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岐阜城を築いた信長&再利用した家康、大河ドラマ&映画で注目のまちを歩く
“信長と家康”をテーマとする今回の旅のポイントは、金華山(きんかざん)山頂にそびえる「岐阜城」と1300年の歴史を持つとされる「ぎふ長良川の鵜飼」、そして家康ゆかりの「加納地区」の3つ。
「美濃を制するものは天下を制す」を実感する「岐阜城」
岐阜城からの眺め
現在日本にある天守のうちでは、有数の高さ(標高329メートル)にある。最上階(4階)からは四方を見渡せるようになっていて、眼下に鵜飼で有名な長良川、東には恵那山、木曽御嶽山の雄大な姿、北には日本アルプス、西は伊吹、養老、鈴鹿の山系が連なり、南には尾張と美濃の大平野を一望することができる。
山下さん南側から見えるツインタワーは名古屋駅、南西には四日市コンビナートの煙突も見えます。この地域は、古くから東西交通の要衝として発展してきました。岐阜城の天守からは多くの人々が行きかう様子が一望できたんです。それは、危機管理の上でも重要なことでした。信長がこの城を奪取して、天下布武(てんかふぶ)を押しすすめるための拠点とした理由がわかっていただけると思います。
織田信長公居館跡
岐阜公園内、総合案内所近くにある発掘調査案内所では、出土した金箔瓦を展示中。巨石を使った通路、石垣、土塁状の遺構、礎石などの一部を整備復元した織田信長公居館跡では、『ブラタモリ』(NHK)で訪れたタモリが大興奮していたチャート層(放散虫が海底に蓄積してできた地層)が褶曲(しゅうきょく)した岩盤を見ることができる。高さ35メートルあるこの地層は、信長が庭園の一部として、人の手で削られたもの。岩肌に水を流し、滝まで作っていた。そんな信長が作った滝を復元する計画もあるそうだ。
岐阜城と家康の関係は?
山下さん家康は関ケ原の戦いに向かう途中で、岐阜城の戦いの跡を確認したと言われています。そして、関ケ原の戦い後に岐阜城は廃城となり、幕府は金華山を入山禁止にしました。江戸時代には尾張藩の「御山」として管理され、明治時代以降になると一般の人たちも山に登ることは許されましたが、森は御料林、国有林として保護され、現在にいたります。40万人もの人々が住む都市の中心で自然本来の植生が保たれているのは、きわめて稀なことです。