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(更新: オリコンニュース

エンタメ界は共創の時代へ、エイベックス執行役員・加藤信介氏

経験してみて分かること

――学生時代に好きだったエンタメコンテンツは何ですか?
 小学校の時は当たり前のように周りと同じものを楽しんでいたんですけど、中学生になって初めて「カルチャー」というものを知って、一番最初にカルチャーというものに触れたのは田舎だったから「ヤンキーカルチャー」でした(笑)。彼らの「行動」や「目的」がカッコ良いというのではなく、人と違うことをしている「オリジナリティ」がカッコ良いことに気づいた。

 あと、僕は鳥取県出身なんですが、地元に『ドラゴンブルー』という古着屋があったんです。そのお店には「アメカジ」が置いてあって、音楽は『オールディーズ』や『ザ・ビートルズ』が流れていた。そこで初めて「自分の周りで流行っている音楽とは違う」と知ったんです。そこから音楽に興味が沸いて、中学の時はそれらをかなり掘り下げていました。『ザ・ビートルズ』は、前期よりも後期派、『オールディーズ』はホームセンターなどで売っていた100曲入りの廉価盤とかを大量に探したりして、一番好きだったのはデルシャノンの「悲しき街角」。本当に生意気な中学生でした(笑)。

――高校生になって変化はありましたか?
 高校に入ってから、メロコアに出会いました。1980年代生まれなので、まさに『Hi-STANDARD』世代。そこからHIP HOP、R&B。僕のブラックミュージックの入りはR&Bからで、当時は『MISIA』や『Sugar Soul』『DOUBLE』『嶋野百恵』が一気に出てきた時期で、衝撃を覚えました。服装や趣味も音楽とともに変わっていって。勉強やスポーツが出来るというより、「カルチャー」や「ファション」「音楽」を知っている人がカッコ良いと思っていました。
 高校を卒業して1年間浪人したんですが、浪人時代の1999年は『宇多田ヒカル』の「Automatic」が発売され、『bird』が出てきて『Dragon Ash』『m-flo』が一斉を風靡したゴールデン時代。音楽も、ファッションも、オーバーグラウンドなものとアンダーグラウンドなものが両方大量に出てきた。僕は「カルチャー的」なものと「メジャー」なものが両方好きだったので、それらが融合して新しいカルチャーが共存共栄していた時代。色々な音楽とかファッションが融合していたあの時代がすごく好きでした。

――高校を卒業して、東京に出てこようと思っていたのですか?
 鳥取の人は、県外に出るときに「大阪」に行く人が多いんですよ。だから僕も当たり前のように「大阪」に行くものだと思っていました。僕らにとって「東京」は、心理的にすごく遠い場所だったんですよね。でもそんな中、僕の中で「東京」に行くきっかけになった出来事が2つあって、その浪人時代、夏期講習の期間だけ東京の予備校に通うことになったんです。その時、『DJ HASEBE』や『bird』が出演していた『HONEY DIP』という個人的に伝説のイベントが渋谷であったので、せっかく東京に来たんだから行ってみようと。むしろそれが目的で東京の予備校に通った、っていうのもあるんですけど(笑)。

 で、今でも鮮明に覚えているのですが、渋谷『HARLEM』のバーカウンターの向かい側に赤い長テーブルがあって、そこに2席だけ空いてたんですよ。その席に座った瞬間、隣にいた女の子から「どこかで会ったことないですか」って声をかけられて。もちろん、鳥取で浪人している僕と会ったことなんてないはず。そうしたらその女の子が「という口実で話しかけてみました」って。まさかの逆ナンだったんです(笑)。それで「東京はこんなにも素晴らしいところなのか」と思って、それが「大阪から東京に舵を切った瞬間」でした(笑)。今、名前も知らないその女の子が、僕の人生の「ゲームチェンジャー」なんですよ。

 あともう一つは、東京の予備校生、つまり僕と同い年くらいの人たちが、あんまりカッコ良く見えなかった。僕でも「東京でやっていけるかも」と思えたんですよね。2つともバカバカしいエピソードかもしれないけれど、「想像」と「実際経験してみて感じること」はめちゃくちゃ違うものだなあと。ずっと遠いものに感じていた東京が、実際にちょっとの期間でも住んでみたことで一気に身近に感じた。それからの人生においてもこういう機会が結構あって、その原体験だったのかなと今では思います。

――それから受験勉強をして、大学から東京に?
 そうですね。東京に出て来ても、やっぱり田舎出身というコンプレックスはあって、どこかで自信がなかったんですよ。だからコンプレックスを隠すためにプライドだけは高くて、音楽や、ファッション、学生でお金がないのになぜか車を持っていたりといろんなものでセルフブランディングして、背伸びして自分のオリジナリティを演出していた大学時代だった気がします。

 音楽はDJをやっていて、アルバイトもクラブで働いていたのでもちろん好きでしたし、ファッションも車も好きだったんですけど、突き詰めるとそれらのものは「どう見せたい」とか「どう見られたい」っていう「なりたい自分ありき」のブランディングのための武器でもあったんだと思います。でもそういうものがあったから、特に何か秀でたものがあるわけでもない自分に自信を持てたり、東京でそれなりに楽しく大学生活を送れた。利己的かもしれないですけど、僕にとってはすごく大事なことでした。

――エイベックスに入社されて、最初はどんな仕事を?
 最初の配属は営業で、いきなり「札幌」に転勤になったんです。営業の仕事は「CDを売る事」が一番大事ですが、ただCDを置くだけではなくて、そのお店全体の「集客」が増えることを常に考えていました。お店に貢献することで自分の信頼も得られて、お店も協力してくれる。そういう循環を生むためにはどうすれば良いのかと考えた時、彼らの持っている本質的な課題を解決することがすごく大事なんだと。

 だから自社のアーティストの商品の売り上げだけを考えずに、お店自体にお客さんが増えることを考えようと。あと、集客や販促に繋がることなら、自分の仕事をここまでって線を引かずに、なんでもやりました。例えばCDショップの入っているビル全体を“ジャック”したり、営業とプロモーションをセットにして、北海道エリアを巻き込んだキャンペーンをやったり。
 結局すべてのものって繋がっているから、だったらなるべく川上から考えた方がいい。本質を掴んで、体系的に物事を組み立てて行くのは最初の頃から割と得意だったと思います。あと、配属が地方だったというのも大きいですが、とにかく自由にやれた事がすごく楽しくて、同期や先輩に負けたくないという気持ちも強かった。20代は人との競争に対しても強いモチベーションを感じていました。「利己」のために全力で「利他」をする。正直それが僕の中では強かったですね。

加藤信介氏(C)MusicVoice

加藤信介氏(C)MusicVoice

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