5歳でマジックと出会い、そこから「マジシャンになる」とブレることなく夢を現実にしたイリュージョニストのHARA。「『もののけ姫』に登場する深い森のような場所」に住んでいたという少年が、独学でマジックを勉強し、アメリカ・ラスベガスにて開催されたマジックの世界大会『World Magic Seminar Teens contest』で日本人初のグランプリ受賞という快挙を成し遂げた。そこにはどんな道のりがあったのだろうか――本人に話を聞いた。
マジックとの出会いは5歳。家族で東京に来たとき、母親が以前住んでいた街に行こうということになって出向いた井の頭公園で、シャボン玉をガラスの玉に変えるマジックを披露していたピエロに遭遇し、HARA少年は目を輝かせた。
「いまでも鮮明に記憶に残っています。もちろんそれまで生でマジックを見た経験はありませんでしたので、それがマジックであるかも分かっていませんでしたが、本当に魔法使いがいたという感覚でした。普通はシャボン玉を作っても、すぐ割れちゃうじゃないですか(笑)」。
興奮冷めやらぬまま自宅に戻ったものの、HARAが住んでいた場所は奈良県十津川村という場所。本人曰く、映画『もののけ姫』に出てくるような深い森が一面に広がるような場所で、周囲にマジックグッズを買えるような店もない。
「5歳のクリスマスに、サンタさんに『ミニカーが欲しい』とお願いしたら、朝起きると枕元に木の切れ端と小型の刃物が置いてあったんです。要するに欲しいなら自分で作れと(笑)。そこからは創意工夫して自分でいろいろなものを作っていきました。あとは当時テレビに出ていたMr.マリックさんや、関西だとジョニー広瀬さんなどのショーをビデオに録画して、コマ送りしたり逆再生したり、何度も見てまねごとをしていました」。
完全なる独学でマジックを体感していったHARAだが、すでに小学校2年生のとき、両親には「マジシャンになる」と宣言していたという。
「小学校2年生のお楽しみ会で、マジックをやったら、好きな女の子の反応が良くて。クラスの友達とかもみんな『すごいじゃん』と言ってくれて、一瞬にしてヒーローになった気分だったんです。その日の夜には、親に『将来マジシャンになるので、学校の成績が悪くても勘弁して』と予防線を張っていました(笑)」。
幼少期に衝撃を受けた出会いから、自身の道が決まり、ブレずに突き進む。まさに絵に描いたようなサクセスストーリーに感じられるが、自身には大きなコンプレックスがあった。それは手先が器用ではないということ。
「マジシャンというと手先が器用なイメージがあるかもしれませんが、僕は死ぬほど手先が不器用なんです。でも実はいまプロで活躍されている人の多くは、不器用な方が多いんです。なぜかというと、手先が器用な人って、教則本などを速攻でマスターしてしまう。そうすると結構すぐに飽きちゃうんですよね。僕は本当に不器用で、しかも女性の手よりも小さいぐらいなので、トランプもまともに隠し持つことができないんです。だからこそ、どうしたらうまくできるのか、ものすごく考えましたし、努力もしました。そのおかげで創意工夫をする癖がついたと思うんです」。
不器用だからこそ、どうやったらうまくなれるかを考える。そしてそれを実行するのみ。
「とにかく場数を踏むこと。いつでもどこでも体にマジック道具をいっぱい仕込んでいました。あとは子どものころから毎日指が伸びろ〜と引っ張っていました。小学校3年生ぐらいからは、朝起きてからずっとコインを手のひらに持っているのですが、持っていないように隠す技を1日中やっていました。起きているときは常にコインを持って体に馴染ませるような訓練をしていました」。
いつのまにかすべてがマジックのために過ごす日常になっていった。もちろん大変なことも多々あるが、好きなこと情熱を注げるものはマジックしかない――という思いは、そんな苦労も、苦労と感じさせないだけの強さがあった。
「一番大好きだったものをやっているだけ。結果的に今は職業になっていますが、正直働いているという感覚は全くないんです。毎日が夏休みの自由研究をやっているみたい(笑)」。
純粋な思いは結果として大きく花開く。2009年にラスベガスで開催されたマジックの世界大会『World Magic Seminar Teens contest』で日本人初のグランプリを受賞し、その軌跡を追ったドキュメンタリー映画『Make Believe』は、ロサンゼルス国際映画祭でグランプリを獲得した。
