「体いっぱいに筋肉が詰まっている」。筋肉コミュニケーション研究家で、プロテインマイスター(※プロテインの正しい知識を持ったタンパク質に関するスペシャリスト。一般社団法人日本プロテイン協会が認定する民間資格)のジャスティス岩倉(38)と対面した時の第一印象がそれだった。詳しく話を聞いてみると、自衛隊、格闘技挑戦、『ガキ使』出演、伊集院光との出会いなど、まさしく筋肉ひとつで道を切り拓いて生きてきた。
小中高とサッカー漬けの毎日で、前橋育英高校でプロを目指す日々だった。「その頃は、まだ今みたいにムキムキになっていないのですが、ベンチプレスやスクワットをやってみると、みるみる体が変わっていくのが楽しみになってきて、そこから筋トレの魅力にのめり込んでいきました」。サッカー一筋でやってきたジャスティスだったが、プロには進めず、同じ“脚”を使った競技である競輪選手を目指すも、試験の1週間前に事故で自転車が壊れてしまい「この訓練をもう1年続けるのは無理だ」と、その道も閉ざされた。
スポーツ一筋でやってきたジャスティスにとって、真っ暗に見えた進路の中で光となったのが“筋肉”だった。「サッカーと競輪で体をめちゃくちゃ鍛えてきたので、自分の体を使って国や社会に貢献したいという気持ちが芽生えてきました。自衛隊だと体を鍛えながら仕事にもなるので、自衛隊に入ることにしました」。厳格で規律正しい生活を2年ほど続け、充実した日々だったが、自衛隊を離れる決断をする。「自衛隊もスタミナが必要なので、体をそこまで大きくすることができなくて…。筋肉をつけながら働けるところを探してみたのですが、なかなか見つからなくて、組織で生きていくよりも、自分が本当にやりたいことである“筋肉”で自分の力を試してみたいと思うようになりました」。
そんな時、ふと目に止まったのが『K-1 WORLD MAX』で魔裟斗と闘った武田幸三だった。思い立ったらすぐ行動するジャスティスは、武田に会いに長野県から埼玉県三郷市のキックボックシングジム・治政館を訪れ、武田、そして館長の長江国政氏と話をして、住み込みで、昼間は鉄筋工、夜は治政館で体を鍛えることになる。「とにかく強くなりたい、魔裟斗さんを倒したい一心でハードな練習をして、筋肉をつけて、もっと体を大きくする予定だったのが、気づけば体重も自衛隊時代よりも減っていました(笑)。いざ、試合に出ると、すごく弱くて…。結局、3〜4ヶ月でジムをやめることになったんです」。
館長の長江氏に「筋肉をもっとでかくしたいので、やめます」と伝えたところ、怒られながらも「また何かあったら帰って来い」と温かい言葉で送り出された。そして、ついにジャスティスは“筋肉の聖地”ゴールドジムにたどり着く。「自衛隊時代の縁を頼りに、ボディーガードをしながら、ひたすら体を大きくしていました。ゴールドジムに行けば、小沼敏雄さん、山岸秀匡さんといったレジェンドの方々に会うことができて、まさに“筋肉で食べていく”人たちがたくさんいて、自分の目標が一気に近づいた感覚がありました」。そんな時に、キャスティング会社の人と出会ったことがきっかけで、2006年大みそかに放送された『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで! 絶対に笑ってはいけない警察24時』に“筋肉要因”として出演を果たした。
「筋肉刑事という役どころで出させてもらいました。一応エキストラだったのですが、僕のことを見て、ダウンタウンさんはじめ、みなさんが笑ってくださって『アウトー!』もいただきました(笑)。やっぱり、反響が大きくて、その時に『自分の筋肉が仕事になったんだ』っていう経験になりました」
その後、ココリコの遠藤章造とロンドンブーツ1号2号の田村淳の番組に出演した際には、淳から「筋肉芸人」という言葉を授かった。当初は本名で活動していたが、尊敬する高倉健さんの「倉」と、亡き父の遺言だった「正義に生きろ」を取り入れた「ジャスティス岩倉」という芸名で活動を行うことになった。「27〜28歳くらいの頃になりますかね、伊集院光さんのレギュラー番組に出演させていただくことになりました。伊集院さんは、僕のことを真剣に考えてくれて『芸人としていくのか、どういう方向がいいのか』という話をしてくれました。バイきんぐさん、メイプル超合金さん、ANZEN漫才さんといった芸人さんたちが、まだ売れる前で、ご一緒していました」。
そんな中、バラエティー番組の“ひな壇トーク”で、ふと挫折を味わった。「トークが瞬時に移り変わっていくのに、うまく対応できなくて、すごく疲れてしまって、もし自分が売れたりして、テレビに出させてもらうようになったら、これを毎日続けることは無理だと悟ったんです。これができる芸人さんって、すごいなと実感したと同時に、自分のこれからの進む道として、筋肉の知識をつけて、親父の遺言でもある“正義の筋肉”を突き詰めていきたいと考えるようになりました」。以降は、プロテインマイスターをはじめ、筋肉道をひた走ることになった。
筋肉とともに数奇な人生を送ったジャスティスは、今ではゴールドジムと共同でのマシン開発をはじめ、プロテイン作り、筋肉タレントのキャスティングなどを行っているが、これからも筋肉とともに歩みを進める。「筋肉について研究されている方はたくさんいらっしゃるので、そういったことを僕なりに伝えていくこともしていきたいですし、筋肉を通して笑顔を作っていきたいです」。
【ジャスティス岩倉】
