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“優等生だった”清水翔太の葛藤と日本語に拘る理由とは

 デビュー7年目を迎える清水翔太が、これまでのシングル曲を集めたベストアルバム『ALL SINGLES BEST』を発売した。男性ソロアーティストとしてR&Bのバックボーンを持つ音楽性をポップフィールドで昇華させる。その希有なスタンスを守り続けてきたこだわりと葛藤。さらに「優等生だった」というデビュー当時の心境や、歌の練習のために通う“意外な場所”まで、素顔の“清水翔太”に迫る。

HIP HOPやR&Bのコアなところではなく、ポップフィールドで挑戦しないと意味がない

――デビューから7年。キャリア初のベスト盤になりますが、出そうと思った理由は?
清水 本当に特に意味はないんですよ(笑)。いずれは出すだろうなと思っていて、「出そうか」って言われたので出したっていう。

――でも、曲順がリリース順でないところに、清水さんなりのこだわりも感じましたが。
清水 それも、リスナーの目線というか。清水翔太の曲はどういう風に並んでいればいいか僕が考えるよりも、周りの人間が考えた方がいいかなと思ってスタッフのみなさんに考えてもらいました。オリジナルでそういうことは絶対にやらないけど、ベストだからこそ自分のこだわりよりも、より客観的に、どう聴かれるのがいいのかなってところに重点を置きました。だから、僕自身、曲の並びを見たときは新鮮でしたよ。

――Disc1の1曲目がデビュー曲の「HOME」、そして2曲目が最新シングルの「I miss you -refrain-」と、一気に時代が飛ぶのも面白い。ベストってリリース順に聴いて歌声や楽曲の変遷を楽しむって聴き方もあったりしますが、そこをあえて取っ払っていますよね。
清水 逆に“変遷”ってものをあまり考えて欲しくなかったんです。なぜなら、僕自身が大きく変わった意識がないから。変わっていったねぇっていうよりも、デビューの頃から今まで一貫して清水翔太の音楽があるっていうほうが個性的かなと思っています。もちろん技術的な部分は変わっているけど、僕の場合、デビュー時から自分の感性というか、基本的なセンスや言葉の選び方はある程度、完成されていて。だからこそわけて欲しくないって、そういう想いがあるんですよね。

――確かに清水さんは「HOME」のときから、新人らしからぬ安定感と存在感がありました。ギター弾き語りやピアノ弾き語りというスタイルがメインではない、歌1本の男性ソロアーティストというのも珍しかったですし。
清水 HIP HOPやR&Bとか、もっとコアなところだと、自分で曲を作ってアレンジまでやっている人はいるけど、ポップフィールドでそこまでやるっていうのはパッと思いつくのは槇原敬之さんぐらいですかね。だから僕自身、チャレンジであり闘いであるっていう意識はあって。というのも、R&B的な考え方でいくとJ-POPとか、いわゆるポップフィールドでやっていくっていうのは、よく言う“セルアウト(売れ線に走る)”っていう考え方が強いと思うんですね。でも僕は考え方が逆で、自分のR&B感というものに自信があるので、それをポップフィールドにのせることがむしろこだわりというか。

――コアを持ちながら、マス(メディア)に挑戦していくと。
清水 でも、R&BやHIP HOPっていうバックボーンを持ちながら認められるっていうのは、非常に難しい。だからこそ、そこに挑戦していかないと意味ないじゃんって思うんです。カッコイイことをやるだけなら、趣味でやればいいわけで、メジャーなアーティスとしてやるからには戦い続けなければいけないんじゃないのって想いは、デビューの頃からずっとありまして。もちろん自分の欲の部分ではすげーカッコいいR&Bをやって、R&Bファンたちをあっと言わせたいなって思ったりもしますよ。でも、やっても多分、空しい気がするんです。それよりもポップフィールドで、自分が追求する音楽を認められたい。そういう戦いをしている男性ソロアーティストは、確かに僕の他にあまりいないのかなとは思っています。

――清水さん以降、メジャーシーンにそういうアーティストが出てこないのは、おっしゃる通りかなり険しい道だからですね。
清水 険しいです。だからみんなやらないんでしょうね(笑)。

