先月9日に亡くなった、芸能事務所・浅井企画の代表取締役の浅井良二(本名:二瓶満/享年83)さんのお別れの会が26日、都内ホテルで営まれ、所属タレントの萩本欽一(77)、関根勤(65)、小堺一機(62)が取材に応じた。
浅井さんは萩本欽一と坂上二郎さんのコント55号をマネジメントするために、1968年に浅井企画を設立。小堺一機や関根勤など人気芸人が多数所属する大手事務所へと成長させた。
関根は設立時のコント55号を除く、所属タレント1号だった。素人参加のお笑い勝ち抜き番組に出演した関根に目をかけた浅井社長は「芸能界でやってみないか」とスカウト。ただ、根っからのお笑い好きの関根は「クラスで人気があるだけの僕が通用しない」という考えから一度は断ったという。そこで浅井社長は「55号を育てた、この浅井が君の才能を保証する!」と一言。まさかの口説き文句に舞い上がった関根は、翌日に所属契約にサインしたという。
「僕なんかダメだと思っていたけど背中を押してくれたのが浅井社長」と感謝しつつも、その言葉は“プレッシャー”になってしまったという。なかなか芽が出ず、10年も下積み時代が続いた。「結果が出せない。これが重荷になってねぇ…。両親の期待を背負って受験をする受験生の気持ちがよくわかる」としみじみ。「コント55号を育てた浅井さんが『行ける』って言っているのに結果が出ない。これは、相当な重荷だった」と苦労した時代を懐かしんだ。
ただ、その後の活躍は誰もが知る通り。「ブレークしてからは社長は喜んでくれた。社長はせっかちなんですけど、そこは辛抱強かった」と感謝の言葉を何度も口にしていた。関根は「社長は喜んでくれると思う。浅井社長はお笑い事務所の社長で、お笑いが大好きだった。よかったですね」と話し、萩本と小堺も同意していた。
キャイ〜ンのほか、見栄晴、ずん、関根麻里らが取材に応じ、社長の人柄を語り、偲んでいた。
浅井さんは萩本欽一と坂上二郎さんのコント55号をマネジメントするために、1968年に浅井企画を設立。小堺一機や関根勤など人気芸人が多数所属する大手事務所へと成長させた。
「僕なんかダメだと思っていたけど背中を押してくれたのが浅井社長」と感謝しつつも、その言葉は“プレッシャー”になってしまったという。なかなか芽が出ず、10年も下積み時代が続いた。「結果が出せない。これが重荷になってねぇ…。両親の期待を背負って受験をする受験生の気持ちがよくわかる」としみじみ。「コント55号を育てた浅井さんが『行ける』って言っているのに結果が出ない。これは、相当な重荷だった」と苦労した時代を懐かしんだ。
ただ、その後の活躍は誰もが知る通り。「ブレークしてからは社長は喜んでくれた。社長はせっかちなんですけど、そこは辛抱強かった」と感謝の言葉を何度も口にしていた。関根は「社長は喜んでくれると思う。浅井社長はお笑い事務所の社長で、お笑いが大好きだった。よかったですね」と話し、萩本と小堺も同意していた。
キャイ〜ンのほか、見栄晴、ずん、関根麻里らが取材に応じ、社長の人柄を語り、偲んでいた。
2018/11/26