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浪費家で借金まみれの父、お金に無知な母…“お金に追われていた”息子が父の日広告を経て変化した両親への想い
生前、父に自己破産を提案するも「内緒で保証人を家族の名前にして借金していた」
足澤憲衝撃的なコピーだったと思うのですが、割とポジティブな反応が多くてうれしかったですし、反響の大きさにびっくりもしています。コピーしかり、内容が実話だったとか、広告を出したのが地元だったとか、色々なことが組み合わさって相乗効果を生んだのかなって感じますね。
――故郷に広告を出したことで、地元の友人などから何か反応はありましたか?
足澤憲同級生、先輩、後輩、友だちと、色んな方から連絡があったのですが、基本的には「感動したよ」って皆さん言ってくれました。「自分も何かを立ち上げたい」って言っていた友だちも何人かいましたね。
――足澤さんとお父さんは、どのような関係性だったのでしょうか?
足澤憲正直あまり良くなかったと思います。生前ほとんど話したこともなくて…。うちは農業をしていたんですが、父は真面目に仕事をしないでサボってばかりで、「今日もお父さん、仕事していないね」って悪口を言いながら、私と母親が農作業をする日々でした。
――広告には書けなかった、お父さんとの印象的なエピソードはありますか?
足澤憲父が亡くなる1年くらい前に、「自己破産をしたら?」って提案したんです。父もさすがに観念をして手続きを進めていったら、借金の金額がトータルで1500万円くらいに…。結局、自己破産の処理があと少しで完了するというときに、父が亡くなったので、我々は相続放棄をしました。これで借金がなくて済むと思っていたら、父が内緒で保証人を家族の名前にして借りていたものがあって、結果的に借金が残っていたということはありましたね。
――お父さんが何にお金を使っていたのかは、よくわからないまま?
足澤憲基本的には農業の機械を買おうとしていたみたいですけど、普通は収支のバランスを考えて買うものなのに、父はそういった計算が全くできなくて、「足澤さん、新しい機械がありますよ」と言われると、見栄を張ってすぐに買っちゃうんです。1台200〜300万円する機械をバンバン買って、雑に使っていたから修理にもよく出していましたしね。
――お金の使い方が下手だったんですね…。
足澤憲もともとは裕福で、足澤という地域の中では資産をたくさん持っていた家だったんですけど、父が一代でそれを全て食い潰して借金にしたので、ある意味すごいですね。個人で1000万円以上の借金ってどうやったらできるんだろうって思ってしまいますが、借りる能力だけはあったんでしょうね…。
「ちゃんと父のことが許せた」広告を機に父への想いに変化
足澤憲小学校や中学校くらいのときは、父のことが嫌いでしたね。でも父が取った変な行動を見ては「またこんなもの買ってきたよ」とか「お父さんヤバいね」って母親と兄弟でネタにして笑いにかえて昇華していた部分はありました。母がすごくポジティブな人なので、その影響は大きかったです。高校生くらいからはもう父に対する憎しみみたいはほぼなくなっていました。
――今回の広告でお父さんへの思いを言語化することで、足澤さんの中で何か変化はありましたか?
足澤憲これまで父に対して「ありがとう」と言ったことがなかったんです。皮肉みたいに取られるところもありますけど、コピーの中で「ありがとう」と言えましたし、お酒も一回しか飲んだことがなかったですが、「一緒にお酒を飲みましょう」という締めの一文も書けたので、あれを公開したことで自分の中で気持ちの整理が一旦できました。ちゃんと父のことを許せたかなって。
――広告には書けなかった足澤さんの貧乏エピソードはありますか?
足澤憲家がすごくボロかったんですが、ある日、2階にある自分の部屋でパソコンをしていたらそのまま寝落ちしちゃって。気がついたら部屋の中なのに雨が降っていて、パッと見たら壁がなくなっていたんです。でも、夜だったので誰も起こさずに、1階のこたつで寝ていたら、朝になって母が2階の壁を見て私が逃げ出したと思ったらしく、「憲が逃げたぞー!」って叫んでいたことがありました。
――それって、結局どうなったんですか?
足澤憲修理するお金がなかったので、とりあえず父が木で壁をなんとなく埋めていました。隙間から外が見えていましたけどね…(笑)。