「老後に不幸になる人」とは、どんな人だろうか。浪費家のように今を楽しみすぎる人か? それとも、節約家のように将来ばかり見て、今をないがしろにして生きる人か? 話題を集めるベストセラー書籍『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』は、私たちに「老後への備え」と「今しかできないこと」のバランスを問いかける一冊だ。「老後」と「今」、どちらを優先すべきか――その最適解を探すなかで、酒とギャンブル好きの40代ライターが“本書を読んで始めたこと”とは?(執筆:前田浩弥、企画:ダイヤモンド社書籍編集局)
お金の「使いすぎ」も「使わなさすぎ」も、老後に後悔する危険性大
令和の世にあって私は、酒とギャンブルに明け暮れる「昭和の破滅型芸人」のような日々を過ごしている。
うだつの上がらないフリーライターゆえ、稼ぎはさほど大きくない。生活はいつだってギリギリだ。「酒とギャンブルを嗜むお金があるのなら、ギリギリではないでしょう」と思う人もいるかもしれないが、あればあっただけ使ってしまうから、結果的にいつもギリギリなのだ。半年先の人生すら見えないのだから、老後のための貯蓄など望むべくもない。
金は貯まらないが、酒やギャンブルを通して体験したドラマは溜まっていく。
酒場での振る舞いや、ギャンブルとの向き合い方(たとえば競馬であれば、馬券の買い方や買い目ごとの資金配分、自分の本命の選び方、一日の予算、応援の仕方、負けたときの振る舞いなど)には、人それぞれの美学が表れる。私は、ごまかしの利かない場面で表れる「人の美学」に触れるのが好きだ。美学はドラマを紡ぐ。酒場や賭場は、ドラマにあふれている。そのドラマは、私の心に潤いをもたらす。
「自分が何をすれば幸せになるかを知り、その経験に惜しまず金を使え。そして、ゼロで死ね」と語りかけるビル・パーキンスの著書『DIE WITH ZERO』を読み進めながら、「あれ、おれってもう、この生き方を実践できているんじゃない?」なんて思い上がっていた。その矢先である。パーキンスに、文中でピシャリとたしなめられた。
「今」しか見据えず、ただドラマを追い求めて放蕩を重ねるのは、イソップ寓話『アリとキリギリス』に登場するキリギリスそのもの。パーキンスが言うところの「バカげている」生き方であり、「DIE WITH ZERO」の精神とはまったく異なっていたのだった。
意外と多い「使いすぎ」の人が考えるべきこと
私の生活を、少しでも「DIE WITH ZERO」の方向へと是正するにはどうすればよいのか。
パーキンスは『DIE WITH ZERO』のなかで、毎朝、出勤前にスターバックスのコーヒーを買うことに小さな幸せを見出している人々に、「そこに費やす年間数千ドルの大金があれば、他にどんな経験ができるかを想像してみてほしい」と問いかける。さらに「毎朝、スタバのコーヒーを飲むのを楽しみにしているんだ。人の好みはそれぞれだろう」という当然起こり得る反論を想定し、こう切り返す。
最初は「小さな幸せ」だった出勤前のコーヒーが、いつの間にか習慣化して、「惰性で買って飲んでいる何か」になっていないだろうか。あえて一度疑い、「何にお金を使うべきか」について他の選択肢と戦わせてみる。すると、より有意義なお金の使い道が見つかるかもしれないし、「スタバのコーヒーは自分に小さな幸せをもたらしてくれるものなのだ」と再確認できるかもしれない。いずれにしても、惰性でコーヒーを買い続けるより価値のある経験を得られるだろう。
日々、酒場に繰り出し、鉄火場のヒリヒリ感に浸ってドラマを体感するその行動は、いつの間にか「惰性」になっていないだろうか。よしんば「いや、おれはそこに幸せを見出す」と再確認したとして、その幸せを享受するのに費やすお金は、本当に「いざというときの蓄え」よりも重要なものなのか。「キリギリスはもう少し節約すべきだ」。パーキンスの言葉が身に染みる。
そうだ。貯金を始めよう。
『DIE WITH ZERO』を読み、感銘を受けた多くの人が起こすであろう行動とまったく逆の行動を、私は今、起こそうとしている。
酒場や賭場でドラマを得る機会は減ることになるが、まぁいい。「昭和の破滅型芸人」のような日々を過ごしていた、40代半ばのフリーライターの男が、ようやく貯金を始める。これはこれで、ひとつのドラマだろう。
(本原稿は、『DIE WITH ZERO』(ビル・パーキンス著・児島修訳)に関連した書き下ろし記事です)