2002年〜03年にかけて放送されたスーパー戦隊シリーズ第26作『忍風戦隊ハリケンジャー』の放送20周年を受け、新作Vシネクスト『忍風戦隊ハリケンジャーでござる!シュシュッと20th anniversary』が製作された。ORICON NEWSでは、ハリケンイエロー/尾藤吼太・吼太郎役の山本康平(42)にインタビュー。縁の下の力持ちとして支えた本作の裏側を明かしてくれた。
■構想3年で完成した20周年記念作 先輩からの熱量感じた20年前の撮影秘話
『忍風戦隊ハリケンジャー』のキャッチコピーは「人も知らず 世も知らず影となりて悪を討つ!」で2013年には、番組終了から10周年を記念して、Vシネマによる続編『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』が制作された。テレビシリーズから20年、10 YEARS AFTERから10年。20周年で『ハリケンジャー』新作オリジナル作品が誕生した。期間限定で劇場上映中、10月25日にはBlu-ray&DVDがリリースされ、通常版のほか「大江戸メダル版」も同時発売となる。
――10周年に続き、20周年企画も立ち上がりました。
【山本】『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』というものがあって、それから10年経って20周年で『忍風戦隊ハリケンジャーでござる!シュシュッと20th anniversary』という企画が立ち上がった。10 YEARSは“AFTER”だったので、20周年は『ハリケンジャー』20周年の間というタイミングでやりたかったんですが、また『アバレンジャー』の20周年に割り込んでしまった(笑)。3年ぐらい前から企画を持ち込んでいたので本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです(笑)。
――3年前に企画を持ち込んだ経緯は?
【山本】2019年に放送された『仮面ライダージオウ』のスピンオフ作品だった『RIDER TIME 仮面ライダーシノビ』(TTFCで配信中、2022年から来た未来の仮面ライダーという設定)という作品に『ハリケンジャー』でクワガライジャー/霞一鍬・一牙役の姜暢雄くんが出ていた。『手裏剣戦隊ニンニンジャー』に出ていた多和田(任益)くんも。2022年2月22日の「ニンニンニンニンニンの日」に“忍者”集結にして、『仮面ライダーシノビ』も出して『ハリケンジャー』プレゼンツの作品ができないか、っていうのが最初の思惑でした(笑)。そんな企画書でしたね。「それは無理でしょ」と、いろいろありながらも単独で20周年企画をやらせてもらえて、ホッとしたのと、ありがたい気持ちでした。
――今はスーパー戦隊、仮面ライダーで周年記念作品を作ることが当たり前となっています。その流れは『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』からです。
【山本】僕らが『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』をやれたのは、スーパー戦隊35周年記念作品だった『海賊戦隊ゴーカイジャー』に『ハリケンジャー』は塩谷瞬、長澤奈央、山本康平と3人で出たんです。『ハリケンジャー』って面白い、ハリケンジャー3人、ゴウライジャーが2人、シュリケンジャーが1人と3つの流派がいるんです。5人呼ばなきゃいけないところが3人で済むメリットをうまく使ってくれました。さらに、『ハリケンジャー』の運がいいのが日笠淳さん、塚田英明さん、宇都宮孝明さんという3人のプロデューサーとつながりがあり続けた。『ゴーカイジャー』に出て、打ち上げに行って、プロデューサー陣を捕まえて(笑)。レッドとブルーは情熱の人だから「やりたい!」だけ言うんです(笑)。それだけだと形にならないだろうなと思っていた。
話は前後するんですが『ハリケンジャー』で、もう1つ面白いのがシュリケンジャーというキャラクターが歴代の先輩方が演じてくださった。その方たちが自分たちのスーパー戦隊への熱い思いを僕らにぶつけて帰っていったんですよ。現役からすると驚くぐらいの熱量で(笑)。そんな先輩たちとの触れ合いもあって、その方たちが「もう1回、スーパー戦隊をやりたいんだ」って話をしていた。僕は『ハリケンジャー』がデビュー作だったこともあって、その話をすごく覚えていたんです。10周年の際に、そんなことを思い出して、なんで作品にならないんだろうと考えたんです。あとは、長澤奈央が「どうしても『ハリケンジャー』をもう1回やりたい」って、ずっと言っていて。瞬なんかは『ハリケンジャー』が始まる前から「『2』をやりたい」って言ってるぐらいですから(笑)。そういう熱い思いを日笠さんに言うだけ言ったので、「僕が脚本書くので、やる方向に向かってもらえませんか?」と伝えました。
そこから1年間掛けて、日笠さんと『ハリケンジャー』10周年の企画をするための脚本作りから始まりました。夜中の2時とかまで脚本直しとかを手伝ってくれた。僕もしつこいし、諦めが悪いし(笑)。長澤奈央から脚本について「面白いよ!」って連絡も来て。長澤奈央の手のひらの上で転がらせて実行部隊として動いてました(笑)。『ハリケンジャー』のまんまなんですよ。レッドとブルーが突っ走って、イエローが1.5列目で縁の下の力持ちっていうのができあがってましたね(笑)。
■伏線は『純烈ジャー』? 京都での撮影裏話も「姜くんが、おみくじで凶を…」
――その後の周年記念作品は『ハリケンジャー』があったからこそです。
【山本】そう言っていただけるとうれしいですね。もともと(白川)裕二郎とノブ(姜暢雄)が言っていたんですけど、10周年をやるからには後輩が「やりたい!」と思った時にできる先駆者になれれば、と言ってくれて。それもあってゴウライジャーの2人も参加してくれた。実は、あの2人は表立っては“オワライジャー”みたいに振る舞ってますけど、ちゃんといろいろなことを思って協力してくれている。あの2人は「お前らほどの熱量はない」とか言いますけど(笑)。
――『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』以降、先輩や後輩からできた理由を聞かれたりしましたか?
