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「生まれてはいけなかった…」毒親に心理的虐待を受けた漫画家語る“絶縁”の必要性「自分の人生は自分で選んでいい」

 両親から理不尽な扱いを受け続け、心理的虐待により追い詰められた著者の北瀬ユズさんが、両親との「絶縁」を選択するまでに至った経緯を描いた実録漫画『毒親絶縁日記』。「感情移入して胸が締め付けられる想いでした」「もっと世の中に知れ渡って欲しい」とInstagramでの投稿が話題になりこのほど書籍化された。幼少期を始め、心理的虐待を受け続けたことで閉鎖病棟に入院したこともある北瀬さんが、当時の状況や絶縁に至るまでの出来事を明かしてくれた。

常に母が「正解」で私が「不正解」だった

――漫画をInstagramで投稿するようになったきかっけは?

北瀬ユズ 前々から自分の経験を描いてみたいと思っていましたが、3年弱ほど漫画の形にできずにいました。そんな時に夫から誕生日プレゼントでトレース台を貰ったことがきっかけになり、描き始めました。

――子どもの頃は、ご両親に対してどのように思っていましたか?

北瀬ユズ 当時は、その環境が自分にとっては普通だったので、むしろ自分が両親の力になりたいと思っていました。頼られることが嬉しくて、ひたすらに良い子を演じていた気がします。

――幼少期は、「住む家がある、食事も摂れている、学校にも行ける、暴力を毎日受けているわけでもない。だから私は恵まれている」と思い込んでいたとのことですが。

北瀬ユズ 両親をとても大切だと思っていたことは間違いありませんが、どちらかというとニュースで目にするような虐待を受けている子どもの環境と比べれば、自分が両親に対して感じているモヤモヤなど小さいものに違いないという感じでした。

――当時、辛いと感じたことはありますか?

北瀬ユズ 常に母が「正解」で私が「不正解」だと決めつけ理不尽に怒られていたことです。父や母方の祖母も傍観しているだけという、家族のなかで味方が誰もいない状況が、今思えば辛かったです。

――高校生になり家庭に対して少し違和感を感じ始めたとのことですが?

北瀬ユズ 「自分の家庭が変かも?」とは思い始めたものの、具体的に何が違うのかがわかるほど視野が広くはなかったので、当時あまり深くは考えていませんでした。友人から家族の話を聞いた時も、複雑な家庭環境の友人もいたため、両親がいる自分は恵まれているのだと感じていました。

――「なぜ私だけ…」「どうして私の親が…」と思ったことはなかったのでしょうか?

北瀬ユズ 特に高校受験や高校卒業後の進路選択の時は、普通に自分の希望する進路を選べる同級生が羨ましくて仕方なかったです。就職や結婚後も常にそういった思いは心の中にあった気がします。

バイト代を全て取られ…でも自分が虐待を受けているとは思えなかった

――高校生になっても生活費ももらえない日々を過ごしていました。当時、どのような状況だったのでしょうか?

北瀬ユズ 母は「お金貸して」が口癖になり、バイト代も全て取られるのが当たり前という状況でした。不満に思いつつも、“母の役に立っている自分”を嬉しく思う気持ちもあり、共依存にどっぷり浸かっていたなと思います。

――高校卒業後、公務員になり家を出ました。その後も母親から金銭を要求されたとのことですが。

北瀬ユズ とても忙しくて仕事自体は体力的に大変なこともありましたが、上司や先輩が優しい方ばかりだったので、「もっと成長したい」「頑張りたい」と思える職場でした。そのため、母が頻繁に職場にも電話をしてくるようになりました。業務に支障をきたすようになったことで、自分の存在が職場に迷惑をかけているという事実がとても苦しかったです。

――漫画では、「生まれてきてはいけなかった」と思ったことも描かれています。

北瀬ユズ 「あんたなんて産むんじゃなかった。あんたが生まれたせいで私の人生が台無しよ」と言われた時、全身の体温が一気に下がって、目の前が真っ暗になったような感覚でした。私を睨みながら泣き叫ぶ母に対して謝ることしかできず、私の存在自体が母にとっては「不正解」だったのだと思い知らされました。

――就職5年目でうつ病と診断され休職。食事を受け付けなくなり、閉鎖病棟に入院したことで初めて心理的虐待を受けていたことを知り、どのように感じましたか?

北瀬ユズ 自分が受けていたことが虐待だとは全く思っていなかったので、かなり驚きました。だから子どもとしての親への情と罪悪感で自分の考えが大きく変わったきっかけになったと思います。「自分が悪いわけではなかった」「悲しかった」「辛かった」と思えたことで、両親との関係を少し客観的に見られるようになっていきました。

――結婚後も続く金銭の要求に「親御さんを選んで僕と離婚する?」という旦那さんのひと言で、親との「絶縁」を選択されました。容易な決断ではなかったと思いますが、どのような状況だったのでしょうか?

北瀬ユズ 自分でも両親との関係を断つべきだと感じてはいましたが、子どもとしての親への情と罪悪感でずっと煮え切らない状態でした。そんな私をそばで見ていた夫が、私が絶縁を決断できるように、そして罪悪感を抱かないように“二択”という形で提示してくれたことで、きっぱりと「絶縁」を選ぶことができました。自分でそう決めた後は何となくスッキリした気分でした。
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