俳優・長門裕之さん(享年77)の通夜が23日、東京・元麻布の善福寺でしめやかに営まれ、著名人ら400人が弔問に訪れた。俳優・中井貴一(49)に続き、弔辞を読んだ笹野高史(62)は「不謹慎かとは思いますが、師匠が喜ぶと信じて歌わせていただきます」と卑猥な表現のあるお座敷歌「チョンコ節」を披露。笹野は「これで仕事も無くなるかなと思った。でも、師匠が笑ってくれるならいいかなって。師匠、どうでしたかね?」と、遺影を名残惜しげに見つめた。
茶目っ気たっぷりな表情が印象的の長門さんの遺影を前に、笹野があえて笑いで応えてみせた。「チョンコ節」は、長門さんの実弟の俳優・津川雅彦の映画監督デビュー作かつ、長門さんと笹野も出演した『寝ずの番』の劇中で中井が歌っていた歌。「一生懸命歌っても後ろはシーンとしてるし、前を見るとお坊さんが神妙な顔をしている。とてもとても孤独な闘いでした」と振り返りつつ、笹野は「津川さんは『良かったよ』って言ってくれてホッとしました。」と胸を撫で下ろししていた。
以下は主な参列者のコメント。
宍戸錠(77)
「(長門さんの本名・加藤)晃夫ちゃんは戦友で大先輩。いい弟を持って幸せだと思う。彼のすごいところは本能的に良い映画と悪い映画が(台)本を読んだだけでわかること。あと、女性関係もうらやましかった……(南田)洋子ちゃんも亡くなっちゃったからな、天国で聞いていてください。マキノ一家がこれでしぼんでしまわないように、また頑張ってほしい」
藤村俊二(76)
「自分で望んで行ったように思う。洋子ちゃんのところに早く行ったと、僕は思いたい。笹野さんの弔辞には笑いました。長門さんも笑っているのでは? 自分らしい弔辞だって。僕ももうそろそろ行くよ。それまで、洋子ちゃんと仲良くね」
里見浩太朗(74)
「いろいろなアイディアをくれるユニークな方で、いろいろ教えてもらいました。長門さんは、役者の醍醐味を大事にしている方だった。僕たち俳優にとって、牧野省三さんのお孫さんで、父は澤村国太郎さん、母はマキノ智子さんというすごい映画人の一家に生まれて、南田(洋子)さんを妻に迎えて、うらやましい環境にいる人。もう1回会いたかった」
萩本欽一(70)
「昨日たくさん『ありがとう』を言ってお別れしたので、今日は友達感覚で最後のジョークを言いに来ました。『俺も礼服持ってるぞ』って。ひどいジョークを言ったときによく指をさして『お前は!』って言ってたから、遺影のあの写真は『最後に俺にジョークを言って帰れ』ってことなのかなと。素敵な俳優がまたいなくなっちゃった。みんないなくなっちゃった……」
中尾彬(68)
「私はもう45年くらいのお付き合い。(南田)洋子ちゃんが『人に迷惑をかけないようにいらっしゃい』と言ったのかも。『寂しいからいらっしゃい』とは言わないと思う。送る言葉はありませんね。あの人が勝手に逝っちゃったんだから。ただ、お疲れ様と言いました」
水谷豊(58)
「初めてお会いしたのは私が中学生の15歳くらいのとき。僕もそうなんですが、長門さんと共演すると俳優やスタッフなどがファンになるんです。人を虜(とりこ)にする魔力をお持ちなのかなと当時思っていました。芝居をしているとき長門さんの中から出てくる何か、不思議な魅力があって虜になっちゃうんです。またご一緒したかった」
萬田久子(53)
「長門さん、寂しさから解放されたかと思う。私が会うと、洋子さんの話しかなさらなかったし。私たちは寂しいし、ちょっと早かったけど、長門さんは一人じゃ寂しかったんでしょうね」
上川隆也(46)
「ドラマ作品で何度かご一緒させていただいて、プライベートでも食事に誘っていただいたりしたこともあります。いつもほがらかで、包み込むような温かさを僕は感じてた。深くお付き合いする時間が得られなくて残念です。今日は、『僕ももう30年くらいしたらまたお会いできると思います。またかわいがってください』ということを伝えました」
川上麻衣子(45)
「まだ元気と思ってて、まだお会いできると思ってた。私が10代の時から長門さんの娘役をやってご縁があった。たくさん笑わせてもらった。かわいらしい男の子っていう印象がある。ちょっとエッチな話したりもして。温かい人でした」
国生さゆり(44)
「あ、逝ってしまったんだなって思った。こんなに近しい人が突然いなくなってしまうのは初めてだったので、本当に驚いてます。長門さんは、お話が好きで後輩思いのお芝居大好きなおっさんです。不謹慎だけど、川のほとりで洋子さんと会って今は二人でいるんじゃないかな」
