1983年公開の大ヒット映画『時をかける少女』が7日夜、東京・ヒューマントラストシネマ有楽町で上映され、同作を手がけた大林宣彦監督(73)と主演女優・原田知世(43)によるトークイベントが行われた。大林監督と原田は映画『あした』(1995年)に監督・出演して以来16年ぶりの再会で、「ちっとも変わっていない」「監督もお変りなく…」と抱き合って喜んだ。さらに劇場には同作で“深町一夫”役を演じた元俳優・高柳良一さん(47)の姿も。原田が大林監督には内緒で呼び寄せた粋な演出で、28年ぶりの3ショットも実現した。
大林監督は「この映画のことは昨日のことのように思い出されるのに…撮影当時45歳だった自分は、いま73歳」と言った後、原田をじっと見つめて「大人になったけれど、15歳の頃の初々しさはそのままですね」とニッコリ。原田も「映画1作目が自分の代表作になったのはすごいことだと思う。長く女優を続けていられるのも、この作品のおかげ。幸せなスタートを切ることができたと思っています」と笑顔を見せた。
「原田知世といえば多くの人が『時をかける少女』をイメージする。それは本人にとってはつらいことでもあったのではないかしら」と大林監督がたずねると、原田はサバサバした感じで「自分が成長しながら、それに合った作品に出会うことの難しさを感じることもありました」と振り返った。大林監督は女優業だけでなく、音楽活動も続ける原田の活躍ぶりを褒めたたえながら、「時は過ぎるものではなく、時はやってくるものなんですね」と満足げに笑っていた。
28年の時間の経過を感じさせないほどに、当時の思い出話が尽きない中、大林監督は「ここで約束しない? もう一度、映画を一緒にやろうよ」と提案すると、原田も「ぜひ」と二つ返事で快諾。客席からも実現を期待する大きな拍手が沸き起こった。
客席で同作を鑑賞した高柳さんは「スクリーンで観るのは公開時以来。懐かしく思いました」。原田とたびたび共演していた高柳さんは、大林監督作品『彼のオートバイ、彼女の島』(1986年)への出演を最後に、俳優業を引退。出版社に就職し、作家・赤川次郎の担当編集者などを経て、現在はニッポン放送に勤める会社員だ。原田にとっては「長崎から上京して最初できた友達。いまでも年に数回会って、家族ぐるみで親しくしている」という。
同劇場では13日まで、CS放送・衛星劇場の番組『大林宣彦のいつか見た映画館と』と連動した特集上映会を実施中。今回の上映作品、トークイベントの模様は7月より衛星劇場で独占放送される。詳細は公式ホームページに掲載(www.eigeki.com/obayashi/)。
◆映画ニュース 最新情報|インタビュー
大林監督は「この映画のことは昨日のことのように思い出されるのに…撮影当時45歳だった自分は、いま73歳」と言った後、原田をじっと見つめて「大人になったけれど、15歳の頃の初々しさはそのままですね」とニッコリ。原田も「映画1作目が自分の代表作になったのはすごいことだと思う。長く女優を続けていられるのも、この作品のおかげ。幸せなスタートを切ることができたと思っています」と笑顔を見せた。
「原田知世といえば多くの人が『時をかける少女』をイメージする。それは本人にとってはつらいことでもあったのではないかしら」と大林監督がたずねると、原田はサバサバした感じで「自分が成長しながら、それに合った作品に出会うことの難しさを感じることもありました」と振り返った。大林監督は女優業だけでなく、音楽活動も続ける原田の活躍ぶりを褒めたたえながら、「時は過ぎるものではなく、時はやってくるものなんですね」と満足げに笑っていた。
28年の時間の経過を感じさせないほどに、当時の思い出話が尽きない中、大林監督は「ここで約束しない? もう一度、映画を一緒にやろうよ」と提案すると、原田も「ぜひ」と二つ返事で快諾。客席からも実現を期待する大きな拍手が沸き起こった。
客席で同作を鑑賞した高柳さんは「スクリーンで観るのは公開時以来。懐かしく思いました」。原田とたびたび共演していた高柳さんは、大林監督作品『彼のオートバイ、彼女の島』(1986年)への出演を最後に、俳優業を引退。出版社に就職し、作家・赤川次郎の担当編集者などを経て、現在はニッポン放送に勤める会社員だ。原田にとっては「長崎から上京して最初できた友達。いまでも年に数回会って、家族ぐるみで親しくしている」という。
同劇場では13日まで、CS放送・衛星劇場の番組『大林宣彦のいつか見た映画館と』と連動した特集上映会を実施中。今回の上映作品、トークイベントの模様は7月より衛星劇場で独占放送される。詳細は公式ホームページに掲載(www.eigeki.com/obayashi/)。
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2011/05/08