お笑いコンビ・銀シャリの橋本直が、新潮社のサブスクサービス「新潮QUE」にてW杯にまつわるエッセイを配信している。その一部を紹介する。
芸能界屈指のサッカー通として知られる橋本は、サッカー少年だった頃から日本代表の躍動に胸を躍らせてきたという。エッセイでは、「日本サッカー史」への巧みなツッコミとともに、進化の歴史を辿っている。
■エッセイ内容の一部
1993年5月にJリーグが開幕。同年10月、カタールのドーハで開催されたのが、アメリカワールドカップのアジア最終予選でした。(中略)中学1年生になっていた僕が深夜にテレビにかじりつきこの運命の一戦を観ているものだから、小さな布を縫い合わせるパッチワーク作業をしていた母親も、片手間にテレビで観戦しはじめる。僕がこの試合の持つ重要性を説明すると、いつの間にか母親もパッチワークの手を止めて、後半は息を呑むようにこの試合の進捗に一喜一憂していました。
(母親も思わず叫んだ「ドーハの悲劇」より)
昔はサッカー日本代表の事を「全日本」と呼んでいました。やがて呼び名は「日本代表」に変わり、それが今では「サムライブルー」ですからね。すごい変化です。(中略)日本サッカーの進化は凄まじく、今や漫画の世界のキャプテン翼を現実が追い越してしまった感さえあります。日本代表は海外組で埋め尽くされるようになりましたし、長友佑都選手がインテルに入団した時には度肝を抜かれました。
(「ほんまにインテル入ってるやん!」より)
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芸能界屈指のサッカー通として知られる橋本は、サッカー少年だった頃から日本代表の躍動に胸を躍らせてきたという。エッセイでは、「日本サッカー史」への巧みなツッコミとともに、進化の歴史を辿っている。
1993年5月にJリーグが開幕。同年10月、カタールのドーハで開催されたのが、アメリカワールドカップのアジア最終予選でした。(中略)中学1年生になっていた僕が深夜にテレビにかじりつきこの運命の一戦を観ているものだから、小さな布を縫い合わせるパッチワーク作業をしていた母親も、片手間にテレビで観戦しはじめる。僕がこの試合の持つ重要性を説明すると、いつの間にか母親もパッチワークの手を止めて、後半は息を呑むようにこの試合の進捗に一喜一憂していました。
(母親も思わず叫んだ「ドーハの悲劇」より)
昔はサッカー日本代表の事を「全日本」と呼んでいました。やがて呼び名は「日本代表」に変わり、それが今では「サムライブルー」ですからね。すごい変化です。(中略)日本サッカーの進化は凄まじく、今や漫画の世界のキャプテン翼を現実が追い越してしまった感さえあります。日本代表は海外組で埋め尽くされるようになりましたし、長友佑都選手がインテルに入団した時には度肝を抜かれました。
(「ほんまにインテル入ってるやん!」より)
2026/06/17