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ORICON NEWS
すっぴんの次は“体重公開”がブームの兆し 若い女性の“美意識”に変化
「細い人が魅力的」との潜在意識か…過去には体重“サバ読み”暴露企画も
(【写真】菊地亜美7.5キロ減量 「一番太っていた時期」の写真公開)
須藤凛々花は公称40kg。だが17年に生放送された『今日、体重発表します。-優勝賞金100万!負けたらその場で体重発表!-』(AbemaTV)に出演し、麻雀勝負を敢行。一度もアガれずに完敗し、罰ゲームで実際の体重が41.3kgであるとし、十分”細い“と言われる数字ながら、「1.3kg、サバ読みました…」とうなだれた。また元AKB48の島田晴香は『ナカイの窓』(日テレ系)で体重を測定。40kg台後半と公言していたが結果は57.5kg。ネットニュースなどで大々的に報じられてしまった。
「これらがテレビショーとして成立するのは、体重を公開するのは恥ずかしいことという固定観念が根強くあった証拠」と話すのはメディア研究家の衣輪晋一氏。「男性の思い込みも強く影響しており、例えば14年の『Seventeen』8月号では『これがオレらの理想女子、夏』という特集が。男性の理想が“152cm・37kg”という現実的には到達が難しい数字で、多くの女性が“今の世でもこれか”とズッコケてしまったのでは。だが一方で、例えば安室奈美恵さんは身長158cm・体重40kgであると言われており、“やれている人はいる”という認識も。こうしたことから、女性は体重を公表することにためらいを覚え、公表するにしても”実際よりも軽め“にすることが暗黙の了解となっていました」(同氏)
自ら“ありのままの体重”を公開 「もう少し増やしたい」発言も
高橋真麻は今年2月のブログで55.7kgであることを公表。ダイエット宣言をし、一ヶ月で4kgも減らしたことも報道されていたが、今はこの逆パターンで体重を公開したうえで「増やしたい」という思いを漏らすことも多く、今年6月に新RIZAP発表会に出席したダレノガレ明美は「きょうは43kgでした。あと2〜3kg増やします。(中略)いい人を見つけるためにガリガリじゃなくてセクシーだなと思われたい」と発表した。
また菜々緒は昨年3月の公式Twitterで「これからも筋トレ続けて1kgは最低でも増やして50kgをベスト体重にしたいです。出来ればもっと全体的に筋肉つけてメリハリつけたい。ふくらはぎの筋肉もっとつけたい」とツイート。ローラは先月、自身のInstagramで「わたしは体重は気にしないんだ♪どんなお食事をしてどのくらいの運動をするのかで見た目にでるからね!50kg台がいいかなぁ♪」と記し、“体重よりも見た目。そのために、自分はもう少し体重を増やすことが理想“というような主旨を述べ、それぞれがニュースに取り上げられている。
ボディメイクブームや、“テレビ的なウソ“ではない視聴者が求める“リアル”も背景に
こうした流れは、すっぴんを晒すムーブメントと似ている。「どちらも自らの美に自信があるからこそではあるが、日本女性の意識に“決まった美”を良しとするのではないという変化が置きているからではないか」と同氏は話す。昨今は、筋肉女子やボディメイクブームの流れなど、“正しく筋肉をつけるとそれだけ重くなる”ということも世間に浸透してきた。正しい知識で判断する人が、男性を含めて増えてきていることから起こっている現象とも言える。
「もう一つ挙げておきたいのは、今、人々が嫌うものの筆頭に“テレビ的なウソ”があること。過去にマツコ・デラックスさんも某番組の収録の裏側で、VTRが間に合っていないにもかかわらず、スタジオの全員がVTRを見たという体で収録を再開する流れの演出に、“そういうのいい加減にやめなさい。そういったテレビのウソが視聴者に嫌われているのよ”とスタッフを叱責したことがありますが、今の視聴者は“テレビ的なウソ”に敏感。ほとんどの視聴者が女性タレントの公式プロフィールにある体重は信用しておらず、とくに女性の体重の現実を知る女性ユーザーは“どうせサバ読んでるんでしょ”と心の何処かで思っているはず。そうしたなかで“ありのまま”を発表するのは、結果的に好印象につながりやすい」(衣輪氏)
筋肉の重さの認識、テレビ的なウソへの欺瞞などがあり、そんななかである程度確かなのが、フォルム。実際、ローラやダレノガレ、菜々緒のように「体重は気にしない、求めるのは“見た目”」というタレントが増えてきていることから、数字ばかりにとらわれず、健康美などの美しいフォルムにこだわる流れが置きている。「だが、今回の話の“ありのまま”は“生まれたままの”という意味では決してなく、結局は絶え間ない努力で“作っていく”もの。“美”には様々な価値観があり、自分が信じる“美”を懸命に求める真摯な姿こそが“美しい”」と衣輪氏。現代の女性には、数字からだけでは見えない“美”が求められているのかもしれない。
(文/中野ナガ)