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(更新: ORICON NEWS

絶対に嘘をつかない、よしもとプロデューサー・中村聡太氏

「エイリアン2」に惹かれて…

――幼少時代や学生時代から、テレビなどのエンタメが好きだったんですか?
 そうですね、小さい頃からエンタメが大好きでした。バラエティやドラマ、アニメやゲームも好きで、映画も大好きでした。幼い時に親父が借りてきた『エイリアン2』を見て、かなり衝撃を受けたのを覚えています。好きな映画は? と聞かれたら、今でも『エイリアン2』と答えます。小学生の時から、親父にレンタルビデオ屋に連れて行ってもらい、『ドラえもん』などのアニメ映画も見ていました。リビングにテレビがあると、映画もアニメも、テレビゲームも楽しめる。ドラマも見られるし、バラエティも見られる。当時は、エンタメの全てをテレビで見られた時代。テレビというものが大好きで、『ゆくゆくは絶対、このテレビの世界に携わる仕事をしたい』と、その時から思っていました。

――学生時代から、エンタメ業界で働きたいと思っていたんですね?
 最初は、テレビ局に入りたいと思っていたんです。映画が好きでドラマも好き、ゲームも大好きだった。一時、コナミさんが大好きで、『ウィニングイレブン』とか『メタルギアソリッド』が本当に大好きで、ゲームクリエイターの小島秀夫さんの事をとても尊敬していました。でも一度、自分の中で突き詰めたんです。自分は一番、テレビで何を見ているか、何を見ているときが一番幸せか。そう考えた時、僕の答えは『バラエティ』だったんですよ。やっぱりダウンタウンを見て育ってきて、今田耕司、東野幸治、ナインティナインを見て育ってきている。じゃあやっぱりここはシンプルに、テレビ局に入って、自分もバラエティに携わりたいな、というのがありました。

 でも大学3年生の時、電通さんとのインターンシップを大学がおこなっていて、読売テレビや電通の人とお会いしました。そうした中、ある時「中村君のやりたいことは、吉本さんに就職しても、全然やれると思うよ」と言われたんですね。それはおそらく、僕が芸人さんの話をたくさんしていたのもありますし、吉本が番組制作をやっていたのもあると思います。それで、吉本にエントリーシートを出して、最終的に吉本興業に入社することに決めました。

よしもとクリエイティブ・エージェンシー・中村聡太氏(C)MusicVoice

よしもとクリエイティブ・エージェンシー・中村聡太氏(C)MusicVoice

――入社されて、最初の配属はどういった部署だったのですか?
 最初の配属は大阪のマネジメントセクションでした。現場マネージャーとして、当時『M-1グランプリ』で優勝した中川家、友近などの4組の現場マネージャーを上司の下でやっていました。それで1年が経過したある日、その上司から「東京行ってくれるか」と。

 もうびっくりしました。それでそのまま、今田耕司の現場を担当することになったんです。今田とは担当してから非常に長くて、入社2年目からなので、もう16年の付き合いになります。その後、東野幸治、藤井隆、宮川大輔、チュートリアルやブラックマヨネーズを担当していき、今田耕司を担当した5年後、チーフマネージャーになったという感じです。僕にとって、今田との関わり合いは深くて、多くのことを学ぶことができました。イエスかノーかは置いといて、僕の話をきちんと聞いてくれて、一人のマネージャーとして向き合ってくれました。今田のおかげで、ほかの芸人やテレビ局の方々との関係性も築くことができました。今田との出会いは、僕の中で非常に大きかったなと思います。

――当時はかなり忙しかったですか?
 忙しかったですね、本当に。9年間、チーフマネージャーとして働き、そこから部署異動になり5年間、番組制作に携わりました。吉本は番組制作もやっているので、『旅猿』(日本テレビ系)や『噂の現場直行ドキュメン ガンミ』(TBS系)を担当していました。特に『ガンミ』に関しては、企画段階からスポンサーさんと相談して、TBSさんにプレゼンにも行きました。当時は担当マネージャーではなかったのですが、宮迫博之や小籔千豊と話す機会も多く、本当に良い経験をしました。約5年間、番組制作をやって、3年前に部署異動になり、そこからダウンタウンの二人を担当することになりました。