――それでもやってこられたのは?
清水 ガマンです。

――ガマンですか?
清水 あとはうまくバランスを取ってやっているからじゃないですか。このベストを聴いてもらってもわかるけど、できるかぎり僕は英語を使わないです。だから、すごく大変。カッコいいトラックを作っても、日本語って本当に乗せにくいんですよ。リズムが存在しないので、日本語ほどR&BやHIP HOPに向かない言語はない。しかも、R&Bって軽いノリやちょっとアダルトな歌詞が多いので、深くて“いい歌詞”っていうのがそもそも合わなかったりするんですよ。でも僕はやっぱり日本語で“いい”ことも歌いたい。ポップスらしい深い歌詞とR&Bの間で揺れながら、でもちゃんとレールから落ちないように走り続けてる。それがここまでやってこられた結果なのかなと思います。

デビュー当時は、何もかも初めてで頭の中がパニックになった

――実際、清水翔太ファンは、R&B好きの層と、じっくり歌に浸りたいポップス好きの層と両方あって、リスナーも幅広いですよね。
清水 そこは僕のオリジナルな個性のひとつかもしれない。それを築いてきた7年というか。でも、揺れが激しくなってスランプに陥ることもしょっちゅうありますよ。もっといいこと言いたいって思うときと、いや、もっとカッコいい音楽やりたいって思うときと、その揺れ幅が大きくなる瞬間があって。どっちかに一気に傾くと結構、しんどいです。

――どうやって乗り越えるんですか?
清水 どうしようもないです。腹くくるしかない(笑)。この1年はもういいこと言おう!とか、逆にちょっとカッコイイことだけやろうとか方向性を振り切って決めちゃう。でも決めてもまた迷うんですよ。で、また悩むっていう繰り返し(笑)。とはいえそんなもんは結局、音楽の上の悩みだから、曲ができ上がってしまえばいいじゃんって思えることで。それよりも、デビュー当時は違う意味で精神的に辛かったです。

――どんな意味で?
清水 何もかも初めてだし、わからない状態で頭の中がパニックでした。いきなり大人のなかに放り込まれて「明日、『ミュージックステーション』出ます」「えーこわっ」みたいな(笑)。

――デビュー前から、米・ニューヨークにある最も著名なクラブ、アポロ・シアターのステージに立ったという経歴もあり、堂々としているイメージがありましたが。
清水 肝は据わっていたかもしれないけど、求められて曲を作る苦しさとかは知らなかったですね。デビューするまでは、ただ勝手に曲を作っていただけなので、例えば“最高でしょ、この曲”って思って作った曲を聴かせても、「キャッチーさが足りない」って言われて、“何、キャッチーって?”みたいな。そこで初めて、もうちょっと広く受けるところを狙っていかないといけないんだってわかってきたり。今はそれを自然に考えてやっているけど、最初の頃は音楽でメシを食うっていうのは、そういうことかって勉強の日々が続いていました。しかも、そういう曲を作ったら作ったで、今度は商業的になりすぎて自分らしさの欠片もない曲になったりして。自由に曲作りをしていたデビュー前の感覚を、一気に変えないといけないっていうのは大変でした。

――方向性がわからなくなり、書けなくなったことは?
清水 もちろんありますよ。最初の頃は常にそういう感じ。会社が求めているものを書くべきなのか、その先のリスナーのために書くのか、そのバランス感がわからなかった。今は違いますよ。そんなのどっちでもいい、全員が納得する曲を書くしかないなって感覚で1周しちゃってます。当時は仕事としての音楽制作とは?ってところで、考え過ぎて苦しんでいました。

――その期間はどれくらい続いたんですか?
清水 2枚目のアルバムの『Journey』ぐらいかな。でも振り返ってみればそれはそれでよかった気がします。『Journey』は特にそうだけど、商業音楽ってところと個性ってところに揺れながらも、紙一重のバランスで作っている感じがいま聴くと良かったりするんですよ。僕は基本的にはクリエイターは、何かしらの制限のなかで作るべきだって思っているんですね。自由にやってしまったら、人に聴かせるものではなくなるから。そういう意味でも『Journey』は一歩間違えたらぶれ倒すっていう、そのギリギリを保ったからこそできた作品で。ここである程度、自分のスタイルが確立されて、その後の方向性も決まっていったから、意外と重要なアルバムだったりするんですよね。

(文:若松正子/撮り下ろし写真:ウチダアキヤ)

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