【山本】「なんで、お前らだけできるんだ?」って、すごい言われましたね(笑)。スーパー戦隊の人気作品はいっぱいあるのに、「なぜ『ハリケンジャー』なんだ」って感じる人はいると思います。もう、そこは情熱、粘り強さ、諦めの悪さ、と言うしかないですね。あとはスタッフさんと仲良くてコミュニケーションが取れたのも大きいかな。あとは全員、芸能界を辞めていなかったですし。実は15周年でも、企画を持っていったり、絶えず持っていってました。『電光石火ゴウライジャー』も持っていきましたね。やり続けているから、どこかしらで引っかかったと思います。10周年の時は純烈が今ほどの人気はなかったので、20周年ではどう裕二郎のスケジュールを抑えるか、という問題もありました。それでできたのが『スーパー戦闘 純烈ジャー』だったりもするんです。酒井(一圭)くんに「何かやりたいことない?」って聞いて「映画がやりたい」と。東映さんサイドも純烈さんと何かやりたいっていうのを聞いてもいたので、どうにかつなげようと頑張りました。そしたら酒井くんが「こんなの言ってくることないんだから、何か魂胆があるだろ?」って言われて、「20周年をやりたいと長澤さんが言っているので、白川さんのスケジュールを何日かでいいのでもらいたいです」と(笑)。それで、『純烈ジャー』を頑張って作りました(笑)。
――スケジュールの確保からとは、本当に縁の下の力持ちですね(笑)。
【山本】この3年、土台作りから頑張りました(笑)。だって、青い人は「やりたい」ってパッションだけなんですもん…(笑)。あとは『アバレンジャー』もやりたいっていう話も聞いていたので、それもよかったです。あとはシュリケンジャーの声をやられていた松野太紀さんも絶対に出ていただきたかったんです。共演できて松野さんも喜んでくださったので、それも何よりうれしかったです。
――『ハリケンジャー』を見たことがある人、まだ見ていない人も楽しんでいただける作品になりました。
【山本】子どもが見ても面白い作品になったと思います。『ハリケンジャー』はチャレンジの作品。歴史ある京都の撮影所で時代劇を合わせるのもハマったと思います。『ハリケンジャー』は京都での撮影がなかったんです。以降の作品は京都で撮影していることも多かったので、行けなかった20年前の悔しさを晴らすような作品だったと思います。
――京都での思い出はありますか?