――それから3年後、現在の立場になられた形ですか?
 そうですね。今は、東京のマネジメントセクションで、プロデューサーという立場にいます。僕の下にチーフマネージャーが2人いて、その下に現場マネージャーがそれぞれいます。僕のところの管轄で言うと、約30組の芸人が所属しています。もちろん、マネージャーの管理、タレントの管理もやります。担当タレントでは、ダウンタウンや今田、東野などのベテランから、若手芸人まで。スケジュール管理や番組の営業も大事なのですが、僕が一番大切にしているのは『芸人が何をやりたいか』をしっかりヒアリングして、実現することです。テレビに限らず、イベントやグッズ、本を書きたい、映画を撮りたいなど、芸人たちの思っていることを形にしていく。すぐに収益が上がらなくても2年後、3年後、5年後に、やりたい事が形になっていく。色々な人を巻き込んで、それを最大限サポートしていく。それが、今の僕のプロデューサーとしての一番の仕事だと思います。

吉本は何でもできる会社

――入社されて17年ですが、改めて吉本興業はどういう会社だと感じていますか?
 17年前に入社する時、諸先輩方が『吉本は何でもできる会社』と言っていたんです。最初はよく分からなかったのですが、例えば僕が『このタレントでこういうイベントをやりたい』と言ったら、基本的にマイナスにはならないです。要は「それ、やめとけ」ということではなく、『ある程度やらせてもらえる会社』。ちゃんと熱意持ってやりたいというものがあれば、『比較的寛容にやらせてくれる会社』だと思います。

――今までで、特に印象に残っているお仕事はありますか?
 僕がタレントのチーフマネージャーになった5年目の時ですが、新宿にある大久保公園で夏休み期間中の約40日間、「何かイベントできないでしょうか」という相談がありました。当時、『今田・東野のやりすぎコージー』(テレビ東京系)という番組があって、その中の『やりすぎ都市伝説』というコーナーを派生させて、イベントをすることになりました。都市伝説のちょっと不気味な、『世にも奇妙な物語』のようなお芝居を40日間です。

 それで、吉本、テレビ東京さん、新宿区さんとやることになったんですよ。主催は吉本なので、責任者は僕でした。もちろん、チーフマネージャーをやりながらです。小さな部屋に毎日こもって、仮設の大きなテントを立ててブースを作って、消防署に行って火災点検をやってもらい、トイレがないからプレハブのトイレも入れました。もちろんチケットも売らないといけないので、宣伝も。何から何まで、それを5年目で担当できたということはとてもいい経験になりました。タレントのスケジュールを整理して、40日間、4芝居か5芝居やり続ける。色々な調整もして、なんとかあの夏を乗り切りました。それは、すごく印象に残ってますね。

よしもとクリエイティブ・エージェンシー・中村聡太氏(C)MusicVoice

よしもとクリエイティブ・エージェンシー・中村聡太氏(C)MusicVoice

――5年目で、そんな大きなイベントを任せてくれたのはすごいですね。
 5年目の僕に任せてくれたというのが、吉本のすごいところだなと、本当に思います。もちろんその後、絶えずいろんな大変なことがあって、質が違うこともいろいろありますけど、でもやっぱりあの5年目であのイベントが出来たのは、自分にとっては大きな経験になっているなと思います。

 時にはそういう環境に自身を投げ入れて、失敗しながら経験していく。そういった経験が、さらに人を強くしていくのは絶対にあると思います。ここの見定めは、すごく大事で難しいですよね。それぞれ個性があるので、どこまで背負わせるか、これ以上は多分パンクしちゃうから、ここは僕のほうで引き取ってあげようとか。僕もやっぱり、そういう風に会社に育ててきてもらいましたから。そこはしっかり、会社のサイクルとして下の子にも繋げていきたいですね。

――そういう意味では、マネージャーさんはかなり激務なイメージがあるので、その点も、上司としては気を付けていますか?
 そうですね。僕が入社した17年前の忙しさと、今の1年目の新入社員とは、比べ物にならないと思います。僕が1年目の時は、本当に忙しかったんです。でも、やっぱり時代がそういう時代じゃなくなってきている。僕にも部下が数多くできて、僕が休まないと部下も休みにくくなる。仕事をする時は仕事する、休む時は休む、僕は家族もいるから、家族と過ごす時は家族と過ごす。メリハリをつけた方が成果は出るんだと思っていますし、それを実践しなければならないと感じています。

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