バレーボール女子の元日本代表で2004年アテネ、08年北京五輪に2大会連続で出場し、今月4日をもって現役生活にピリオドを打った栗原恵さん(34)が10日、都内で引退記者会見を開いた。
小学4年生から父親がコーチを務めていたクラブチームでバレーボールを始めて25年目、社会人になってから17年の現役生活に終止符を打った。会見冒頭、「私、栗原恵は5月31日をもって前所属チーム、JTマーヴェラスの契約満了と同時に引退することを決めました」と報告。「今もこうして現役時代からお世話になっている皆様に会場にも来ていただけて胸が熱くなる想いです」と番記者たちに感謝の気持ちを伝えた。
本来は5月の黒鷲旗を前に引退発表を考えていたというが、JTの吉原知子監督から「長きにわたってお引き止めの言葉をいただいていた」と明かした。「今やっとこうして皆さんの前で発表できて正直ホッとしています」とにっこり。「本当にやりきったなという晴れやかな気持ちですので、揺れ動くということはなく、緊張はしているんですけど、さわやかに今日を迎えることができました」と白い歯をこぼした。
引退を決断したのは1年前といい、「昨年のちょうど今頃、JTの入団を決めたんですけど、その前に所属していた日立リヴァーレを退団した際に、もうやり残したことはないかなという想いで、自分の中では引退を覚悟したうえでのこの1シーズンのチャレンジだったので、迷いはまったくなく、とにかくこの1年やりきろうという想いでやってきました」と胸中を明かした。
近年はひざや腰など満身創痍で、リハビリと復帰を繰り返していたが、けがが引退の理由ではないという。「ここ数年けがとの闘いが多く、そこからの復帰でコンディションは正直よかったです。今シーズンもリーグ戦ではコートに立つ機会は少なかったですけど、どんなときでもチャンスが来たときにベストを尽くせる準備をするという部分ではハードなトレーニングと練習は決して手を抜くことなく、やりきれた自信もあって、もう1年頑張ろうと思えばできるんじゃないかなという自信も正直あります」と説明。
それでも引退を決めたのは「ここ数年、私の趣味はバレーボールなんじゃないかなと思える機会がすごく多くて。そこまで思えたのは、コートの中に置いてきたものがもうないのかなと感じることができました。『一緒にやろう』と言ってくださる方がいる中で、自分でピリオドを打てる選手でいられることが幸せだと感じられた」といい、「バレーボールは自分を表現するなかで一番のもの。バレーボールをやっていて楽しいなと思うことが多いので、そういうことを職業にできている自分は幸せでした」としみじみ語った。
今後の活動については「可能性を広げてくださる事務所(LDH JAPAN)に所属しているので、自分に何ができるのか、皆様からも勉強させていただきながら、バレーボール界、スポーツ界に恩返しできれば幸せだなと思います」と話すにとどめた。
報道陣から解説者や指導者の可能性を聞かれると、「自分では全然イメージできてないです。向き不向きもあると思いますし、自分にできることなのかもわからないので、勉強させていただきたいと思います」とかわしたが、ビーチバレー転向はきっぱり否定。187センチの長身を活かしたモデルとしての姿も見たいとのリクエストには「ありがとうございます」とだけ答えた。
2003年11月のワールドカップでは、同い年の大山加奈さんと共に“メグカナ”ブームを巻き起こした。大山さんには直接引退報告はしていないものの、インスタグラムのコメント欄でやり取りしたことを明かした。
“メグカナ”コンビの思い出を聞かれ、「加奈が『金の卵』として取り上げられているのをテレビで見ていたので、中学のときに初めて加奈に会ったときに、『あ、テレビの人だ!』と思って写真を撮ってもらって、そこからお手紙交換をしたりとかしていたので、その当時の印象のほうが強いですね」と回顧。「加奈は普及活動を頑張っているので、いまだに刺激をもらえる関係です」と語った。
過去の取材を絡めた記者からの質問には一つ一つ「覚えていてくださってありがとうございます」と笑顔。「やりきった」の言葉どおり、涙はなかった。会見の最後には「小学4年生からバレーボールを始めて25年目になったんですけど、バレーボール人生(の最後)をこんなに晴れやかな形で迎えられるとは当時の自分は全く想像していなかったので、皆様方のサポートのおかげです。口下手で、たくさんの感謝を伝えたいなと思っていたんですけど、すべて伝えきれてない部分があるかもしれませんが、本当に長い期間ありがとうございました」とあいさつし、ねぎらいの拍手を贈られていた。
◆栗原恵(くりはら・めぐみ)
1984年7月31日生まれ、広島県佐伯郡能美町(現・江田島市)出身。身長187センチ。山口・三田尻女子高(現・誠英高)2年の2001年に全日本に初選出され、翌02年に代表デビュー。03年11月のワールドカップで同い年の大山加奈と共に“メグカナ”ブームを巻き起こした。04年アテネ、08年北京の両五輪で5位入賞。10年世界選手権では銅メダルを獲得した。Vリーグは03年にNECに入社し、パイオニア、ロシアのディナモ・カザン、岡山、日立を経て、昨年から所属していたJTを今年5月31日付で退団し、6月4日に現役引退を表明した。
