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大杉漣さん“人柄”伝わるお別れの会 長男・隼平氏「どれだけ好きか痛感した」

 2月21日に急性心不全のため亡くなった俳優・大杉漣(本名・大杉孝=おおすぎ・たかし)さん(享年66)のお別れ会『さらば!ゴンタクレ』が14日、東京・青山斎場で営まれた。親交のあった俳優仲間ら関係者約700人、慕っていたファン約1000人が最後の別れに訪れた。

 お別れ会の「ゴンタクレ」とは、「悪者」「ごろつき」などを指す「ごんた(権太)」に由来した言葉で、「きかんぼう」「悪ガキ」「わがまま」という意味で使われる大杉さんの地元の徳島地方の阿波弁。その言葉通り、子どものような純粋さを持ちながら、誰にでも平等に優しく接し、多くの人々から愛されてきた大杉さんの人柄が伝わる会となった。

 囲み取材に応じた俳優仲間からは、「嫌いな人はいないんじゃないかというぐらい、役者に愛されている人でした。いつも明るく必ず声を掛けてくれる」(椎名桔平)、「先輩ですが、同じ目線でいてくれる方。現場を和ますジョークを言ってくれたり、ずっとお話ししたかったです」(生田斗真)、「会う度に年下の後輩である僕らにも優しく接してくれた。こんなこと言ったら失礼かも知れないけれど、友達のようでお兄さんのよう」(山本耕史)。大杉さんの演技に向き合う姿勢、人柄に魅了されてきた俳優たちは「もっと一緒に芝居がしたかった」としのんだ。

 長男で写真家の大杉隼平氏は、参列者と大杉さんの思い出話をするなかで「いかに現場に立っていたか、改めて感じました」としみじみ。「父としてというより、人として本当に尊敬していました。失ってみて、あの人のことをどれだけ好きか痛感しました」と話した。

 遺影は2016年に隼平氏が撮影した写真が使われ、「本来なら僕ももう少し父のことを撮りたかった。(撮影を)約束したタイミングだったので」と無念さをにじませ、「父だけれど親友のような人だった。たくさんケンカもしたし、笑い合いもして、多くの時間を一緒に過ごしてきました。父との時間が当たり前だったので、亡くなって、一生懸命最後まで生きていた人だったと改めて気づいた」と回顧。他界後に放送された日本テレビ系『アナザースカイ』で大杉さんが言っていた「66歳でも希望があります」という言葉をあげると、「あの言葉は僕の中でも希望になった。希望を持ってこれからも生きていきたい。そこに一生懸命生きてきたあの人の思いが詰まっていると思う」と前を向いた。

 この日は風の冷たい日となったが、会場には献花後にも多くのファンが長い時間残り続け、隼平氏が感謝の気持ちを伝えていた。

 大杉さんの戒名は「優月院漣奏球孝信士(ゆうげついんれんそうきゅうこうしんじ)」。「月を見て偲びたい」「漣は親しんだ芸名」「球は愛したサッカー」「孝は生まれたときからの名」という思いで、月、漣、球、孝を希望したといい、これに「優しい人柄であり、俳優の“優”を」「表現する・演奏するの“奏”」を加えたという。月の光のように穏やかに輝いていたという意味も込められた。所属事務所ザッコの社長で、妻大杉弘美さんは「少し長い名前を持つことになった大杉。『そちらでも元気にやっていて。またね!』と送りたいと思っています」とコメントしていた。

YouTube公式チャンネル「ORICON NEWS」



関連写真

  • 大杉漣さんを見送った長男・隼平氏 (C)ORICON NewS inc.
  • 長男・隼平氏が撮影した大杉漣さんの遺影 (C)ORICON NewS inc.
  • 大杉漣さんお別れ会「さらば!ゴンタクレ」祭壇 (C)ORICON NewS inc.

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