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吉本新喜劇・池乃めだか、桑原和男さんしのぶ「残念で仕方がないです」

 吉本新喜劇座員の桑原和男(くわばら・かずお、本名:九原一三、くはら・かずみ)さんが8月10日老衰のため、神戸市内の病院で死去した。87歳だった。訃報を受け、吉本新喜劇の池乃めだかが11日、吉本興業を通じてコメントを発表した。

吉本新喜劇座員の桑原和男さん

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 池乃めだかは「丁度昨日、お兄さん元気にしてるかな?と思っていた所でした。僕が新喜劇に入った頃からご指導を受け、大変お世話になった大先輩でした。1日でも長く生きてほしいと願っていましたが、残念で仕方がないです。ご冥福をお祈りします」と追悼した。

 また、きょう11日には、吉本新喜劇GM・間寛平をはじめ、内場勝則川畑泰史も桑原さんを追悼した。

 間は「桑原兄さんが新喜劇の中で一番年配で歴も上で、その次に自分、その後めだかちゃん、末成由美ちゃんでした。ぼくは桑原兄さんの座にいれてもらってました。その時は何も怒らない。好きなようにさせてくれました。桑原兄さんも好きなようにやるしマイペースな人でした。長いこと新喜劇をささえてきてくれて本当にお疲れ様でした。これからは桑原兄さんの分もみんなで頑張っていきたいと思います」としのんだ。

 内場は「また一人吉本新喜劇のレジェンドが遠くへ逝かれました。吉本新喜劇創成期から活躍され、やめよッカナ?キャンペーンからその後の吉本新喜劇でも我々を支え、時には厳しく、時には若手に混じり髪の毛を金髪にしたりお茶目なところもあり、第一線を走り続けてこられました」。

 「舞台にこだわり続けた本当の喜劇役者。寂しいですが笑ってさよならと言います。『ごめんください、どなたですか?後輩の内場です、ゆっくりお休み下さい、ありがとう〜』よろしくお願いします『神さま〜!』ご冥福をお祈りします」としのんだ。

 川畑泰史は「『売れようと思った事は1回もない、ただ笑いが好きでお芝居が好きなだけでやってきた』昔、仰ってた大好きな言葉です皆で受け継いでいきます」と、天国の桑原さんに誓った。

 桑原さんは、福岡県小倉市(現北九州市)出身。1955年、高校卒業後、教師を志し、福岡の教育大学を受験したのち、大阪で夢路いとし・喜味こいしに弟子入りし、同年に新芸座に入った。

 翌1956年、秋田實が立ち上げた上方演芸株式会社発足と同時に漫才師となり、「原こちら」の芸名で漫才の舞台に。3回のコンビ別れを経験。3人目の相方は平参平で、地方巡業も行った。

 1961年、吉本新喜劇に前身「吉本ヴァラエティ」に入団、1970年代に座長に抜てき。1989年の『吉本新喜劇やめよッカナ?キャンペーン』ではベテランとして残留し、新喜劇の復活を支えた。1992年『上方お笑い大賞』金賞を受賞している。

 2000年7月に急性心筋梗塞で手術し入院、静養を経て2000年12月に舞台復帰を果した。その後、体調に配慮しながら活動を続け、2018、19年には『コヤブソニック』、2019年3月には『60周年だよ!よしもと新喜劇』に出演。2020年10月の『よしもと大笑い祭り寄席』が最後の舞台となった。最近では、2022年11月になんばグランド花月に来場し、車いすで新喜劇を観覧した。

 座長時代までは普通の好青年役を多く務めたが、その後は小柄でやさしい顔立ちであることから、母親役やおばあさん役といったいわゆる女形「桑原和子」を務め、和子ばあちゃんは新喜劇ファンならずとも関西ではお馴じみのキャラクターになった。

 代表的なギャグは「ごめんください!(どなたですか?…)(お入りください)ありがとう」や、垂れ乳を取り出し自分で揉みだす一人芝居のほか、ツィゴイネルワイゼンのBGMに合わせて「神様、神様〜!」と一人しゃべりを始めるものなど、記憶に残るものが多数ある。

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