小学4年生から父親がコーチを務めていたクラブチームでバレーボールを始めて25年目、社会人になってから17年の現役生活に終止符を打った。会見冒頭、「私、栗原恵は5月31日をもって前所属チーム、JTマーヴェラスの契約満了と同時に引退することを決めました」と報告。「今もこうして現役時代からお世話になっている皆様に会場にも来ていただけて胸が熱くなる想いです」と番記者たちに感謝の気持ちを伝えた。
本来は5月の黒鷲旗を前に引退発表を考えていたというが、JTの吉原知子監督から「長きにわたってお引き止めの言葉をいただいていた」と明かした。「今やっとこうして皆さんの前で発表できて正直ホッとしています」とにっこり。「本当にやりきったなという晴れやかな気持ちですので、揺れ動くということはなく、緊張はしているんですけど、さわやかに今日を迎えることができました」と白い歯をこぼした。
引退を決断したのは1年前といい、「昨年のちょうど今頃、JTの入団を決めたんですけど、その前に所属していた日立リヴァーレを退団した際に、もうやり残したことはないかなという想いで、自分の中では引退を覚悟したうえでのこの1シーズンのチャレンジだったので、迷いはまったくなく、とにかくこの1年やりきろうという想いでやってきました」と胸中を明かした。
近年はひざや腰など満身創痍で、リハビリと復帰を繰り返していたが、けがが引退の理由ではないという。「ここ数年けがとの闘いが多く、そこからの復帰でコンディションは正直よかったです。今シーズンもリーグ戦ではコートに立つ機会は少なかったですけど、どんなときでもチャンスが来たときにベストを尽くせる準備をするという部分ではハードなトレーニングと練習は決して手を抜くことなく、やりきれた自信もあって、もう1年頑張ろうと思えばできるんじゃないかなという自信も正直あります」と説明。
それでも引退を決めたのは「ここ数年、私の趣味はバレーボールなんじゃないかなと思える機会がすごく多くて。そこまで思えたのは、コートの中に置いてきたものがもうないのかなと感じることができました。『一緒にやろう』と言ってくださる方がいる中で、自分でピリオドを打てる選手でいられることが幸せだと感じられた」といい、「バレーボールは自分を表現するなかで一番のもの。バレーボールをやっていて楽しいなと思うことが多いので、そういうことを職業にできている自分は幸せでした」としみじみ語った。
今後の活動については「可能性を広げてくださる事務所(LDH JAPAN)に所属しているので、自分に何ができるのか、皆様からも勉強させていただきながら、バレーボール界、スポーツ界に恩返しできれば幸せだなと思います」と話すにとどめた。
報道陣から解説者や指導者の可能性を聞かれると、「自分では全然イメージできてないです。向き不向きもあると思いますし、自分にできることなのかもわからないので、勉強させていただきたいと思います」とかわしたが、ビーチバレー転向はきっぱり否定。187センチの長身を活かしたモデルとしての姿も見たいとのリクエストには「ありがとうございます」とだけ答えた。
2003年11月のワールドカップでは、同い年の大山加奈さんと共に“メグカナ”ブームを巻き起こした。大山さんには直接引退報告はしていないものの、インスタグラムのコメント欄でやり取りしたことを明かした。
“メグカナ”コンビの思い出を聞かれ、「加奈が『金の卵』として取り上げられているのをテレビで見ていたので、中学のときに初めて加奈に会ったときに、『あ、テレビの人だ!』と思って写真を撮ってもらって、そこからお手紙交換をしたりとかしていたので、その当時の印象のほうが強いですね」と回顧。「加奈は普及活動を頑張っているので、いまだに刺激をもらえる関係です」と語った。
過去の取材を絡めた記者からの質問には一つ一つ「覚えていてくださってありがとうございます」と笑顔。「やりきった」の言葉どおり、涙はなかった。会見の最後には「小学4年生からバレーボールを始めて25年目になったんですけど、バレーボール人生(の最後)をこんなに晴れやかな形で迎えられるとは当時の自分は全く想像していなかったので、皆様方のサポートのおかげです。口下手で、たくさんの感謝を伝えたいなと思っていたんですけど、すべて伝えきれてない部分があるかもしれませんが、本当に長い期間ありがとうございました」とあいさつし、ねぎらいの拍手を贈られていた。
◆栗原恵(くりはら・めぐみ)
1984年7月31日生まれ、広島県佐伯郡能美町(現・江田島市)出身。身長187センチ。山口・三田尻女子高(現・誠英高)2年の2001年に全日本に初選出され、翌02年に代表デビュー。03年11月のワールドカップで同い年の大山加奈と共に“メグカナ”ブームを巻き起こした。04年アテネ、08年北京の両五輪で5位入賞。10年世界選手権では銅メダルを獲得した。Vリーグは03年にNECに入社し、パイオニア、ロシアのディナモ・カザン、岡山、日立を経て、昨年から所属していたJTを今年5月31日付で退団し、6月4日に現役引退を表明した。
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2019/06/10