NHK Eテレの子ども向け番組『クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!』のメインキャラクター、まいんちゃんを4年にわたって演じた福原遥。当時、小学生だった彼女も17歳になり、まだあどけなさが残る女の子から大人の女性へと変貌を遂げようとしている。この夏、所属していた子役事務所から研音に移籍し、女優の道へ。ORICON STYLEでは、新たな一歩を踏み出した彼女に、今だから明かせる「まいん」の撮影エピソードや、まいんちゃんへの思い、そしてこれからの目標について語ってもらった。
■まいんちゃんじゃなかったら芸能界をやめてたかもしれない
──雑誌『ピチレモン』の表紙を飾ったときも思いましたが、大人っぽくなりましたね!
【福原遥】 よく言われます。お仕事関係ではじめましての方とか、あと街を歩いてたりするときも「大きくなったねぇ」って。
──久しぶりに会う親戚の人みたい(笑)。でも、それだけ小さい頃からの福原さんのことを知ってるってことですよね。
【福原】 嬉しいです。今でも「まいんちゃん」って呼んでくださる方も多いですし。
──『クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!』を卒業したのはもう2年半も前のことですけど、今でも「まいんちゃん」と呼ばれることについての葛藤みたいなものはないですか?
【福原】 全然ないです。自分からまいんちゃんの存在を消すのは嫌なので。むしろ昔の私も知ってくれてて、これからの私も見てもらえるのが嬉しいですし、みなさんにもまいんちゃんのことずっと覚えていてもらえたらいいなぁって思ってます。
──今の福原さんにとって、まいんちゃんというのはどんな存在なのですか?
【福原】 これからもずっと大切な存在だと思います。まいんちゃんをやってなかったら、もしかしたら芸能界もやめてたかもしれないですし……。
──小1でデビューして、まいんちゃんとの“出会い”が11歳のときですよね。その前まで芸能のお仕事は好きじゃなかったんですか?
【福原】 好きじゃないというより、人の目も見れないくらい人見知りだったので、私は芸能界に向いてないんだろうなって思ってたんです。そんなこと考えてるときにまいんちゃんと出会って、番組がスタートする前にスタッフさんが一緒に過ごす時間をいっぱい作ってくれたんです。レッスンしたり、ゲームして遊んだり。そうやって関係を築いてからのスタートだったので、初回放送からすごく楽しくできたんですよ。
■女優としての目標は井上真央さんです
──スタッフに恵まれたからこそ、まいんちゃんはいつも元気いっぱいの笑顔でいられたんですね。
【福原】 はい。「まいん」のスタッフさんには感謝しかないです。本当にいろんなことを経験させていただいて。でも「まいん」をやってる間に、泣いちゃったことも何回かありました。
──なにがあったんですか?
【福原】 一番覚えてるのは初めてのアフレコのとき、ベテランの声優さんたちの中、私一人だけ全然うまくできなかったんです。それが悔しくて、現場では泣かなかったんですけど、家に帰ったらわーっと涙が出てきて…。けっこう私、悔しいと泣いちゃうんですよ。
──他にもそういう泣いちゃったエピソードはありますか?
【福原】 恥ずかしいんですけど、モデルのお仕事を初めたばかりの頃もしょっちゅう泣いてましたね。自分からモデルになりたいと言ってオーディションを受けて『ピチレモン』のモデルになったんですけど、先輩モデルさんたちみたいにぜんぜん上手にポージングができなくて。
──でも悔しさで泣くということは、逆にそれがバネになるのでは?
【福原】 そうなんです。できないことがあると燃えるタイプなので、泣き止んだら即練習って感じでした。みんなに言われるんですけど、小さい頃からすごく負けず嫌いなんですよ。学校の勉強でも九九が覚えられなくて、すごい頑張ったことを覚えてますね。
──ところでこの夏に、デビュー当時からの事務所を移籍して研音に所属となりましたが、女優という目標ができたのはいつ頃ですか。
【福原】 もともと小1でデビューしたときの最初のお仕事がドラマだったんです。だからお芝居はずっと好きだったんですけど、「まいん」をやってる中でヘアメイクさんもいいなとか、それこそお料理の先生もいいなとかいろんなことに興味が出てきた時期もありました。女優になりたいと思ったきっかけは井上真央さんです。ドラマ『花より男子』が大好きで何回も見ていて、つくしちゃんのイメージが強かったんですけど、朝ドラとか大河ドラマとか、全然違うタイプの役もされていて、私もあんなふうになりたいと思ったんです。
──井上真央さんも子役の頃からお仕事をされていましたけど、そんなところにも共感を覚える部分があったのでは?
