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矢部太郎&山田ルイ53世スペシャル対談(前編) 『電波少年』の土屋さんと僕

 カラテカ矢部太郎髭男爵山田ルイ53世…体型も芸風も全く異なる2人だが、実は意外にも共通点があった。矢部は自身の漫画家デビュー作『大家さんと僕』で『第22回 手塚治虫文化賞』の短編賞を受賞し、山田は“一発屋芸人”たちを対象に取材を行ったルポルタージュ形式の『一発屋芸人列伝』を月刊誌『新潮45』で連載し、「第24回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の作品賞に輝いた。ほぼ同じタイミングで、自身の著作が評価された2人による対談が実現。それぞれの印象から、ともに出演していた番組での秘話まで余すことなく語ってもらった。

対談で意外なつながりを明かした(左から)山田ルイ53世、矢部太郎 (C)ORICON NewS inc.

対談で意外なつながりを明かした(左から)山田ルイ53世、矢部太郎 (C)ORICON NewS inc.

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■山田が語るカラテカの衝撃 『電波少年』史上初の体験談を告白

【矢部太郎】この感じ、ちょっと笑っちゃいますね。

【山田ルイ53世】それなりにどっちも若干、先生感を出しちゃっているという(笑)。サシで話すのも初めてですし…。ただ、僕の中ではいろいろな思いがずっとあるんですよ。ちょっと長くなりますけど、しゃべらせてもらっていいですか?

【矢部】どうぞ、どうぞ。

【山田】矢部さんが僕の本を読んで、わざわざありがたいことにツイートしてくれたんですけど、その文面で「カラテカは、芸人として一発当ててないから…」みたいなことをおっしゃっていましたよね? これは取材だからとことではなくて、カラテカさんのことは芸人を始めてから今にいたるまで、ずっと頭の中にあったんです。僕にとってはけっこうでかい看板で、劇場で見た時に衝撃と「お笑いって自由なんやな」という思いがありました。僕がいない頃の髭男爵とカラテカさんが、田代まさしさんがMCをやっていた『ブレイクもの!』(1998年1月〜9月まで放送)という深夜番組に出ていたことがあったんです。それで髭男爵はゴングショーですぐに落ちたんですけど、カラテカさんは勝ち抜いたんですよね。

【矢部】あー勝ち抜きましたね。

【山田】その頃から「カラテカさんすごいな」という思いがずっとあるんですよ。『電波少年』の時も、僕は最終的に「電波少年的 アンコールワットへの道の舗装」という企画をやりましたが、その前に「巨乳じゃんけん」「そっくりさんじゃんけん」「インターポール」といった企画をやっていました。

【矢部】「巨乳じゃんけん」なんてありました?

【山田】知らないでしょー、お正月にやったんですよ(笑)。どれも短い企画で当たらず、最終的に「お前ら当たらないから、アンコールワットに行って、道を舗装しろ」っていうことで、行ったんです。その前くらいに、矢部さんがいろんな国の言葉を覚えて、その国の人たちを笑わせるという企画をやって、それが当たったんですよね。

【矢部】どうなんですかね…僕は監禁されているから(その感覚が)よくわからない。

【山田】そこはお互い様ですね(笑)。それで矢部さんの企画がものすごく当たって、スタッフさんが忙しくなったので、僕らが監禁されている部屋に張り付くADさんがいなくなったんです。それで、自分たちでタイまで行って企画を自分で撮って、日本に帰ってきた。そして、これはさすがに『電波少年』史上初だと思うんですけど、矢部さんの企画が忙しすぎるという理由で、自分たちの企画の最初の「粗編集」(※)をやらされたんですよ(笑)。編集キッドを部屋に持ってこられて、ADさんから「やっておいてくれ」と言われたんですけど、当然やったことないし、しかも自分で撮ってきた直後の映像やから、かわいくて自分が出ている部分を全然切れなかったんです。それでまた怒られました(笑)。
※本番用の編集の前段階として、OKカットを抜き出して粗くつなぐこと。

【矢部】そんなことまでやっていたんですね…。僕は語学の企画だったから、しゃべった言葉が自分しかわからないんですよ。だから、編集までいかないですけど、キャプションを自分で取っていました。記者さんが文字起こしをやられるような感覚と同じだと思うんですけど、自分が言っているおもしろくないことを自分でキャプションを撮るっていう、超キツい作業でした。

■今だから話せる土屋敏男氏への思い 髭男爵・山田は一発屋判定人?