「この大会で賞をいただくまでは、ショーに出ていても無名のマジシャンだったのですが、受賞後は『チャンピオンが来ました』と紹介されるんです。そこからは、世界中でショーをさせていただくことが増えましたが、同時に期待を上回らないといけないというプレッシャーは大きかったです」。
これまでとは格段に違うステージ。ショーを行う会場も大きくなり、周囲の目も変わってきた。
「メディア等に出させていただいているときは、ポジティブに見えるかもしれませんが、根はメチャクチャネガティブな人間なので、毎日失敗する夢も見ますし、プレッシャーで押しつぶされそうにもなります。でもやっぱり、ショーを見て驚いてくれたり、喜んでくれたりする子どもたちの顔を見ると、すごくうれしい気持ちになるので辞められません。大きな場所でショーをやらせていただけるのも、誰にでもできることではないので、日々逃げ出したいと思いながらも、感謝しながらやっています」。
そんなHARAの半生が、小説家・涌井学氏の執筆により、児童小説として出版されることになった。『マジックに出会って ぼくは生まれた-野生のマジシャン HARA 物語-』(小学館)がきょう14日に発売となる。
「お話をいただいたときは、ありがたいなと思いました。僕は子どものころ伝記を読むのが大好きで、エジソンやファーブルの本をよく読んでいたんです。僕自身も小学生低学年のとき、母親から『あなたがマジシャンとして叶えたいと思っている夢の年表を書きなさい』と言われていたんです。だから自分のこれまでのことが、小説として形になるなんて、非常に感激です」。
「マジシャンになる」という思いを実現させたHARA。そこには筆舌に尽くしがたい自身の努力はもちろんだが、周囲の人たちとの出会いも大きかったとしみじみ語る。
「なにもないところで育った僕には想像することしかできなかった。だからこそ、常にポケットにメモを持ち、思いついたアイデアを書き留めているんです。そしてなにか思いついたら、すぐにマネージャーに連絡して、それをどう具現化するか話し合います。僕が恵まれているのは、突飛なアイデアでも、真剣に向き合って現実にしようとしてくれる人が周りにいること。本当に人に恵まれていると思います」。
HARAには夢がある。それはマジックショーをアートのような極上のエンターテインメント空間として楽しんでもらうこと。
「世界30カ国ぐらいでショーをさせていただきましたが、海外ではマジックショーというのは、非現実を楽しめる優雅な時間という位置づけなんです。でも日本というのは、とかく種明かしに注目されることが多いんですよね。もちろん謎解きもいいのですが、僕のショーは、現実を忘れて非現実を楽しめるパフォーミングアートとして見ていただけたらうれしいなと思っているんです」。(取材・文・撮影:磯部正和)
マジックとの出会いは5歳。家族で東京に来たとき、母親が以前住んでいた街に行こうということになって出向いた井の頭公園で、シャボン玉をガラスの玉に変えるマジックを披露していたピエロに遭遇し、HARA少年は目を輝かせた。
興奮冷めやらぬまま自宅に戻ったものの、HARAが住んでいた場所は奈良県十津川村という場所。本人曰く、映画『もののけ姫』に出てくるような深い森が一面に広がるような場所で、周囲にマジックグッズを買えるような店もない。
「5歳のクリスマスに、サンタさんに『ミニカーが欲しい』とお願いしたら、朝起きると枕元に木の切れ端と小型の刃物が置いてあったんです。要するに欲しいなら自分で作れと(笑)。そこからは創意工夫して自分でいろいろなものを作っていきました。あとは当時テレビに出ていたMr.マリックさんや、関西だとジョニー広瀬さんなどのショーをビデオに録画して、コマ送りしたり逆再生したり、何度も見てまねごとをしていました」。
完全なる独学でマジックを体感していったHARAだが、すでに小学校2年生のとき、両親には「マジシャンになる」と宣言していたという。
「小学校2年生のお楽しみ会で、マジックをやったら、好きな女の子の反応が良くて。クラスの友達とかもみんな『すごいじゃん』と言ってくれて、一瞬にしてヒーローになった気分だったんです。その日の夜には、親に『将来マジシャンになるので、学校の成績が悪くても勘弁して』と予防線を張っていました(笑)」。
幼少期に衝撃を受けた出会いから、自身の道が決まり、ブレずに突き進む。まさに絵に描いたようなサクセスストーリーに感じられるが、自身には大きなコンプレックスがあった。それは手先が器用ではないということ。