⇒ ご冥福をお祈りします・・・「おくやみ・訃報」記事一覧
茶目っ気たっぷりな表情が印象的の長門さんの遺影を前に、笹野があえて笑いで応えてみせた。「チョンコ節」は、長門さんの実弟の俳優・津川雅彦の映画監督デビュー作かつ、長門さんと笹野も出演した『寝ずの番』の劇中で中井が歌っていた歌。「一生懸命歌っても後ろはシーンとしてるし、前を見るとお坊さんが神妙な顔をしている。とてもとても孤独な闘いでした」と振り返りつつ、笹野は「津川さんは『良かったよ』って言ってくれてホッとしました。」と胸を撫で下ろししていた。
以下は主な参列者のコメント。
宍戸錠(77)
「(長門さんの本名・加藤)晃夫ちゃんは戦友で大先輩。いい弟を持って幸せだと思う。彼のすごいところは本能的に良い映画と悪い映画が(台)本を読んだだけでわかること。あと、女性関係もうらやましかった……(南田)洋子ちゃんも亡くなっちゃったからな、天国で聞いていてください。マキノ一家がこれでしぼんでしまわないように、また頑張ってほしい」
藤村俊二(76)
「自分で望んで行ったように思う。洋子ちゃんのところに早く行ったと、僕は思いたい。笹野さんの弔辞には笑いました。長門さんも笑っているのでは? 自分らしい弔辞だって。僕ももうそろそろ行くよ。それまで、洋子ちゃんと仲良くね」
里見浩太朗(74)
「いろいろなアイディアをくれるユニークな方で、いろいろ教えてもらいました。長門さんは、役者の醍醐味を大事にしている方だった。僕たち俳優にとって、牧野省三さんのお孫さんで、父は澤村国太郎さん、母はマキノ智子さんというすごい映画人の一家に生まれて、南田(洋子)さんを妻に迎えて、うらやましい環境にいる人。もう1回会いたかった」
萩本欽一(70)
「昨日たくさん『ありがとう』を言ってお別れしたので、今日は友達感覚で最後のジョークを言いに来ました。『俺も礼服持ってるぞ』って。ひどいジョークを言ったときによく指をさして『お前は!』って言ってたから、遺影のあの写真は『最後に俺にジョークを言って帰れ』ってことなのかなと。素敵な俳優がまたいなくなっちゃった。みんないなくなっちゃった……」
中尾彬(68)
「私はもう45年くらいのお付き合い。(南田)洋子ちゃんが『人に迷惑をかけないようにいらっしゃい』と言ったのかも。『寂しいからいらっしゃい』とは言わないと思う。送る言葉はありませんね。あの人が勝手に逝っちゃったんだから。ただ、お疲れ様と言いました」
水谷豊(58)
「初めてお会いしたのは私が中学生の15歳くらいのとき。僕もそうなんですが、長門さんと共演すると俳優やスタッフなどがファンになるんです。人を虜(とりこ)にする魔力をお持ちなのかなと当時思っていました。芝居をしているとき長門さんの中から出てくる何か、不思議な魅力があって虜になっちゃうんです。またご一緒したかった」
萬田久子(53)
「長門さん、寂しさから解放されたかと思う。私が会うと、洋子さんの話しかなさらなかったし。私たちは寂しいし、ちょっと早かったけど、長門さんは一人じゃ寂しかったんでしょうね」
上川隆也(46)
「ドラマ作品で何度かご一緒させていただいて、プライベートでも食事に誘っていただいたりしたこともあります。いつもほがらかで、包み込むような温かさを僕は感じてた。深くお付き合いする時間が得られなくて残念です。今日は、『僕ももう30年くらいしたらまたお会いできると思います。またかわいがってください』ということを伝えました」
川上麻衣子(45)
「まだ元気と思ってて、まだお会いできると思ってた。私が10代の時から長門さんの娘役をやってご縁があった。たくさん笑わせてもらった。かわいらしい男の子っていう印象がある。ちょっとエッチな話したりもして。温かい人でした」
国生さゆり(44)
「あ、逝ってしまったんだなって思った。こんなに近しい人が突然いなくなってしまうのは初めてだったので、本当に驚いてます。長門さんは、お話が好きで後輩思いのお芝居大好きなおっさんです。不謹慎だけど、川のほとりで洋子さんと会って今は二人でいるんじゃないかな」
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2011/05/23