50歳を迎えた青木さやかが、等身大の自分を見つめて率直につづったエッセイ本『50歳。はじまりの音しか聞こえない』(世界文化社刊)。勝ち組になれなかった駆け出しのころの心境や、「どこ見てんのよ!」というキレ芸が生まれたきっかけ、バツイチでシングルマザーという現状、マッチングアプリの体験談など赤裸々に明かしている。ここでは同書から、青木がつづったエピソードを一部抜粋。「女性をウリにするしかなかった」というブレイク当時の思いを語った内容を紹介する。
■“オンナを出す”が使えず…「オトコと競争することにした」
わたしは、名古屋でタレントになった。と言っても仕事がたくさんあるわけではなく、ちらほらとイベントMCや、太平洋フェリーの船内MC、キャラクターショーの司会、選挙のウグイス嬢をやっていた。
いつも多くのタレントたちと仕事を取り合うのだ。まず会社のマネージャーに覚えてもらわなくてはならない、オーディションに呼んでもらえるメンバーに選ばれなくてはならない、現地でスタッフさんに次も呼ぼうと思ってもらわなければならない、まあ、仕事とはそういうもんだが、それは競争に勝ち抜いてこそ残っていけるものだと信じて疑わなかった。司会のスキルは低かった。人間的なとっつきやすさは、ない方だった。
女性をウリにするのは、当たり前だった。
そんな部分で仕事とりたくないんだけど、なんて言いっこなしよ、というのはわかってた。わたしも、うまくやりたかった。男たちを褒めながら、触りながら、触られながら、バカにされながら、気に入られながら、持ち上げながら、時に落としながら、下ネタに笑いながら、乗っかりながら、乗っかり過ぎないようにしながら、帰りはタクシー代をもらいながら、男たちが帰ったあとは、コンパニオン仲間と「バカみたいなオトコ、簡単」と言いながら電車で帰る、それが楽にできたらどんなに良かっただろうか。
それができていたら、まだ地元にいたかもしれない。できないから次をさがした、だって、うまくできないんだもの。別に、そのオトコたちが憎かったわけでなくて、わたしは、うまくやりたかっただけで、たとえ好きなオトコにだって難しいんだ、わたしは。
テレビの中では、"男女平等"を声高に叫んでいる。"男女平等"とは、一体なんだろう。
上京したって、状況は変わらなかった。飲みに行けば、触り触られの世界だったし、気に入られないと呼んでもらえないこともあれば、同じような状況で「女性として真剣に気に入っている」というようなことになることもあり、わたしには、男女の機微は全くわからなかった。お酒の席での男女の雰囲気とは、どちらに進むかわからないのか、もしくはわたしが疎すぎるだけなのか。
「オトコは傷つきやすいんだからさ」と言われたって、お酒ガンガン飲んで、触って、怒鳴って、謝って、甘えて、また怒鳴って、つぶれる。そんなオトコたち、せめて傷ついてくんないかな。なにしろ、わたしは男心がわからない。だから仕事で上に上がっていく手段、「オンナを出す」。これはわたしには使えなかった。
わたしは、オトコと競争することにした。オトコに好かれるオンナはムリだから、オトコを追い抜かせばいい。こんな考えをもつわたしは、オトコたちにとって目の上のたんこぶだったと思う。仕方なかった。成功しなきゃならないし、うまくホステスできないし。
飲み会の席や電車の中でのオトコの視線には辟易していた。自意識過剰で被害者意識の強いわたしにピッタリのギャグが見つかった。
「どこ見てんのよ!」
秀逸なギャグ、心の叫びであった。わたしは、競争して勝ち抜いて上っていった。きっとあの瞬間、日本一有名になった。上りつめたとき、わたしは思った。
勝った。
全然楽しくない。
■プロフィール
青木さやか/タレント、俳優、司会者。1973年愛知県生まれ。「どこ見てんのよ?」の決め台詞でブレイク。その後バラエティ番組や数々のドラマ出演で活躍。NHK『あさイチ』やテレビ東京系『なないろ日和』にも出演している。舞台出演、講演も行う。仲間との動物保護活動にも力を入れている。2021年刊のエッセイ集『母』(中央公論新社)が版を重ねた。他の著書に『厄介なオンナ』(大和書房刊)、『母が嫌いだったわたしが母になった』(KADOKAWA刊)がある。
