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【TBSアナウンサー×「ラジオ」Vol.3 外山惠理】永六輔さんと過ごした素晴らしい16年「今もTBSラジオのスタジオにいてくれているはず」

TBS・外山惠理アナウンサー

TBS・外山惠理アナウンサー

 6月11日から17日に実施された個人聴取率調査(ビデオリサーチ首都圏ラジオ聴取率調査)で見事トップを獲得し、2001年8月から102期連続(17年間)という大記録を達成するなど、ラジオ業界では一人勝ち状態のTBSラジオ。そんな同局の特色のひとつとなっているのは、テレビとラジオの両方の放送局を持つ「ラテ兼営」という点。普段テレビでよく見るアナウンサーの意外な一面が、「ラジオを聞けば、見えてくる」と好評を博している。

 そこで今回、TBSラジオで番組を担当しているアナウンサー陣を対象に、テレビとは違ったラジオの魅力を聞くリレーインタビューを敢行。第3回は、『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』や『六輔七転八倒九十分』などの番組で16年以上も永六輔さんのパートナーを務めてきた外山惠理アナ(42)。現在は昼のワイド番組『たまむすび』の金曜パーソナリティーとして明るいトークを繰り広げる外山アナに、アナウンサーとしての原点ともいえる家族のエピソード、そして「不思議な関係」と語る永さんとの思い出について、じっくり語ってもらった。

焼き鳥屋で感じた「ラジオの醍醐味」 文化放送アナウンサーだった母の教えとは?

――昨年4月から赤江珠緒さんの産休中に『たまむすび』の木曜日を1年間、赤江さんが復帰した今年4月からは金曜日を担当されています。
外山惠理お昼の放送ってとても楽しいんですよね。難しいことをやるわけじゃないし、他愛もない話をしていればいいので(笑)。「聞いているみなさんもこの会話に入ってきて」という番組だから、誰にでも参加できるように心がけていますが、それが楽しいです。
――昨年はピエール瀧さん、今年は玉袋筋太郎さんがパートナーです。

外山惠理玉さんとは4ヶ月くらい経ちますが、最近になって何でも言える感じになってきてすごく楽になりました。2人とも江戸っ子だけど、玉さんはすごく気を使われる方だし、私も意外に思われるかもしれませんが人見知りなので(笑)、最初はお互いに遠慮していた部分があったと思うんです。でも最近は「ここは自分が話していいところだな」とか「ここは玉さんに聞きたいな」とか、トークの呼吸が合ってきました。生放送だから大変なこともありますが、玉さんが楽しくやってくれて、聞いてくださる方が楽しんでくれたらうれしいです。ただ、玉さんが「俺は最初の頃のほうがやりやすかった」と思っていたら困りますけど(笑)。

――お昼の番組と外山さんの雰囲気がとても合っているように感じます。

外山惠理本当に楽しいですね。この前はたまたま行った焼き鳥屋さんが仕込みの時間に聞いてくれていて、テレビで私を見たことはなかったけど声を聞いて気づきましたって言われて、これぞラジオの醍醐味(だいごみ)だって感じました。お昼の番組は何かをしながら聞き流していただくようなものだから、「食堂で隣の席の人の会話が聞こえてきた」くらいの感覚で楽しんでいただきたいです。ただ、親近感は持っていただきたいですが、内輪受けのトークになりすぎないように気をつけています。

――外山さんのお母さんは元文化放送のアナウンサーでしたが、TBSに入社してラジオを担当することになったときに、なにかアドバイスはあったのでしょうか?

外山惠理なにもなかったです。放送を聴いて「ひどい」って言っていました(笑)。ただ、思い返してみると小さいときに教科書の読み方をよく注意されていたので、話し方については無意識のうちに教わっていたことがあったかもしれません。でも、娘がアナウンサーになるとは思っていなかったはずだし、アナウンサー試験を受けていることは内緒にしていました。結局、選考が進んで家に電話がかかってきてバレちゃったんですけどね。「テレビ局から電話が来たけど、何をやってるの!」って(笑)。

――お母さんからアナウンサー時代の思い出話を聞いたことは?