【山本】みんなでご飯したんですけど、そこにハリケンブルーのスーツアクターだった小野友紀ちゃんが来てくれたんです。もうJACさんを辞めて、京都に住まれていて。懐かしかったです。今も撮影所にいるJACのアクターさんとは違った感覚で楽しかったです。瞬は仕事でいないタイミングだったんですけど、残りの4人で清水寺に行って観光しました。姜くんが、おみくじで凶を引いたり(笑)。ミラクルでした。恥ずかしげもなく、ポーズして写真も取ったりしました。大人の夏休みって裕二郎は言ってました。いい休みになりまし…、休みじゃなかった!仕事だった(笑)。
――周年企画をやりたい後輩たちにメッセージを。
【山本】やりたいか、やりたくないか、だけだと思います。10周年、20周年で節目をやる土台はできたと思います。集まった時に感じるものって、やっぱりあるんです。1年間、頑張ったメンバーと10年、20年経って、また集まると発見できることが違うんです。やりたかったら情熱でできると思います。東映さんは、そういう思いをかなえてくれる会社でもあると思います。俺は、もう大変だったから、もういいかな(笑)。次やりたいって言ったら、赤の人と青の人に頑張ってもらって便乗します(笑)。
■構想3年で完成した20周年記念作 先輩からの熱量感じた20年前の撮影秘話
『忍風戦隊ハリケンジャー』のキャッチコピーは「人も知らず 世も知らず影となりて悪を討つ!」で2013年には、番組終了から10周年を記念して、Vシネマによる続編『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』が制作された。テレビシリーズから20年、10 YEARS AFTERから10年。20周年で『ハリケンジャー』新作オリジナル作品が誕生した。期間限定で劇場上映中、10月25日にはBlu-ray&DVDがリリースされ、通常版のほか「大江戸メダル版」も同時発売となる。
――10周年に続き、20周年企画も立ち上がりました。
【山本】『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』というものがあって、それから10年経って20周年で『忍風戦隊ハリケンジャーでござる!シュシュッと20th anniversary』という企画が立ち上がった。10 YEARSは“AFTER”だったので、20周年は『ハリケンジャー』20周年の間というタイミングでやりたかったんですが、また『アバレンジャー』の20周年に割り込んでしまった(笑)。3年ぐらい前から企画を持ち込んでいたので本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです(笑)。
――3年前に企画を持ち込んだ経緯は?
【山本】2019年に放送された『仮面ライダージオウ』のスピンオフ作品だった『RIDER TIME 仮面ライダーシノビ』(TTFCで配信中、2022年から来た未来の仮面ライダーという設定)という作品に『ハリケンジャー』でクワガライジャー/霞一鍬・一牙役の姜暢雄くんが出ていた。『手裏剣戦隊ニンニンジャー』に出ていた多和田(任益)くんも。2022年2月22日の「ニンニンニンニンニンの日」に“忍者”集結にして、『仮面ライダーシノビ』も出して『ハリケンジャー』プレゼンツの作品ができないか、っていうのが最初の思惑でした(笑)。そんな企画書でしたね。「それは無理でしょ」と、いろいろありながらも単独で20周年企画をやらせてもらえて、ホッとしたのと、ありがたい気持ちでした。
――今はスーパー戦隊、仮面ライダーで周年記念作品を作ることが当たり前となっています。その流れは『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』からです。
【山本】僕らが『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』をやれたのは、スーパー戦隊35周年記念作品だった『海賊戦隊ゴーカイジャー』に『ハリケンジャー』は塩谷瞬、長澤奈央、山本康平と3人で出たんです。『ハリケンジャー』って面白い、ハリケンジャー3人、ゴウライジャーが2人、シュリケンジャーが1人と3つの流派がいるんです。5人呼ばなきゃいけないところが3人で済むメリットをうまく使ってくれました。さらに、『ハリケンジャー』の運がいいのが日笠淳さん、塚田英明さん、宇都宮孝明さんという3人のプロデューサーとつながりがあり続けた。『ゴーカイジャー』に出て、打ち上げに行って、プロデューサー陣を捕まえて(笑)。レッドとブルーは情熱の人だから「やりたい!」だけ言うんです(笑)。それだけだと形にならないだろうなと思っていた。
話は前後するんですが『ハリケンジャー』で、もう1つ面白いのがシュリケンジャーというキャラクターが歴代の先輩方が演じてくださった。その方たちが自分たちのスーパー戦隊への熱い思いを僕らにぶつけて帰っていったんですよ。現役からすると驚くぐらいの熱量で(笑)。そんな先輩たちとの触れ合いもあって、その方たちが「もう1回、スーパー戦隊をやりたいんだ」って話をしていた。僕は『ハリケンジャー』がデビュー作だったこともあって、その話をすごく覚えていたんです。10周年の際に、そんなことを思い出して、なんで作品にならないんだろうと考えたんです。あとは、長澤奈央が「どうしても『ハリケンジャー』をもう1回やりたい」って、ずっと言っていて。瞬なんかは『ハリケンジャー』が始まる前から「『2』をやりたい」って言ってるぐらいですから(笑)。そういう熱い思いを日笠さんに言うだけ言ったので、「僕が脚本書くので、やる方向に向かってもらえませんか?」と伝えました。
そこから1年間掛けて、日笠さんと『ハリケンジャー』10周年の企画をするための脚本作りから始まりました。夜中の2時とかまで脚本直しとかを手伝ってくれた。僕もしつこいし、諦めが悪いし(笑)。長澤奈央から脚本について「面白いよ!」って連絡も来て。長澤奈央の手のひらの上で転がらせて実行部隊として動いてました(笑)。『ハリケンジャー』のまんまなんですよ。レッドとブルーが突っ走って、イエローが1.5列目で縁の下の力持ちっていうのができあがってましたね(笑)。
■伏線は『純烈ジャー』? 京都での撮影裏話も「姜くんが、おみくじで凶を…」
【山本】そう言っていただけるとうれしいですね。もともと(白川)裕二郎とノブ(姜暢雄)が言っていたんですけど、10周年をやるからには後輩が「やりたい!」と思った時にできる先駆者になれれば、と言ってくれて。それもあってゴウライジャーの2人も参加してくれた。実は、あの2人は表立っては“オワライジャー”みたいに振る舞ってますけど、ちゃんといろいろなことを思って協力してくれている。あの2人は「お前らほどの熱量はない」とか言いますけど(笑)。
――『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』以降、先輩や後輩からできた理由を聞かれたりしましたか?
