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吉田山田『念願の『Mステ』にも初出演!「みんなのうた」で話題☆“泣ける歌”を歌う2人とは!?』
全く違うタイプの2人が、“音楽”を通して最高のパートナーに
吉田は高校1年でバンドを結成し、GLAYなどをコピーする一方で、弾き語りでゆずのコピーや、オリジナル曲をやっていたそう。片や山田は、深夜のダンス番組から影響を受けてダンスをやっており、“ダンス君”というあだ名がついていたと言う。そんな2人の邂逅(かいこう)は、文化祭だ。ステージでひとり歌う吉田を見て、山田は、ひと目もはばからずに号泣したそう。「まさか高校生にもなって、こんな風にワンワン泣くやつがいるなんて、最初は驚きました」と、吉田は当時を振り返る。しかし、そんな山田のピュアさに、計り知れない可能性を見いだした吉田は、山田からの猛烈アピールもあって、一緒に組むことを決意。めでたく吉田山田が誕生した。
「よっちゃん(吉田)と出会って、世界が莫大に広がりました。ダンスより、もっといいものを見つけた!っていう感じ。それによっちゃんは、僕にない部分をすべて持っているんです。人の心を汲み取る力があって、他人には理解されない僕の言葉を、理解して人に伝えてくれる。行動力と実現力がある。僕ひとりでは、何もできないんです」(山田)
もともと吉田は、カウンセラーを目指していたそうで、それもあってか、山田の最大の理解者になった。それ以来、子どものまま大人になったような山田と、それをうまくハンドリングしていく吉田という関係。吉田は山田を“宇宙人”と呼び、山田は吉田を“宇宙人の通訳”と呼ぶ。非常にでこぼこ具合がうまく噛み合い、お互いに補い合ういいバランスの関係だ。
「僕はゴールを見定めるのが苦手だけど、山田はむちゃくちゃでも、ちゃんとゴールを見つけることができる。そこで僕は、そのゴールまでのルートを考えて、導いていく感じです。もちろん逆のときもあるけど、お互いになくてはならない存在です」(吉田)
2人が目指すのは、人の心に寄り添える歌を作ること
「もしかするとそのとき初めて、ただの高校時代の友だちだった2人が、音楽という同じ夢に向かうパートナーになれたのかもしれない。やっぱり、一緒にいて楽しいばっかりじゃダメなんです。悲しいときや辛いときがあって、それでも一緒に音楽をやるんだという、強い気持ちを確認することが大切だったんです」(吉田)
そんな2人が目指す音楽は、押しつけがましくなく、ネガティブでもなく、人の心に寄り添える歌を作ること。「本当に寂しいとき、ひとりぼっちのとき、手を伸ばして聴きたくなるような、そこにいて邪魔にならない音楽を作りたい」と吉田。また、いい音楽は、世代や性別、立場や職業、ジャンルさえも超えて人に届くはずだとも話す。実際に「日々」の反響は、家事や子育て、介護などに忙しく、ライブに行く時間もないお母さん層に特に大きかったそう。テレビからふと流れて来た、おじいちゃんとおばあちゃんのストーリーが、忙しさの中で張り詰めていた心に、やさしく触れたのだろう。まさしく、彼らが目指した曲だったと言える。山田はそんな「日々」について、決して自慢げに語るでもなく、それどころか。「キャッチしてくれた人が、こんなにたくさんいたことが、すごいことなんです」と話す。
「心の結びつきを欲しているじゃないけど、きっと誰もが、そこに一番の重きを置いて生活しているんだということが分かりました。これは副産物だけど、大事な人に聴かせたいと言ってくれる人が多いんです。両親がケンカしているときに、この曲をそっと流してみたりっていう、そういうエピソードがたくさん寄せられています。そういう意味では、もしかしたらそれぞれの人の心を、少しは代弁できたのかもなって」(山田)
ときにアルバム収録曲などでは、それぞれの個性を発揮し、ときに2人の持ち味を見事に融合させた「日々」も生まれたりと、何とも絶妙な関係。そんな2人の将来像について、「今は、山田と音楽を続けていくためにはどうしたらいいかだけを考えている」と吉田。つかず離れずとは、こういうこと。こんなユニークなパートナーシップから生まれる、2人の音楽だからこそ、人々の注目を集めているのかもしれない。
(文:榑林史章)
“泣ける歌”で話題の「日々」ミュージックビデオ
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