外山惠理会社には数年しかいなかったけど番組に恵まれていたようで「すごく面白かった」ってずっと言っていました。結婚して退社しましたけど、とてもかわいがってもらっていたみたいですね、私と違って(笑)。先輩や番組でご一緒した方もみんな優しくて、何十年も前だけど今でも楽しかったって話してくれます。母はビリー・バンバンさんと番組をやっていて、私がTBSで初めてお会いしたときに母のことを思い出して「もしかして娘さん?」って聞いてくださいました。

――外山さんはラジオのサラブレットだったんですね。

外山惠理そう言われると「私はそんな話し方はしません」って母は嫌がりますね(笑)。母は私みたいにちゃきちゃき話すタイプじゃないですし、「本当の江戸っ子はそんな話し方じゃありません」って。両親は永六輔さんのことをとても好きだったので、私が永さんと番組をやることを喜んでくれたのですが、母から「永さんにあんな口の聞き方をして!」「あんなことも知らないのか!」って感想がくるから、「お願いだから聞かないで」と思っていました(笑)。

常に謙虚だった永六輔さんは“真のジャーナリスト”

――外山さんといえば、永六輔さんのパートナーを長く務められました。亡くなられて2年が経ちましたが、いま思い出すことはどんなことでしょう?

外山惠理よく笑って、ずっと旅をしている人でしたね。放送が土曜日だったから、それが終わるとすぐ旅に出て、金曜日に帰ってきてその話をして、また旅に出る。永さんは自分の先生に当たる方から「電波の先に行きなさい」と言われ、それを律儀に守って実際に自分でいろいろなところに行き、その土地で聞いた話をたくさん伝えてくださいました。そういう姿を見て、これぞ“真のジャーナリスト”じゃないかと感じましたね。今はネットで調べた情報を自分のことのように話す人ばっかりだけど、永さんはちゃんと自分の足で調べて、ニュースで報道されることにも「現地ではちょっと温度差があるんです」とちゃんと伝えてくれて。それをずっと続けてきたのは、本当にすごいことです。
――最後まで自分のルールを大事にされた方だったんですね。

外山惠理永さんに「詳しいですね」って言うと、「僕が知っているんじゃなくて、誰々から聞いたことを話しているだけですから」って必ずおっしゃっていました。最後まで決して偉そうにせず「僕が物知りなわけじゃないからね」って常に謙虚で。そういう姿勢も尊敬しています。いろいろな土地に行くごとに「おかえりなさい」って言われるのも、何回も通っているからですよ。事前に行くと伝えなくても永さんが来るといつの間にか話が広まって、どんどん人が集まってくるから、体調が悪くなってからは大変だったはず。だから永さんは「義理は欠け」とよく言っていましたが、結局は最後まで義理を欠かない人でしたね。

 年配の方はよく「永さんは怖い」ってうわさしていたけど、私はそう思ったことは一度もなくて。私がパートナーになった直後に、リスナーの方々から抗議の手紙がたくさん来たことがあったのですが、永さんはそんな人に「長い目で見てください」って返信を書いてくださったんです。こんな素晴らしい人はいないし、一生ついていこうと心に決めました。“頑固じじい”みたいに思われていた部分もありましたが、お茶目な一面もあったから、私がそれを伝えたいと躍起になっていた時期もありましたね。

――そういう思いもあって、16年という長い期間もパートナーを務めることができたんですね。

外山惠理どうですかね…。途中から「外山を代えて、新しい子を育てるのも面倒だ」って思われていただけかもしれないけど(笑)。最後の方は“永語の専属通訳”なんて言われていましたけど、目の前で聞いていたらわかるし、何度も聞いたことがある話だから理解できていただけです。でも、永さんのろれつが回らなくなってきた時期は、新しいパートナーだと永さんも一生懸命に話そうとするだろうから、「私じゃない人がいいのかな」と思うこともありました。永さんと仕事できることは本当に幸せだから、後輩にもその経験をしてもらったほうがいいのかもしれないと考えたり。だから永さんに「私じゃないほうが頑張って喋ろうと思いませんか?」と聞いたこともあったんです。でも永さんは、私に「(これからも)手伝ってくれますか?」と言ってくださったので、そこまで思ってくださるなら私も全力で支えますと腹をくくりました。