■50歳になった青木さやかが、等身大の自分を率直に綴った書き下ろしエッセイ集
『50歳。はじまりの音しか聞こえない』(世界文化社)
■“オンナを出す”が使えず…「オトコと競争することにした」
わたしは、名古屋でタレントになった。と言っても仕事がたくさんあるわけではなく、ちらほらとイベントMCや、太平洋フェリーの船内MC、キャラクターショーの司会、選挙のウグイス嬢をやっていた。
いつも多くのタレントたちと仕事を取り合うのだ。まず会社のマネージャーに覚えてもらわなくてはならない、オーディションに呼んでもらえるメンバーに選ばれなくてはならない、現地でスタッフさんに次も呼ぼうと思ってもらわなければならない、まあ、仕事とはそういうもんだが、それは競争に勝ち抜いてこそ残っていけるものだと信じて疑わなかった。司会のスキルは低かった。人間的なとっつきやすさは、ない方だった。
女性をウリにするのは、当たり前だった。
そんな部分で仕事とりたくないんだけど、なんて言いっこなしよ、というのはわかってた。わたしも、うまくやりたかった。男たちを褒めながら、触りながら、触られながら、バカにされながら、気に入られながら、持ち上げながら、時に落としながら、下ネタに笑いながら、乗っかりながら、乗っかり過ぎないようにしながら、帰りはタクシー代をもらいながら、男たちが帰ったあとは、コンパニオン仲間と「バカみたいなオトコ、簡単」と言いながら電車で帰る、それが楽にできたらどんなに良かっただろうか。
それができていたら、まだ地元にいたかもしれない。できないから次をさがした、だって、うまくできないんだもの。別に、そのオトコたちが憎かったわけでなくて、わたしは、うまくやりたかっただけで、たとえ好きなオトコにだって難しいんだ、わたしは。
テレビの中では、"男女平等"を声高に叫んでいる。"男女平等"とは、一体なんだろう。
上京したって、状況は変わらなかった。飲みに行けば、触り触られの世界だったし、気に入られないと呼んでもらえないこともあれば、同じような状況で「女性として真剣に気に入っている」というようなことになることもあり、わたしには、男女の機微は全くわからなかった。お酒の席での男女の雰囲気とは、どちらに進むかわからないのか、もしくはわたしが疎すぎるだけなのか。
「オトコは傷つきやすいんだからさ」と言われたって、お酒ガンガン飲んで、触って、怒鳴って、謝って、甘えて、また怒鳴って、つぶれる。そんなオトコたち、せめて傷ついてくんないかな。なにしろ、わたしは男心がわからない。だから仕事で上に上がっていく手段、「オンナを出す」。これはわたしには使えなかった。
わたしは、オトコと競争することにした。オトコに好かれるオンナはムリだから、オトコを追い抜かせばいい。こんな考えをもつわたしは、オトコたちにとって目の上のたんこぶだったと思う。仕方なかった。成功しなきゃならないし、うまくホステスできないし。
飲み会の席や電車の中でのオトコの視線には辟易していた。自意識過剰で被害者意識の強いわたしにピッタリのギャグが見つかった。
「どこ見てんのよ!」
秀逸なギャグ、心の叫びであった。わたしは、競争して勝ち抜いて上っていった。きっとあの瞬間、日本一有名になった。上りつめたとき、わたしは思った。
勝った。
全然楽しくない。
■プロフィール
青木さやか/タレント、俳優、司会者。1973年愛知県生まれ。「どこ見てんのよ?」の決め台詞でブレイク。その後バラエティ番組や数々のドラマ出演で活躍。NHK『あさイチ』やテレビ東京系『なないろ日和』にも出演している。舞台出演、講演も行う。仲間との動物保護活動にも力を入れている。2021年刊のエッセイ集『母』(中央公論新社)が版を重ねた。他の著書に『厄介なオンナ』(大和書房刊)、『母が嫌いだったわたしが母になった』(KADOKAWA刊)がある。
■50歳になった青木さやかが、等身大の自分を率直に綴った書き下ろしエッセイ集
『50歳。はじまりの音しか聞こえない』(世界文化社)
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2024/01/26