【山田】お互い、いろいろ苦労していたんですね(笑)。ただ、土屋(敏男)さんの矢部さんに対する視線って、僕らみたいな凡人芸人に対するものとは違うんですよ。愛でる感じがもう…

【矢部】いやいや、そんなことないですよ。でも、やっぱり…これは言いたくないんですけど、山田さんもこうやって本を書かれているっていうことは、土屋さんって意外に見る目があるんじゃないかって思うんです。あのおじさん、いいんじゃないですか(笑)。

【山田】偉くなるには理由があるんですね…って、そんなことを言ったら怒られますよ(笑)。繰り返しになりますけど『電波少年』的なヒエラルキーでいっても、やっぱり矢部さんは僕にとって雲上人(うんじょうびと)なんですよ。当時の登竜門で、若手芸人たちが「あれに出たい、あれに出たら売れる」と思っている番組で、いろんな企画がある中でヒットをつかむっていうのは針の穴を通すようなことですから。それをものにできる人と巨乳探しに行っている人という絶望感みたいなものはありましたよ。

【矢部】でも、僕も『電波』の中ではそんなに跳ねてないんですよ。『電波少年』に出たら『いろもん』に出ることができたんですけど、僕は出られなかったんです。だから、エリートコースは通ってないんです。書籍とかも猿岩石さんとかめちゃくちゃ売れたとか聞きましたけど、僕は全然で、歌の話もこなかったですし。

【山田】ただね、矢部さん。『電波』で矢部さんが経験してきたことも僕にはないんです。それは、ナチュラルに上から目線です(笑)。

【矢部】もう二度と言いません…。土屋さんの話ですけど、この前トークイベントを一緒にやった時に『大家さんと僕』の誕生に土屋さんも関わっているという話になって、それは『電波少年』時代に数々のきわどいロケをやらされたせいで、前の家を半ば追い出されてしまって、今の大家さんと出会ったということなんです。でも、土屋さんはそれを聞いて「ということは僕のおかげだね。それで30万部いったということは、15万部くらいの印税はもらってもいいってことだな」って言い出しまして(笑)。

【山田】「自分の手柄」世代ですね(笑)。ただ、この間てれびのスキマさんが書かれた『全部やれ。日本テレビえげつない勝ち方』という本を読ませてもらったんですけど、土屋さんや五味(一男)さんといった方々が、若い時にどうやって上へと登っていったのかが書かれてあって…当たり前なんですけど、若い時にここまで苦労して、一生懸命やっていたんやなっていうのがわかって、ちょっと見方が変わりました。矢部さんにもオススメします。

【矢部】そうなんですね。ただ、読んでしまうと何か今までのことを肯定しちゃいそうで(笑)。山田さんは『一発屋芸人列伝』を書かれましたけど、この本の例えでいけば僕は何発屋くらいになりますか?

【山田】0.9から1はいっていると思っていますよ…って、オレが判定することじゃないですから(笑)

【矢部】えっ、何発屋か判定してくれる人じゃないんですか?

【山田】違いますよ!僕は「あなたは何発です」って宣告する人じゃないんですよ(笑)。矢部さんはよく謙そんして「僕は口下手なもんで」とおっしゃっていますけど、いるだけでこれだけ雄弁な方はいないですから。

【矢部】実は僕、自分で「口下手だ」って言ったことないんです。だけど、(手塚治虫文化賞)授賞式のスピーチが口下手だけど良かったって、記事に書かれていて…。また、それがけっこう拡散されているんですけど、ひとりも「矢部さん口下手じゃないと思う」というコメントがないんです。ただ実際、あの場にいたら雄弁じゃないんですよね。リアルに文字起こしをしたら「…」が多いと思います(笑)。

 2人の意外な接点と『電波少年』への思いから幕を開けた今回の対談だが…あまりの盛り上がりで、肝心なお互いの作品に対する話に入る前に前半戦が終了。後半では、たっぷりとそれぞれの作品の魅力を語り合う一方で、山田が“口下手”な矢部の奥底にある思いをグイグイ引き出していく。

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