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元ももクロ・早見あかり、“脱アイドル”の成功事例 絶妙なタイミングでの決断
脱退時は「もったいない」という声が多かった
早見は2008年11月に、メンバーの入れ替わりが激しかった初期のももいろクローバーに加入。路上ライブからワゴン車での全国ツアーと現メンバーと苦楽をともにして、2010年5月にメジャーデビュー。当時のアイドルブームのなかでも、ももクロは一歩抜け出し、AKB48を追う一番手となった。サブリーダーの早見はグループを引き締める存在だったが、2011年4月の中野サンプラザ公演を最後に脱退。「自分はアイドルに向いてない。女優の道に進みたい」との理由だった。
その後、ももいろクローバーZに改名したグループはさらに快進撃。西武ドームや日産スタジアムなどで単独ライブを行い、紅白歌合戦にも3年連続出場と大ブレイクした。早見もコメディドラマ『ウレロ☆未確認少女』(テレビ東京系)などに出ていたが、ももクロの華々しい活躍に比べると影は薄くなっていた。脱退時点でももクロのブレイクは確実視されていて、「もったいない」「まだ早い」との声は多かった。
人気メンバーほどアイドルイメージの払拭が困難
アイドルグループのブームは続いているが、卒業したメンバーのソロ活動は順調に行かないことが多い。推していたファンも卒業した途端に離れる傾向が強く、何よりアイドルとして人気が高かったメンバーほど、アイドルのイメージを払拭するのに苦労する。AKB48の二大エースだった前田敦子と大島優子も、女優としてコンスタントに活動しつつ、「所詮はアイドル」などと叩かれがちだ。ほかの元“神7”メンバーなどはメディア出演がすっかり減った。
早見も、ももクロで活動を続けていたら大ブレイクを経験していたはずだが、同時にアイドルとしての色が強く付き、その後に女優に転身しても、むしろハンデになっていた可能性が高い。そういう意味で、「もったいない」と言われた中野サンプラザ時点での脱退は、振り返れば絶妙なタイミングだったように思える。知名度はそれなりに高まりつつ、アイドル色が濃くなる寸前。目先に捉われず長いスパンを見据えた良い決断だった。
もちろん、本人は戦略というより「アイドルに向いてない」意識が強かったようであり、すべては結果論。あの選択が本当に正解だったかは、今後の彼女の女優活動でハッキリする。
(文:斉藤貴志)