「マジシャンというと手先が器用なイメージがあるかもしれませんが、僕は死ぬほど手先が不器用なんです。でも実はいまプロで活躍されている人の多くは、不器用な方が多いんです。なぜかというと、手先が器用な人って、教則本などを速攻でマスターしてしまう。そうすると結構すぐに飽きちゃうんですよね。僕は本当に不器用で、しかも女性の手よりも小さいぐらいなので、トランプもまともに隠し持つことができないんです。だからこそ、どうしたらうまくできるのか、ものすごく考えましたし、努力もしました。そのおかげで創意工夫をする癖がついたと思うんです」。
不器用だからこそ、どうやったらうまくなれるかを考える。そしてそれを実行するのみ。
「とにかく場数を踏むこと。いつでもどこでも体にマジック道具をいっぱい仕込んでいました。あとは子どものころから毎日指が伸びろ〜と引っ張っていました。小学校3年生ぐらいからは、朝起きてからずっとコインを手のひらに持っているのですが、持っていないように隠す技を1日中やっていました。起きているときは常にコインを持って体に馴染ませるような訓練をしていました」。
いつのまにかすべてがマジックのために過ごす日常になっていった。もちろん大変なことも多々あるが、好きなこと情熱を注げるものはマジックしかない――という思いは、そんな苦労も、苦労と感じさせないだけの強さがあった。
「一番大好きだったものをやっているだけ。結果的に今は職業になっていますが、正直働いているという感覚は全くないんです。毎日が夏休みの自由研究をやっているみたい(笑)」。
純粋な思いは結果として大きく花開く。2009年にラスベガスで開催されたマジックの世界大会『World Magic Seminar Teens contest』で日本人初のグランプリを受賞し、その軌跡を追ったドキュメンタリー映画『Make Believe』は、ロサンゼルス国際映画祭でグランプリを獲得した。
「この大会で賞をいただくまでは、ショーに出ていても無名のマジシャンだったのですが、受賞後は『チャンピオンが来ました』と紹介されるんです。そこからは、世界中でショーをさせていただくことが増えましたが、同時に期待を上回らないといけないというプレッシャーは大きかったです」。
これまでとは格段に違うステージ。ショーを行う会場も大きくなり、周囲の目も変わってきた。
「メディア等に出させていただいているときは、ポジティブに見えるかもしれませんが、根はメチャクチャネガティブな人間なので、毎日失敗する夢も見ますし、プレッシャーで押しつぶされそうにもなります。でもやっぱり、ショーを見て驚いてくれたり、喜んでくれたりする子どもたちの顔を見ると、すごくうれしい気持ちになるので辞められません。大きな場所でショーをやらせていただけるのも、誰にでもできることではないので、日々逃げ出したいと思いながらも、感謝しながらやっています」。
そんなHARAの半生が、小説家・涌井学氏の執筆により、児童小説として出版されることになった。『マジックに出会って ぼくは生まれた-野生のマジシャン HARA 物語-』(小学館)がきょう14日に発売となる。
「お話をいただいたときは、ありがたいなと思いました。僕は子どものころ伝記を読むのが大好きで、エジソンやファーブルの本をよく読んでいたんです。僕自身も小学生低学年のとき、母親から『あなたがマジシャンとして叶えたいと思っている夢の年表を書きなさい』と言われていたんです。だから自分のこれまでのことが、小説として形になるなんて、非常に感激です」。
「マジシャンになる」という思いを実現させたHARA。そこには筆舌に尽くしがたい自身の努力はもちろんだが、周囲の人たちとの出会いも大きかったとしみじみ語る。
「なにもないところで育った僕には想像することしかできなかった。だからこそ、常にポケットにメモを持ち、思いついたアイデアを書き留めているんです。そしてなにか思いついたら、すぐにマネージャーに連絡して、それをどう具現化するか話し合います。僕が恵まれているのは、突飛なアイデアでも、真剣に向き合って現実にしようとしてくれる人が周りにいること。本当に人に恵まれていると思います」。
HARAには夢がある。それはマジックショーをアートのような極上のエンターテインメント空間として楽しんでもらうこと。
「世界30カ国ぐらいでショーをさせていただきましたが、海外ではマジックショーというのは、非現実を楽しめる優雅な時間という位置づけなんです。でも日本というのは、とかく種明かしに注目されることが多いんですよね。もちろん謎解きもいいのですが、僕のショーは、現実を忘れて非現実を楽しめるパフォーミングアートとして見ていただけたらうれしいなと思っているんです」。(取材・文・撮影:磯部正和)
2022/03/14