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今年は“ダパハラ”? 忘年会の余興ハラスメントに見るユーザーが選ぶ“今年の顔”
恋ハラ、ブルハラ、年の締めくくりの余興がハラスメント化
忘年会は起源がはっきりと分かってない日本の風習で、園田英弘氏が著した『忘年会』(文春新書)によれば、「年忘れ」という言葉を用いた最古の例では1430年、室町時代の皇族・伏見宮貞成親王が認めた『看聞日記』。年末の連歌回が盛り上がった様子が「年忘れのよう」と書かれてあり、年末に酒を飲んで乱舞するのはこの頃から変わらず。一般の人々に浸透したのは明治時代で、「無礼講」というキャッチコピーが生まれたのもこの頃だ。
当時は良かったのかもしれないが最近は、「やれ」とは言わないまでも威圧感があることや、出し物を披露するのが若手や新入社員などになりがちなところから、“時代に合っていない”などと嫌がる若者も多いよう。ただし、その年に流行ったものを年末に披露することはなんとなくみんな予想できており、「どうせやるんだろうな〜、やらされるんだろうな〜」という諦めの念も込めて、ネタ的にハラスメントと言っている人も多いようだ。
余興での需要の高いネタこそが、“今年最大のヒットコンテンツ”
このようにみんなで盛り上がれるコンテンツとして、故・西城秀樹さんの『Y.M.C.A』やピンクレディーの『U.F.O』はもはや往年のテッパンネタともいえるだろう。また、過去の余興を盛り上げてきたのは、替え歌やものまね、波田陽区にコウメ太夫、小島よしおやサンシャイン池崎、ゴールデンボンバーの『女々しくて』ほか、やや過激なものではアキラ100%などが挙げられるだろう。
「ここからある事が見えてきます」と話すのはメディア研究家の衣輪晋一氏。「その年の“テッパンネタ”になっているものが、一年を通してのブームの頂点のコンテンツであり、本当の意味で“ユーザーが選んだ顔”であること。また、メディアでは一発屋の烙印を押されていたとしても、ここまで世間に浸透したネタを持つ芸人は、地方の営業で活躍しているケースも多い。例を挙げれば、ムーディ勝山の『右から来たものを左へ受け流すの歌』や、スギちゃんの『ワイルドだろぉ』がこれに当たる。余興のネタに入ったかどうかは、イベンターが芸能人を呼びたい際の観客が盛り上がる指標にもなりやすい」(衣輪氏)
余興の需要の高さが、浸透の指標ともいえるし、その一年を振り返らせてくれる役割もある。またその年の“顔”であるため、数年後にどこかで「あの人が忘年会でアレをやった」ことなどが話題に上がり、「あったね〜」「あれが流行ったのはもう〇年も前か〜」というやり取りなど、誰もが経験することではないか。さらに『Y.M.C.A』や『U.F.O』などの往年のテッパンネタでは、当時を知らない若者と上司世代をつなぐ架け橋にもなることもある。「メディアで流行した文化を受け継いでいく“場所”にもなっている」と衣輪氏も分析する。
誰しもがわかるコンテンツだけが醸し出せる“今年を駆け抜けた感”
一方でSNSの発展が、以前とは違う現象を芸人やアーティストにもたらすようにもなっている。「SNSへの忘年会の余興の写真や様子、コメントの投稿で、エゴサーチする芸人やアーティスト本人、またはオフィシャルが、どこでどれだけ盛り上がっているか簡単に知れるようになりました。ユーザー間でも共有され、投稿が拡散されたり、別の忘年会で真似をされたり、盛り上がることでさらに届きやすい時代に。これは芸人やアーティストにとっては“勲章”であり喜びであり、次のステップへ向かうための区切りや意欲へとつながるはずです」(衣輪氏)
忘年会の余興を“古臭い”“悪習”と考える人もいるのは事実。だが、この一年を十分に消化するためにも、今年の一番の顔で盛り上がって締めくくるというのは必要なことかもしれない。年々減っているが、なくなってしまうと寂しい。消費されていく切なさはあるが、おそらくそれは、芸人やアーティストも同じなのだ。
(文/西島亨)