【山本】「なんで、お前らだけできるんだ?」って、すごい言われましたね(笑)。スーパー戦隊の人気作品はいっぱいあるのに、「なぜ『ハリケンジャー』なんだ」って感じる人はいると思います。もう、そこは情熱、粘り強さ、諦めの悪さ、と言うしかないですね。あとはスタッフさんと仲良くてコミュニケーションが取れたのも大きいかな。あとは全員、芸能界を辞めていなかったですし。実は15周年でも、企画を持っていったり、絶えず持っていってました。『電光石火ゴウライジャー』も持っていきましたね。やり続けているから、どこかしらで引っかかったと思います。10周年の時は純烈が今ほどの人気はなかったので、20周年ではどう裕二郎のスケジュールを抑えるか、という問題もありました。それでできたのが『スーパー戦闘 純烈ジャー』だったりもするんです。酒井(一圭)くんに「何かやりたいことない?」って聞いて「映画がやりたい」と。東映さんサイドも純烈さんと何かやりたいっていうのを聞いてもいたので、どうにかつなげようと頑張りました。そしたら酒井くんが「こんなの言ってくることないんだから、何か魂胆があるだろ?」って言われて、「20周年をやりたいと長澤さんが言っているので、白川さんのスケジュールを何日かでいいのでもらいたいです」と(笑)。それで、『純烈ジャー』を頑張って作りました(笑)。
――スケジュールの確保からとは、本当に縁の下の力持ちですね(笑)。
【山本】この3年、土台作りから頑張りました(笑)。だって、青い人は「やりたい」ってパッションだけなんですもん…(笑)。あとは『アバレンジャー』もやりたいっていう話も聞いていたので、それもよかったです。あとはシュリケンジャーの声をやられていた松野太紀さんも絶対に出ていただきたかったんです。共演できて松野さんも喜んでくださったので、それも何よりうれしかったです。
――『ハリケンジャー』を見たことがある人、まだ見ていない人も楽しんでいただける作品になりました。
【山本】子どもが見ても面白い作品になったと思います。『ハリケンジャー』はチャレンジの作品。歴史ある京都の撮影所で時代劇を合わせるのもハマったと思います。『ハリケンジャー』は京都での撮影がなかったんです。以降の作品は京都で撮影していることも多かったので、行けなかった20年前の悔しさを晴らすような作品だったと思います。
――京都での思い出はありますか?
【山本】みんなでご飯したんですけど、そこにハリケンブルーのスーツアクターだった小野友紀ちゃんが来てくれたんです。もうJACさんを辞めて、京都に住まれていて。懐かしかったです。今も撮影所にいるJACのアクターさんとは違った感覚で楽しかったです。瞬は仕事でいないタイミングだったんですけど、残りの4人で清水寺に行って観光しました。姜くんが、おみくじで凶を引いたり(笑)。ミラクルでした。恥ずかしげもなく、ポーズして写真も取ったりしました。大人の夏休みって裕二郎は言ってました。いい休みになりまし…、休みじゃなかった!仕事だった(笑)。
――周年企画をやりたい後輩たちにメッセージを。
【山本】やりたいか、やりたくないか、だけだと思います。10周年、20周年で節目をやる土台はできたと思います。集まった時に感じるものって、やっぱりあるんです。1年間、頑張ったメンバーと10年、20年経って、また集まると発見できることが違うんです。やりたかったら情熱でできると思います。東映さんは、そういう思いをかなえてくれる会社でもあると思います。俺は、もう大変だったから、もういいかな(笑)。次やりたいって言ったら、赤の人と青の人に頑張ってもらって便乗します(笑)。
2023/07/02