• ORICON MUSIC(オリコンミュージック)
  • ドラマ&映画(by オリコンニュース)
  • アニメ&ゲーム(by オリコンニュース)
  • eltha(エルザ by オリコンニュース)
  • ホーム
  • おでかけ
  • 岐阜城を築いた信長&再利用した家康、大河ドラマ&映画で注目のまちを歩く
オリコンニュース

岐阜城を築いた信長&再利用した家康、大河ドラマ&映画で注目のまちを歩く

 徳川家康を主人公とする大河ドラマ『どうする家康』(NHK)の放送がスタート。織田信長と濃姫の生涯を描く映画『レジェンド&バタフライ』も公開中だ。信長と家康、どちらにもゆかりが深いまち、それが岐阜。「信長の時代から現代まで継承されている岐阜の文化や自然は、家康あってのものなんです」と教えてくれたのは、美濃国戦国案内人の山下章さん。戦国ファンなら何度も訪れたい岐阜で、信長と家康、いま話題の2人をより身近に感じることができる旅をガイドしてもらった。

 “信長と家康”をテーマとする今回の旅のポイントは、金華山(きんかざん)山頂にそびえる「岐阜城」と1300年の歴史を持つとされる「ぎふ長良川の鵜飼」、そして家康ゆかりの「加納地区」の3つ。

「美濃を制するものは天下を制す」を実感する「岐阜城」

山下さん鎌倉時代建仁年間、昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも登場していた二階堂行政がこの地に築いた砦がはじまりと伝わっています。斎藤道三の居城だった当時は稲葉山城と呼ばれていました。織田信秀・信長の親子二代にわたって何度も美濃攻めを繰り返し、斎藤龍興の代にようやく美濃を攻略。信長たちがなぜ美濃攻めにこだわったのか。それは岐阜城の天守に上がるとわかります。

岐阜城からの眺め

 金華山一帯の「岐阜城跡」は2011年に国史跡に指定。岐阜公園から山頂駅まで、ぎふ金華山ロープウェーで約4分(運賃:中学生以上片道630円、往復1100円)。岐阜城(入場料:16歳以上200円)には、最上階(4階)までの各階(1階〜3階)で、信長の城下町づくり、城づくり、世界に目を向けていた先見性などを紹介している。

 現在日本にある天守のうちでは、有数の高さ(標高329メートル)にある。最上階(4階)からは四方を見渡せるようになっていて、眼下に鵜飼で有名な長良川、東には恵那山、木曽御嶽山の雄大な姿、北には日本アルプス、西は伊吹、養老、鈴鹿の山系が連なり、南には尾張と美濃の大平野を一望することができる。

山下さん南側から見えるツインタワーは名古屋駅、南西には四日市コンビナートの煙突も見えます。この地域は、古くから東西交通の要衝として発展してきました。岐阜城の天守からは多くの人々が行きかう様子が一望できたんです。それは、危機管理の上でも重要なことでした。信長がこの城を奪取して、天下布武(てんかふぶ)を押しすすめるための拠点とした理由がわかっていただけると思います。

織田信長公居館跡

 1567年に小牧山城から稲葉山城に居城を移した信長は、地名を「岐阜」と命名・改称し、城も岐阜城と改めて、大改修を行った。天守のある山の上はいわば仕事場兼住居で、山麓に迎賓館があったと思われる。1984年以降、発掘調査が続いていて、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスも『日本史』に複数の庭園があったと記していたとおり、池や石敷きなどの庭園遺構が7ヶ所確認された。また、館の中心建物があったとされる場所からは金箔瓦も見つかっている。
山下さん信長の時代、城は戦いの際に詰める拠点であり、一時的な軍事施設でした。ですが、信長は賓客の接待などを行ったという記録が残っています。金箔が施されていた瓦や庭園跡が見つかったことから、信長は“城を飾る”という城革命を起こした武将と言われています。金箔瓦を用いた建物は、西側の斜面にあり、これは西日が当たるとどう見えるかということまで計算して建てていたと思われます。豪華絢爛な館で訪れた人々を楽しませるだけでなく、まるで金閣寺のような黄金に輝く城は、濃尾平野の遠くからも確認でき、信長の権威を見せつけるものだったと思います。

 岐阜公園内、総合案内所近くにある発掘調査案内所では、出土した金箔瓦を展示中。巨石を使った通路、石垣、土塁状の遺構、礎石などの一部を整備復元した織田信長公居館跡では、『ブラタモリ』(NHK)で訪れたタモリが大興奮していたチャート層(放散虫が海底に蓄積してできた地層)が褶曲(しゅうきょく)した岩盤を見ることができる。高さ35メートルあるこの地層は、信長が庭園の一部として、人の手で削られたもの。岩肌に水を流し、滝まで作っていた。そんな信長が作った滝を復元する計画もあるそうだ。

岐阜城と家康の関係は?

 信長は、約10年間、岐阜城を天下統一の拠点とし、岐阜城を長男の信忠に譲って安土城へ移り住んだ5年後、本能寺の変で亡くなった。その後、岐阜城は1600年8月、最後の城主となる信長の孫・秀信が西軍についたため、東軍の池田輝政・福島正則の攻撃を受け、落城(岐阜城の戦い)。降伏した秀信は高野山に追放された(その後、病死)。

山下さん家康は関ケ原の戦いに向かう途中で、岐阜城の戦いの跡を確認したと言われています。そして、関ケ原の戦い後に岐阜城は廃城となり、幕府は金華山を入山禁止にしました。江戸時代には尾張藩の「御山」として管理され、明治時代以降になると一般の人たちも山に登ることは許されましたが、森は御料林、国有林として保護され、現在にいたります。40万人もの人々が住む都市の中心で自然本来の植生が保たれているのは、きわめて稀なことです。

金華山

 岐阜城へはロープウェーを利用するのが一般的だが、“家康が守った”ともいえる金華山の豊かな自然の魅力を感じられる登山もおすすめ。金華山は近年、手軽に登れる登山スポットとしても人気がある。10の登山道が整備され、山頂まで約1時間から1時間半ほど、体力に合わせてコースを選ぶことができる。そのうち池田輝政が攻め上がり一番乗りをあげたと伝えられている有名なルートが現在の「めい想の小径」(水の手道)、山上部へのメインルート「七曲り登山道」(大手道)だ。

関連記事




求人特集

求人検索

 を検索