筋肉タレント、ジャスティスプロジェクト代表、元陸上自衛隊狙撃手、1分間フライパン曲げ元世界記録保持者。ベンチプレスは200キロを挙げる。
小中高とサッカー漬けの毎日で、前橋育英高校でプロを目指す日々だった。「その頃は、まだ今みたいにムキムキになっていないのですが、ベンチプレスやスクワットをやってみると、みるみる体が変わっていくのが楽しみになってきて、そこから筋トレの魅力にのめり込んでいきました」。サッカー一筋でやってきたジャスティスだったが、プロには進めず、同じ“脚”を使った競技である競輪選手を目指すも、試験の1週間前に事故で自転車が壊れてしまい「この訓練をもう1年続けるのは無理だ」と、その道も閉ざされた。
スポーツ一筋でやってきたジャスティスにとって、真っ暗に見えた進路の中で光となったのが“筋肉”だった。「サッカーと競輪で体をめちゃくちゃ鍛えてきたので、自分の体を使って国や社会に貢献したいという気持ちが芽生えてきました。自衛隊だと体を鍛えながら仕事にもなるので、自衛隊に入ることにしました」。厳格で規律正しい生活を2年ほど続け、充実した日々だったが、自衛隊を離れる決断をする。「自衛隊もスタミナが必要なので、体をそこまで大きくすることができなくて…。筋肉をつけながら働けるところを探してみたのですが、なかなか見つからなくて、組織で生きていくよりも、自分が本当にやりたいことである“筋肉”で自分の力を試してみたいと思うようになりました」。
そんな時、ふと目に止まったのが『K-1 WORLD MAX』で魔裟斗と闘った武田幸三だった。思い立ったらすぐ行動するジャスティスは、武田に会いに長野県から埼玉県三郷市のキックボックシングジム・治政館を訪れ、武田、そして館長の長江国政氏と話をして、住み込みで、昼間は鉄筋工、夜は治政館で体を鍛えることになる。「とにかく強くなりたい、魔裟斗さんを倒したい一心でハードな練習をして、筋肉をつけて、もっと体を大きくする予定だったのが、気づけば体重も自衛隊時代よりも減っていました(笑)。いざ、試合に出ると、すごく弱くて…。結局、3〜4ヶ月でジムをやめることになったんです」。
館長の長江氏に「筋肉をもっとでかくしたいので、やめます」と伝えたところ、怒られながらも「また何かあったら帰って来い」と温かい言葉で送り出された。そして、ついにジャスティスは“筋肉の聖地”ゴールドジムにたどり着く。「自衛隊時代の縁を頼りに、ボディーガードをしながら、ひたすら体を大きくしていました。ゴールドジムに行けば、小沼敏雄さん、山岸秀匡さんといったレジェンドの方々に会うことができて、まさに“筋肉で食べていく”人たちがたくさんいて、自分の目標が一気に近づいた感覚がありました」。そんな時に、キャスティング会社の人と出会ったことがきっかけで、2006年大みそかに放送された『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで! 絶対に笑ってはいけない警察24時』に“筋肉要因”として出演を果たした。
「筋肉刑事という役どころで出させてもらいました。一応エキストラだったのですが、僕のことを見て、ダウンタウンさんはじめ、みなさんが笑ってくださって『アウトー!』もいただきました(笑)。やっぱり、反響が大きくて、その時に『自分の筋肉が仕事になったんだ』っていう経験になりました」
その後、ココリコの遠藤章造とロンドンブーツ1号2号の田村淳の番組に出演した際には、淳から「筋肉芸人」という言葉を授かった。当初は本名で活動していたが、尊敬する高倉健さんの「倉」と、亡き父の遺言だった「正義に生きろ」を取り入れた「ジャスティス岩倉」という芸名で活動を行うことになった。「27〜28歳くらいの頃になりますかね、伊集院光さんのレギュラー番組に出演させていただくことになりました。伊集院さんは、僕のことを真剣に考えてくれて『芸人としていくのか、どういう方向がいいのか』という話をしてくれました。バイきんぐさん、メイプル超合金さん、ANZEN漫才さんといった芸人さんたちが、まだ売れる前で、ご一緒していました」。
そんな中、バラエティー番組の“ひな壇トーク”で、ふと挫折を味わった。「トークが瞬時に移り変わっていくのに、うまく対応できなくて、すごく疲れてしまって、もし自分が売れたりして、テレビに出させてもらうようになったら、これを毎日続けることは無理だと悟ったんです。これができる芸人さんって、すごいなと実感したと同時に、自分のこれからの進む道として、筋肉の知識をつけて、親父の遺言でもある“正義の筋肉”を突き詰めていきたいと考えるようになりました」。以降は、プロテインマイスターをはじめ、筋肉道をひた走ることになった。
筋肉とともに数奇な人生を送ったジャスティスは、今ではゴールドジムと共同でのマシン開発をはじめ、プロテイン作り、筋肉タレントのキャスティングなどを行っているが、これからも筋肉とともに歩みを進める。「筋肉について研究されている方はたくさんいらっしゃるので、そういったことを僕なりに伝えていくこともしていきたいですし、筋肉を通して笑顔を作っていきたいです」。
【ジャスティス岩倉】
筋肉タレント、ジャスティスプロジェクト代表、元陸上自衛隊狙撃手、1分間フライパン曲げ元世界記録保持者。ベンチプレスは200キロを挙げる。
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2021/02/26