歌手・俳優の木村拓哉が、ドキュメンタリー番組のナレーションを初めて担当する。テレビ朝日系列の24局が週替わりで制作を担当しているドキュメンタリー番組枠「テレメンタリー」で今月10日(前4:30〜5:00)に放送される、愛媛朝日テレビ(eat)制作の「俺たちのミカン」。
2018年の西日本豪雨被害から復興を目指す、愛媛県宇和島市吉田町の農家を紹介。復興からその先の未来に向けて力強く歩み始めた日々を、若者たちを中心にリポートした内容に、木村がやさしくもあり、力強くもあるナレーションで寄り添っていく。
木村は昨年8月、西日本豪雨で被災した宇和島市吉田町を城島茂(TOKIO)らと訪問。住民らと交流し、被災地を元気付ける活動を行った。そんな縁もあり、吉田町の復興をテーマにした今回のドキュメンタリーを制作したeatが、木村にナレーションをオファー。木村も快諾して、実現した。
収録では映像を見ながら、登場する吉田町の人々への自らの思いを込めるように声を入れていった木村。まるで目の前にいる人に訴えかけるように両手を動かすなど、強い思い入れを感じさせる初ナレーションとなった。すべてのナレーションを終え、一通りのチェックを終えると、自ら「ここもう一回いいですか?」と撮り直しを願い出る場面もあったという。
収録後、取材スタッフから改めて宇和島市吉田町の現在の様子を真剣な眼差しで聞いていた木村。「なにかありましたら出来るだけ協力しますので、また声をかけてください」と木村らしい温かい言葉をかけスタジオを後にした。
■番組内容
愛媛ミカン発祥の地・宇和島市吉田町。西日本豪雨による土砂崩れで甚大な被害が出た。しかし、被災後すぐに若者たちが立ち上がった地区がある。農家の4人に1人が若手という玉津地区だ。若手農家たちは、自ら重機を動かして農道を復旧。さらにはクラウドファンディングを活用して寄付金を募り、スプリンクラーの復旧も行った。
10年前から若手が徐々に帰ってきたという玉津地区。いまでは農家180人中、45人が40歳未満の若手農家となっている。彼らの戻ってきた理由はさまざま。なぜ、一度は離れたふるさとに戻ったのか?そしてなぜ、農家という生き方を選んだのか? 被災を機に、復興のみならず、その先に向かって動き始めた若手農家たちの姿、西日本豪雨から1年となる被災地の姿を追う。
2018年の西日本豪雨被害から復興を目指す、愛媛県宇和島市吉田町の農家を紹介。復興からその先の未来に向けて力強く歩み始めた日々を、若者たちを中心にリポートした内容に、木村がやさしくもあり、力強くもあるナレーションで寄り添っていく。
木村は昨年8月、西日本豪雨で被災した宇和島市吉田町を城島茂(TOKIO)らと訪問。住民らと交流し、被災地を元気付ける活動を行った。そんな縁もあり、吉田町の復興をテーマにした今回のドキュメンタリーを制作したeatが、木村にナレーションをオファー。木村も快諾して、実現した。
収録では映像を見ながら、登場する吉田町の人々への自らの思いを込めるように声を入れていった木村。まるで目の前にいる人に訴えかけるように両手を動かすなど、強い思い入れを感じさせる初ナレーションとなった。すべてのナレーションを終え、一通りのチェックを終えると、自ら「ここもう一回いいですか?」と撮り直しを願い出る場面もあったという。
収録後、取材スタッフから改めて宇和島市吉田町の現在の様子を真剣な眼差しで聞いていた木村。「なにかありましたら出来るだけ協力しますので、また声をかけてください」と木村らしい温かい言葉をかけスタジオを後にした。
■番組内容
愛媛ミカン発祥の地・宇和島市吉田町。西日本豪雨による土砂崩れで甚大な被害が出た。しかし、被災後すぐに若者たちが立ち上がった地区がある。農家の4人に1人が若手という玉津地区だ。若手農家たちは、自ら重機を動かして農道を復旧。さらにはクラウドファンディングを活用して寄付金を募り、スプリンクラーの復旧も行った。
10年前から若手が徐々に帰ってきたという玉津地区。いまでは農家180人中、45人が40歳未満の若手農家となっている。彼らの戻ってきた理由はさまざま。なぜ、一度は離れたふるさとに戻ったのか?そしてなぜ、農家という生き方を選んだのか? 被災を機に、復興のみならず、その先に向かって動き始めた若手農家たちの姿、西日本豪雨から1年となる被災地の姿を追う。
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2019/11/05