【福原】 そうですね、ちょっと近いのかなって思います。でも私はまだまだ経験が少ないので、今はとにかく演技の勉強を頑張っています。いつか井上さんみたいに演技で見せることができる、芯の通った女優さんになりたいですね。
(文/児玉澄子)
■まいんちゃんじゃなかったら芸能界をやめてたかもしれない
──雑誌『ピチレモン』の表紙を飾ったときも思いましたが、大人っぽくなりましたね!
【福原遥】 よく言われます。お仕事関係ではじめましての方とか、あと街を歩いてたりするときも「大きくなったねぇ」って。
──久しぶりに会う親戚の人みたい(笑)。でも、それだけ小さい頃からの福原さんのことを知ってるってことですよね。
【福原】 嬉しいです。今でも「まいんちゃん」って呼んでくださる方も多いですし。
──『クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!』を卒業したのはもう2年半も前のことですけど、今でも「まいんちゃん」と呼ばれることについての葛藤みたいなものはないですか?
【福原】 全然ないです。自分からまいんちゃんの存在を消すのは嫌なので。むしろ昔の私も知ってくれてて、これからの私も見てもらえるのが嬉しいですし、みなさんにもまいんちゃんのことずっと覚えていてもらえたらいいなぁって思ってます。
──今の福原さんにとって、まいんちゃんというのはどんな存在なのですか?
【福原】 これからもずっと大切な存在だと思います。まいんちゃんをやってなかったら、もしかしたら芸能界もやめてたかもしれないですし……。
──小1でデビューして、まいんちゃんとの“出会い”が11歳のときですよね。その前まで芸能のお仕事は好きじゃなかったんですか?
【福原】 好きじゃないというより、人の目も見れないくらい人見知りだったので、私は芸能界に向いてないんだろうなって思ってたんです。そんなこと考えてるときにまいんちゃんと出会って、番組がスタートする前にスタッフさんが一緒に過ごす時間をいっぱい作ってくれたんです。レッスンしたり、ゲームして遊んだり。そうやって関係を築いてからのスタートだったので、初回放送からすごく楽しくできたんですよ。
■女優としての目標は井上真央さんです
──スタッフに恵まれたからこそ、まいんちゃんはいつも元気いっぱいの笑顔でいられたんですね。
【福原】 はい。「まいん」のスタッフさんには感謝しかないです。本当にいろんなことを経験させていただいて。でも「まいん」をやってる間に、泣いちゃったことも何回かありました。
──なにがあったんですか?
【福原】 一番覚えてるのは初めてのアフレコのとき、ベテランの声優さんたちの中、私一人だけ全然うまくできなかったんです。それが悔しくて、現場では泣かなかったんですけど、家に帰ったらわーっと涙が出てきて…。けっこう私、悔しいと泣いちゃうんですよ。
──他にもそういう泣いちゃったエピソードはありますか?
【福原】 恥ずかしいんですけど、モデルのお仕事を初めたばかりの頃もしょっちゅう泣いてましたね。自分からモデルになりたいと言ってオーディションを受けて『ピチレモン』のモデルになったんですけど、先輩モデルさんたちみたいにぜんぜん上手にポージングができなくて。
──でも悔しさで泣くということは、逆にそれがバネになるのでは?
【福原】 そうなんです。できないことがあると燃えるタイプなので、泣き止んだら即練習って感じでした。みんなに言われるんですけど、小さい頃からすごく負けず嫌いなんですよ。学校の勉強でも九九が覚えられなくて、すごい頑張ったことを覚えてますね。
──ところでこの夏に、デビュー当時からの事務所を移籍して研音に所属となりましたが、女優という目標ができたのはいつ頃ですか。
【福原】 もともと小1でデビューしたときの最初のお仕事がドラマだったんです。だからお芝居はずっと好きだったんですけど、「まいん」をやってる中でヘアメイクさんもいいなとか、それこそお料理の先生もいいなとかいろんなことに興味が出てきた時期もありました。女優になりたいと思ったきっかけは井上真央さんです。ドラマ『花より男子』が大好きで何回も見ていて、つくしちゃんのイメージが強かったんですけど、朝ドラとか大河ドラマとか、全然違うタイプの役もされていて、私もあんなふうになりたいと思ったんです。
──井上真央さんも子役の頃からお仕事をされていましたけど、そんなところにも共感を覚える部分があったのでは?
【福原】 そうですね、ちょっと近いのかなって思います。でも私はまだまだ経験が少ないので、今はとにかく演技の勉強を頑張っています。いつか井上さんみたいに演技で見せることができる、芯の通った女優さんになりたいですね。
(文/児玉澄子)
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2015/09/29