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3年半ぶりの新曲に絶賛の声 他を圧倒する宇多田ヒカルの“凄み”

 宇多田ヒカルの新曲「花束を君に」と「真夏の通り雨」が4月15日に配信をスタートした。新曲としては2012年11月に配信限定で発表された「桜流し」以来約3年半ぶり。2010年に宇多田自身によって発表された「アーティスト活動」の休止と「人間活動」への専念は様々な反響を呼んだが、それから5年。再び音楽の世界に降臨した歌姫は果たしてどこへ向かうのか? 「人間活動」で得たものとは何か、最新曲を通して紐解いていく。

母となり慈しみに満ちた愛情を感じさせる“柔らかな歌声”

  • 待望の再始動で期待が高まっている宇多田ヒカル

    待望の再始動で期待が高まっている宇多田ヒカル

 「花束を君に」(NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』主題歌)と「真夏の通り雨」(日本テレビ系『NEWS ZERO』テーマ曲)はいずれもがテレビ番組のテーマ曲として既に多くの人の耳に届いていると思うが、その歌声を聴いて感じる第一印象は「歌声の柔らかさ」だ。ピアノを基調としたシンプルなアレンジに乗って滑り込んでくる導入部から受けるのは、まろやかさが際立つこれまでにない歌唱である。

 2012年の「桜流し」を発表後、「人間活動」中に宇多田は“母”となった。その経験は間違いなく彼女の音楽に大きな変化をもたらしただろう。そのひとつが“慈しみ”に満ちた愛情を感じさせる歌声かもしれない。ネットでも、「お母さんって声に変わってて印象が全然違っててちょっとびっくり」、「天才少女が天才お母さんになったなーって実感」といった声が寄せられていた。初期の彼女の歌声にはキレがあり、それが日本人離れしたグルーブと結びついて多大なインパクトを植え付けていたといえるが、今作では包み込むような懐の大きさとたくましさ、優しさを兼ね備えた“大人の女性”の声が耳に心地いい。

 前出の「桜流し」や2004年発表の「誰かの願いが叶うころ」などもピアノの音とともに宇多田のボーカルが聴こえてくる構成だが、それらが憂いを湛えた表情を見せているのに比べて、今回の2曲では“ぬくもり”を感じずにはいられない。これが、「人間活動」のもたらしたものなのかどうかは定かではないが、少なくとも、「世俗」というこれまで(彼女にとっては生まれたときからずっと「音楽」がすぐ隣で呼吸をしていた環境だったと思う)とは全く異なる世界の中で、心身をリセット、リフレッシュさせ、さらに新しい人生を進むことになった「経緯」が連れてきたものといえるだろう。

その歌声は被災者の心にも深く浸透「ヒッキーの歌聴いて、安心するよ」

 ただ、その包み込むようなぬくもりとは裏腹に、曲のテーマはせつない。「花束を君に」についてツイッターでは、「何度聴いても涙が止まらない」「温かく、寂しい歌」「死の歌だと気づいたときの衝撃」「始まりの一行が胸に刺さってしょうがない」のように、歌詞を読み込めば読み込むほどに胸に熱いものがこみ上げてくる。「人間活動」期間に彼女は“最愛”の人を喪うという哀しみにもさらされた。今回の2曲の歌詞に共通して「さよなら」という言葉(「真夏の通り雨」では「サヨナラ」)が使われているのは、そうした出来事と無縁ではないのだろう。

 上述したように、ここには限りない“慈愛”が満ちている。大人の女性へと姿を変えた宇多田ヒカルが“等身大”のままで歌いかけてくる。だから、聴く者は温かいものに包まれ、感動の波に飲まれる。「Automatic」のようなセンセーショナルな曲での再登場を予想した人も少なくないだろう。また、「First Love」のような初期の頃を彷彿とさせる楽曲を望んだ人もいただろう。しかし、彼女は敢えて「人間活動」で学んできた自分を“素”のままで作品にした。「人間活動」とは「人」を知り、「自分」を見つめること――彼女は何も言わないが、この2曲を耳にしていると、そのように感じられてしょうがない。

 これまでも、ツイッターを通して自身の声を届けてきた宇多田ヒカル。新曲の告知をした際、16日未明に熊本県で発生したマグニチュード7.3の大地震での被災者に対し、ツイッターでメッセージを送った。その宇多田の呼びかけに、「熊本にパワーを贈って!」「ヒッキーの音楽に元気付けてもらえると思う」といった声や、実際に被災者からも「地震怖かったけど、少し元気出た!!」「怖いよ。でも、ヒッキーの歌聴いて、安心するよ」と宇多田の歌に元気をもらった人も少なくない。

 今回、2曲同時に新曲を発表した宇多田に対し、「復活した宇多田ヒカルがやっぱ天才!」といった声が多い。「人」としてのスタンスを構築させた彼女は、人々の感情を自在に操る「武器」を手に、より「人間の深遠」を究めるべく、次なる一歩を踏み出そうとしているのかもしれない。“凄み”すら増した宇多田ヒカル、まさしく孤高の存在である。

(文:田井裕規)

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