日本を代表する写真家の篠山紀信(本名:紀信=みちのぶ/83)さんの訃報を受け、俳優の宮崎美子(65)が所属事務所を通じて追悼のコメントを寄せた。
宮崎がデビューするきっかけとなった『週刊朝日』の表紙を篠山さんが撮影した。宮崎は「篠山さんとの出会いが無ければ今の私はありません」とし、「あのくりくりしたちゃめっ気あふれる瞳と、笑顔で周りを明るく照らす方でした」としみじみ。「4年前のカレンダー撮影の後、『10年後のデビュー50周年の時もお願いします』という私の申し出に、『それは無理でしょ』と大笑いされていたのが楽しい思い出です。感謝の気持ちともうお目にかかれない寂しさでいっばいです」と惜しんだ。
篠山さんは1940年生まれ、東京都出身。日本大学芸術学部写真学科在学中の61年に『日本広告写真家協会展公募部門』APA賞を受賞。広告制作会社・ライトパブリシティを経て、68年よりフリー写真家として活動をスタートした。
75年に雑誌『GORO』の山口百恵特集で使い始めた「激写」は流行語に。91年に発表した樋口可南子の写真集『Water Fruit 不測の事態』でヘアヌードを解禁、同年の宮沢りえの写真集『Santa Fe』は155万部のベストセラーになった。そのほか、ジョン・レノン、オノ・ヨーコ夫妻など時代を彩るスターたちを撮り続けた。
妻は元歌手の南沙織さん、次男は俳優の輝信。
■宮崎美子コメント全文
篠山さんとの出会いが無ければ今の私はありません。
あのくりくりしたちゃめっ気あふれる瞳と、笑顔で周りを明るく照らす方でした。
4年前のカレンダー撮影の後、「10年後のデビュー50周年の時もお願いします」という私の申し出に、「それは無理でしょ」と大笑いされていたのが楽しい思い出です。
感謝の気持ちともうお目にかかれない寂しさでいっばいです。
宮崎美子
宮崎がデビューするきっかけとなった『週刊朝日』の表紙を篠山さんが撮影した。宮崎は「篠山さんとの出会いが無ければ今の私はありません」とし、「あのくりくりしたちゃめっ気あふれる瞳と、笑顔で周りを明るく照らす方でした」としみじみ。「4年前のカレンダー撮影の後、『10年後のデビュー50周年の時もお願いします』という私の申し出に、『それは無理でしょ』と大笑いされていたのが楽しい思い出です。感謝の気持ちともうお目にかかれない寂しさでいっばいです」と惜しんだ。
篠山さんは1940年生まれ、東京都出身。日本大学芸術学部写真学科在学中の61年に『日本広告写真家協会展公募部門』APA賞を受賞。広告制作会社・ライトパブリシティを経て、68年よりフリー写真家として活動をスタートした。
75年に雑誌『GORO』の山口百恵特集で使い始めた「激写」は流行語に。91年に発表した樋口可南子の写真集『Water Fruit 不測の事態』でヘアヌードを解禁、同年の宮沢りえの写真集『Santa Fe』は155万部のベストセラーになった。そのほか、ジョン・レノン、オノ・ヨーコ夫妻など時代を彩るスターたちを撮り続けた。
妻は元歌手の南沙織さん、次男は俳優の輝信。
■宮崎美子コメント全文
篠山さんとの出会いが無ければ今の私はありません。
あのくりくりしたちゃめっ気あふれる瞳と、笑顔で周りを明るく照らす方でした。
4年前のカレンダー撮影の後、「10年後のデビュー50周年の時もお願いします」という私の申し出に、「それは無理でしょ」と大笑いされていたのが楽しい思い出です。
感謝の気持ちともうお目にかかれない寂しさでいっばいです。
宮崎美子
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2024/01/05