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マキタスポーツ『ついにメジャーデビュー!“時代に選ばれた男”が語るオリジナルの定義って?』

芸人、ミュージシャン、コラムニスト、俳優と、さまざまな顔を持つ男・マキタスポーツ。アンダーグラウンドで人気を集め今年芸歴15年目の彼が、アルバム『推定無罪』でついにメジャーデビューを果たす。代名詞とも言える“作詞作曲ものまね”“マキタ式ヒット曲の法則”を踏襲した本作はもちろん、ルーツから彼なりのオリジナルの定義まで、白熱したインタビューを大ボリュームでお届けする。“マキタスポーツ入門”のはじまりはじまり。

語弊があるかも知れないけど面白かった90年代

――あと、19曲目「オーシャンブルーの風のコバルトブルー〜何も感じない歌〜」っていう曲と次に来る「1995 J-POP」。この流れというのは完全に80年代〜90年代っていう流れで。マキタさんにとって80年代というのは……。
マキタ「オーシャンブルー〜」、これはオメガトライブが元でね。その前に林哲司さんていうコンポーザーの方がいて。で、今思うと林哲司さんの曲とかすごい好きだったんですよね。ただ、あまりに洗礼された音像って、ハイクオリティ過ぎて耳馴染みが良すぎて、右から左に抜けていっちゃうみたいな。何も感じなくなっちゃうっていうのが“現象”として面白かったんですよね。

――浮かれてるからこその無感症というか……。
マキタだからなんか、部屋の中に観葉植物があって、よくわからないクルクル回る球体みたいなものがあったりだとか(笑)。

――意図がはっきりしない置物ですね。
マキタそうそう(笑)。そういうオシャレなアイテムとかが背景にあった上でやってたものがほとんど無効になっちゃったんですよ、90年代とかになっちゃうとね。だからそれをちょっと皮肉った感じではあるんですけど、もともとは好きだったですよ。

――憧れもあった?
マキタメチャクチャ憧れがあった!

――思春期に浮足立ったカルチャーが乱立していたら、ガツンとカウンターを浴びる90年代が到来。次曲「1995 J-POP」ですね。95年当時、マキタさんは25歳でしたが、10代の気分から脱却出来なかったという事ですが……。
マキタ僕、大学時代がバブル期だったにも関わらず、まわりの浮かれ具合にまったく歩調が合わなくて(笑)。

――憧れはあったけど?
マキタもちろん憧れはあったけどね……だけどコンプレックスにつまづいて、いろんなものに失敗して。だから、大学時代っていうのは暗黒時代みたいな感じだったんですよ。精神的にも肉体的にも意外と引きこもり期だったの。それで大学時代が終わって22歳、92年。で、92年から一回田舎に帰るんだけど、93年にまた再上京してそっからいよいよ遊ぶぞ!って(笑)。失われた4年間を取り戻すみたいな感覚がすごくあったんですよ。だからなんかまだ全然10代みたいな気持ちがあって、うん。

――ただ社会的な状況としては、バブルもとうに弾けて歴史に残るような事件、暗い事件が立て続けに起こって、常に不安感がつきまとっていましたよね。「さぁ遊ぶぞ!」ってなったときに、実際25歳のマキタさんはどういう状況だったかというか。
マキタでも、全然何も考えてないというか、チャランポランでいられたというか。いまほど全然深刻じゃなかったと思うんだよね。個人的には今もう“ハッピー!”みたいな感じだった。だけど周りからはどんどんヤバくなっていくぞ! みたいなことばっかり言われてる。で、それを象徴するような出来事と、世紀末感っていうのが相まってね。ネガティブな事象っていうのが起こった。あと、いわゆる自意識系的な『エヴァンゲリオン』みたいなものが流行ってきたりとか。音楽においてもそういうヤバめの音像を駆使したような音楽とか。

――なんとなく内向的というか?
マキタ暴発したらヤベェぞアイツみたいな音楽とかですね(笑)。グランジとかの影響を受けたみたいなものがあったりとかして。あとね、ダウンタウンとかの笑いとかも、松ちゃんのその暴発する狂気みたいなものとかが。だから世の中自体は割とチグハクだったと思う。語弊があるかも知れないけど面白かった時代だと思うんですよ、ぐちゃぐちゃしてて。

――僕がその当時リアルな17歳だったんですけど、実はまったく考え方は一緒で、後々考えればすごい時代、凄い年だったと感じるだけだったとういうか。
マキタそうそう、まったくもってそんな感じ。あと、音楽の世界で言うと、サンプリング文化っていうのが結構花開いていて。ヒップホップカルチャーの手法がオーバーグラウンドで認知されてきた時代だった。で、いろんなものがアイテムとしてコラージュされて、別の意味を発生させるような……そういう批評的な遊びが認知されたというかね。

――“オリジナル”って何だろう?って改めて疑問に感じ始めた時期というか。
マキタそれ自体、僕は面白かったんですよね。で、「1995 J-POP」はまさにそういうサンプリング的な手法でカットアップして貼り付けてコピペして作ってる曲なんですよ。で、その批評性もあるんだけど、もう一方では、この世の中って大丈夫なのかな?とか、90年代、俺がチャランポランで謳歌してた感じからどれだけ良くなったんだろうなって。

――2013年に、あえて「1995 J-POP」をテーマにする意義はあると思いますね、なんとなくですけど……。
マキタうん。今と違って90年代はまだネットが普及してなかったから、“元ネタ”っていうものをどうやってどういう風に解釈するか?っていうこととか、それをまたつなぎ合わせたりすることをカッコイイって過剰に思ってたところもあったって思うんですよ。それが今の時代、“元ネタ”はすぐに分かるし、みんな基本として「はい、パクリ!!」ってすごい言いたがる風潮だと。

――簡単に探せる時代だと価値が低くなると。
マキタそう。だけど、俺それだけじゃつまんないというか。まぁ言葉悪いですけど、パクリですよ(笑)。でも、元々日本の音楽とかって多分にそういうことが行われてきたワケで。だから僕は分数的な解釈でいつもそういうことを考えているんですよ。音楽においても、僕は“人格分の企画”って考えてるんです。

――“人格分の企画”ですか……。
マキタいろいろあるアイテムとかをどういう風に繋ぎ合わせて、またそれを自分のものとして最終的に表現できるか?っていうことにおいては、すごく丁寧にわかりやすく「作詞作曲ものまね」という手法で提示してるつもりなんですよ。かつて、こんなにも表現したいという気持ちが消化できる時代もないと思うんですよ。で、それができる時代にもなってきてるんですよね。

――個人がってことですよね?
マキタそう、個人が。別にそこでプロになりたいとかってことを思わなくても、みんな表現に対する欲目があるんですよ。自己表現ってものが付きまとっているんですよ。じゃあ、“元ネタ”をどういう風に自分のものとして取り入れてくかってことが重要なわけじゃない? って。それが今、容易くできるんだよって。こんな俺でもできるんですよっていうことがひとつの言い分なんですよ。それが90年代に対する僕なりの清算にもなるのかなって。

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【インタビュー 1】選曲のこだわりは?
【インタビュー 2】曲を紐解いていこう
【インタビュー 3】マキタの1995年は…
【インタビュー 4】オリジナルの定義って

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