――お二人は不思議な関係性ですね。師匠と弟子でもないし、親子でもない。

外山惠理よく聞かれるんですけど、私もうまく表現できなくて。いろいろ教えてくれる先生ではありますが、先生って小難しい話をするけど、永さんの話は今までのどんな授業よりも面白かったからちょっと違うし…。父が亡くなってからは、たくさんのことを教えてくれたから父みたいな感じでもあるのですが、あえて例えるなら「年の離れた友だち」ですかね。自分の前世で人間だった時があれば、きっとその時も何かしらのつながりがあったと思わせてくれる人でした。そんな人と出会えるだけでも素晴らしいことですし、16年も一緒にラジオをやれるなんて、それはもう本当に幸せでした。いまは永さんと話せないのは残念ですが、逆に近くにいてくれているような気がします。TBSラジオのことはずっと気にかけていて、どこかのスタジオにいて、いろいろ文句を言ってるでしょうね(笑)。

好きな番組ができるなら…永さんのラジオの同窓会をやってみたい

――現在は『たまむすび』のほか、第5日曜のみ『爆笑問題の日曜サンデー』も担当しています。

外山惠理天才的な2人の会話が面白くて、私が一番近いリスナーとして楽しんでいます。本気でケンカをしそうになったり、太田さんの突飛なボケに田中さんが的確にツッコミを入れたり、マジメなことからくだらないことまで、面白いだけじゃなくて感心することも多くて。家で聴いていてもツッコミを入れています(笑)。爆笑問題さんも玉さんも、共通するのは「ラジオが好き」ということ。自然体でやっているし嘘がないから、どちらもすごく大好きなんです。永さんも同じでしたね、ラジオを楽しんでいたし、嘘をつかない人でしたから。

――もっと『日曜サンデー』を担当してみたい気持ちは?

外山惠理あるといえば、あるんですけどね(笑)。企画を作ってよってスタッフに言ってもなかなか実現しないから、みんな私より(第1〜4日曜レギュラーの)江藤愛が好きなんでしょうね(笑)。でも、あのくらいのペースがちょうどいいんですよ。今年で会社員になって20年になりますが、初めて嫌な仕事が一つもなくて、今が一番幸せですよ。以前は「他のアナウンサーが外山と同じことを体験したら、死んじゃうよ!」って言われるくらい、周りからずっとかわいそうって思われていましたから(笑)。でも今は、テレビもラジオも好きな番組を担当させてもらって、本当に幸せです。

――もし自分の好きな内容のラジオ番組を放送できるなら、どんな番組をやってみたい?

外山惠理1日だけなら、永さんのラジオをやっていた土曜の朝8時半から午後1時まで、永さんのラジオを聞いてくれていた人たちの同窓会みたいな番組をやってみたいですね。番組が終わってからもリスナーさんから手紙をいただいているので、それを読んだり、はぶ三太郎さんやラッキィ池田さんなど番組にゆかりのある方に来ていただいたり。聞いてくださった方への近況報告じゃないですけど、気になっている方もいると思いますので、自分の声で語りかけたいです。4時間半とは言わないので、せめて2時間でもできたらうれしいですね。
◆外山惠理(とやま・えり)1975年生まれ。慶應義塾大学を卒業後の1998年、TBS入社。3年目の2000年から永六輔さんの番組『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』のアシスタントに起用され、15年9月の番組終了まで、さらに後継番組『六輔七転八倒九十分』を16年6月の番組終了まで永さんのパートナーを務めた。現在はTBSテレビ『ゴロウ・デラックス』にも出演。

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