2022年10月1日に79歳で惜しまれつつこの世を去った「燃える闘魂」プロレスラーのアントニオ猪木さん(本名:猪木寛至)の一周忌の法要が12日、横浜市鶴見の曹洞宗大本山總持寺でしめやかに営まれた。
猪木さんは“燃える闘魂”のキャッチフレーズとともに、「1、2、3、ダー!」「元気があればなんでもできる」などの名せりふで、プロレスファンならず愛される存在だった。
1943年2月20日、横浜市生まれ。早くに家族とブラジルへ移住し、遠征に来た力道山さんがその身体能力に目をつけ、60年に日本プロレスに入団。ジャイアント馬場さんと同日にデビューし、62年にリングネームを「アントニオ猪木」と改名した。
アメリカでの武者修行などを経て、72年1月に新日本プロレスを旗揚げ。「プロレスこそ格闘技の頂点」とする「ストロングスタイル」を標ぼうし、マット上で無数の名勝負を繰り広げた。伝説のモハメド・アリ戦など、異種格闘技戦は社会現象となった。
昨年12月28日には両国国技館で追悼興行「INOKI BOM-BA-YE×巌流島」が行われ、セレモニーには猪木さんとゆかりのある選手や関係者が集結。猪木さんの愛弟子である藤原喜明がマイクを握り「1、2、3、ダー!」で見事に締めくくった。
一周忌の法要には、坂口征二、永田裕志、棚橋弘至、オカダ・カズチカ、藤原喜明、小川直也、藤田和之といったプロレスラー、アントニオ小猪木、アントキの猪木といった猪木さん縁のタレントなど120人が参列した。
また、猪木家墓前のブロンズ像の除幕式も。「1、2、3、ダー!」の掛け声のもと、トレードマークのマフラーを首に巻いた猪木さんの像に「お〜」と声が上がっていた。
猪木さんは“燃える闘魂”のキャッチフレーズとともに、「1、2、3、ダー!」「元気があればなんでもできる」などの名せりふで、プロレスファンならず愛される存在だった。
1943年2月20日、横浜市生まれ。早くに家族とブラジルへ移住し、遠征に来た力道山さんがその身体能力に目をつけ、60年に日本プロレスに入団。ジャイアント馬場さんと同日にデビューし、62年にリングネームを「アントニオ猪木」と改名した。
アメリカでの武者修行などを経て、72年1月に新日本プロレスを旗揚げ。「プロレスこそ格闘技の頂点」とする「ストロングスタイル」を標ぼうし、マット上で無数の名勝負を繰り広げた。伝説のモハメド・アリ戦など、異種格闘技戦は社会現象となった。
昨年12月28日には両国国技館で追悼興行「INOKI BOM-BA-YE×巌流島」が行われ、セレモニーには猪木さんとゆかりのある選手や関係者が集結。猪木さんの愛弟子である藤原喜明がマイクを握り「1、2、3、ダー!」で見事に締めくくった。
一周忌の法要には、坂口征二、永田裕志、棚橋弘至、オカダ・カズチカ、藤原喜明、小川直也、藤田和之といったプロレスラー、アントニオ小猪木、アントキの猪木といった猪木さん縁のタレントなど120人が参列した。
また、猪木家墓前のブロンズ像の除幕式も。「1、2、3、ダー!」の掛け声のもと、トレードマークのマフラーを首に巻いた猪木さんの像に「お〜」と声が上がっていた。
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2023/09/12