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ドレスコーズ・志磨遼平、独自の世界観と俳優としての可能性

 音楽界にとどまらず、今やクリエーターや文化人からも圧倒的な支持を得ているドレスコーズ・志磨遼平。そんな彼が映画『GANTZ:O』と『溺れるナイフ』の主題歌を手掛け、それを収録したニューシングル「人間ビデオ」を発売。さらに『溺れるナイフ』では役者デビューも果たすなど活動の場を広げているが、自分のことを「ラッキーなオジさん(笑)」と笑う志磨。そんなどこか掴みどころのない、でもとてつもなくチャーミングな“愛されキャラ”の魅力に迫った。

『GANTZ:O』は予想以上ピッタリ、縁もゆかりものない作品の主題歌だったら難しかった

  • シングル「人間ビデオ」【GANTZ:O盤】

    シングル「人間ビデオ」【GANTZ:O盤】

――映画『GANTZ:O』と『溺れるナイフ』の2作で、それぞれタイプの違う主題歌を手掛けられましたが。どちらも映画とドレスコーズの世界観が見事にマッチングしていますね。
志磨遼平 そう言っていただけると嬉しいです。でも『GANTZ:O』のほうはウルトラCを決めたっていうわけではなくて。僕自身が20歳の頃から10年以上、原作の読者なので、こういう曲が合うだろうなっていうイメージは湧きやすかったんですよ。実際に映画で流れているのを観たときも、予想以上ピッタリだったので安心しました。

――志磨さんは私小説的に曲を書くことが多いそうですけど、タイアップものの場合はスイッチが切り替わるんですか?
志磨遼平 いや、『GANTZ:O』は稀というか、理想的だったんだと思います。自分がマンガを元々読んでいて、作品のテーマであったり雰囲気であったり印象的なセリフっていうものがあらかじめ頭に入っていたので、映画と音楽がギクシャクしなかった。つまりタイアップものだけど、いつもと同じスタンスで自分のことのように書けたんです。だから逆に自分と縁もゆかりものない作品の主題歌だったら難しかったと思いますよ。

――志磨さんといえば文学的な詞の描写に定評がありますが、確かにこの曲も人間の“業”をあぶり出すような“志磨節”が発揮されています。
志磨遼平 『GANTZ:O』は、最終的には人はなぜ争うのかとかなぜ別れるのかとか、根本的な命題と主人公が向き合うという展開。そういう意味ではひとつの文学的な作品ですから、僕もそういう風に書けたと思います。

――映画の主題歌は劇中で描かれていた以上のことが最後に歌われ完結するっていうのがひとつの理想だと思うのですが。まさにそういうタイプの曲ですね。
志磨遼平 そうなっていたら良かったです。ただ、僕は曲を作るとき、自分が目立とうとして曲を作っているんです。自分の言いたいこととか、自分の灰汁(あく)とか、やらなくてもいいことをわざわざ主張として歌っている。恥ずかしいことですけど(笑)。それが主題歌の場合、他の人の作品の一部になるわけで、作品よりも目立ってはいけないし、うまく添い遂げられなくてはいけない。そこができているかな? って、いらぬ老婆心も持っていたんですが、映画の力が素晴らしかったのでそんな心配には及ばなかったですね。

『溺れるナイフ』主題歌で初めて自分以外のために歌った

  • シングル「人間ビデオ」【溺れる盤】

    シングル「人間ビデオ」【溺れる盤】

―― 一方、『溺れるナイフ』の「コミック・ジェネレイション」も見事に“添い遂げて”いました。原作を読んでいたんですか?
志磨遼平 ジョージ朝倉先生のマンガは読んでいたけど、『溺れるナイフ』は読んでいませんでした。しかもこれは音楽よりも役者として出ませんかっていう話が先で、その時点では主題歌の話は白紙だったんです。で、(映画を)撮り終わってから山戸監督から「撮影中、『コミックジェレイション』がずっと頭にあった」って言われまして。この曲は映画のための書き下ろしではなく、ドレスコーズの前身のバンド、毛皮のマリーズ時代の曲なんですけど、監督は昔から僕のバンドを好きでいてくれたらしいんですよ。僕も劇中にも参加した身としては最後まで監督の思い通りに進めて欲しいから、もちろん提供しますよと。

――オリジナルの音源をそのまま使わず、再録したのは?
志磨遼平 この曲を録音したのが28歳ぐらいのときで、若干ではあるけど今よりももっと主張が強かったんですね。だからそのままだと映画の邪魔をしてしまうんじゃないかなと。印象的なラストシーンの後に曲が流れるんだけど、そこでまったく関係ない歌を聴かされて終わるみたいになると僕としてはいたたまれないから、もし良ければもう1回、録音するって山戸監督に言ったんですね。今度は映画のために歌うというか。多分、自分以外のために歌うのは後にも先にもほぼないと思うんだけど、それを初めてやってみたんですよね。

――では、歌声も変わっている?
志磨遼平 変わっていると思う。僕は劇中では広能というカメラマン役なんですが、彼は主人公の若い2人を終始、傍観しているスタンスなんですね。何かアドバイスするわけでもなくただ、撮りたい欲求だけでその場にいるような人。だからレコーディングのときも10代の2人を横から見ているっていう距離感を保ったまま歌うようにしました。会話とかもそうだけど、自分の話を聞いて欲しいときと、誰かの話を客観的にするときって声が変わるじゃないですか。歌声にもそういうニュアンスの違いが出たんじゃないかな。

――そういった“距離を置いたスタンス”のせいなのか、この曲が最後に流れることで映画のヒリヒリ感や切なさが昇華されるというか。ホッと着地させてくれる感覚がありました。
志磨遼平 映画のラストが大人になっていく2人を祝福するような終わり方だったから、僕もそういう気持ちで歌ったんだけど、着地できる感覚を感じてもらえたなら良かった。嬉しいです。

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