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デビュー20周年の華原朋美、紆余曲折経てのいま

 小室哲哉とタッグを組んだ5月発売の新曲「はじまりのうたが聴こえる」に続き、アーティスト活動20周年を網羅するベスト盤とセレクションアルバムを同時リリースした華原朋美。そんな彼女が「I’m proud」などメガヒットを飛ばした90年代から、奇跡の復活を果たした2012年の復帰ステージ、そして現在の心境まで振り返った今回のインタビュー。嬉しかったこと、辛かったこと、すべてを内包した、今の華原朋美のリアルをじっくりと感じて欲しい。

デビュー当時は、歌よりも愛に対する想いのほう大きかった

――『ALL TIME SINGLES BEST』『ALL TIME SELECTION BEST』はともに、“華原朋美”の20年間の歴史と変遷をじっくりと感じられるラインナップ。なかでも一気にスターダムへと昇りつめた初期の楽曲群は、いま聴いても鮮烈ですが、華原さん自身は当時の状況をどんな風に感じていましたか?
華原 あのときはアーティストとしての自分がどうかというより、とにかく恋と愛がすべてでした。あと私の場合、デビューする前から別の名前で芸能活動をしていたけど目が出ない時期が何年もあって。そこからあるとき突然“華原朋美”として急にテレビに出たり、曲が売れて、現実離れしちゃったというか。自分でもわけがわからないうちに築き上げられていたっていう感覚でした。しかも、そうさせてくれたのは当時、波に乗っていた小室(哲哉)さんの力で。私はそこに乗っかっただけで努力せずに辿り着いてしまった感じだったので、なんかすごいなって。今ではちょっと考えられない状況だったなと思います。

――リスナーも、現代のシンデレラストーリーを見るような感覚はありましたよね。
華原 そうかもしれないですね。私自身は当時まだ21歳、22歳で、とにかく好きな人と一緒にいたいっていう時期だったから、歌に対する想いよりも愛に対する想いのほうが大きくて。その気持ちがまた歌に反映されるって感じだったので、それはそれで楽しい時間でした。観ている人たちもたぶん、そんな2人が好きだったというか。すごく幸せそうで、絵に描いたような2人だと思っていたのかなと。私もネットなどであの頃の映像を観ると、そう思います(笑)。

「I’m proud」を歌うことも聴くこともできなかった時期も

――当時の映像とか観るんですか?
華原 “こんなときもあったなぁ”みたいな感じで、ときどき観ますよ(笑)。あんな2人が「LOVE BRACE」や「I BELIEVE」、「I’m proud」とか歌うことで、女の子の憧れるような世界を作り、それが曲のヒットや“華原朋美”の人気に繋がったのかなって。でも「I’m proud」は当時、小室さんも「すごいよな」って言ってました。「僕は『LOVE BRACE』がすごく好きなんだけど『I’m proud』を超えるのは難しい」って。「そこと比較しなくていいんじゃないですか?」って言いましたけど(笑)。

――でも「I’m proud」は華原さんの中でも大きな曲ですよね。
華原 もちろん、というか大きすぎた。存在感が強すぎて、歌うことも聴くこともできなかった時期もありました。

――2012年の『FNS歌謡祭』(フジテレビ系)では、その「I’m proud」を堂々と歌い上げ、見事5年半ぶりの復活を果たしましたが、あのときはどんな気持ちでした?
華原 精神的に裸の状態でした。5年半も普通の生活をしていると、芸能人オーラとかもなくなっていますし、しかも私はその間、“死んでしまいたい”と思った時間のほうが長くて。そのなかで、いろんな人の救いがあり、人間らしくなっていったんですが、隠すとこはなくなっちゃっていましたからね。その上で復帰するなら、もう自分をすべてさらけ出すしかないわけで。それはすごく恥ずかしいし、勇気も必要で、“これが今の私です”って想いだけで、あのステージに立っていました。

――でもブランクをまったく感じさせない、むしろ以前より歌唱レベルの上がった歌声と、さらに綺麗になった“朋ちゃん”にみんなが驚き、そして感動しました。
華原 復帰に向けて体重も減らしたし、ボイストレーニングも通いました。あと、車の免許を取ったのですが、あえて車は使わず電車に乗って毎朝職場に通う人たちと同じ目線で、それまで自分が経験しなかったことを一生懸命、探ったりもしました。そういう作業をすることで、自分が今置かれている立場や目指していることを自覚するというか。本当に復帰を自分に誓えるのか?って、問いかけていたんですよ。

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