大学で映画研究会に入っていて、人よりずいぶん映画を見ていたのですが、お金がないからロードショー封切りの映画って見られないんです。当時で言うとロードショーが終わって、2番館3番館になると安く見られる。ところが2番館にかかるタイミングがいつで、どこの映画館でかかるのかという僕の関心事に応えてくれるメディアがなかったんです。
それを全部まとめて1冊の雑誌にできるんじゃないかというのが最初の発想で、映画がいけるんだったら芝居もコンサートも美術展も全部まとめた、東京中の1ヵ月間分の文化情報誌をつくったらいいんじゃないかと思い立ったんです。...