『資生堂』の名誉会長・福原義春さんが8月30日午後2時、老衰のため逝去した。5日に同社が報告した。享年92。
サイトでは「生前のご厚誼に深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。通夜・葬儀は近親者のみにて執り行われました。ご遺族の意向により、ご供花・ご香典・ご弔問などは固くご辞退させていただきます」と伝えた。
なお、現時点で日時・場所等の詳細は未定だが、後日「お別れの会」を予定している。
福原名誉会長は、1953年の資生堂入社以後、ブランド開発や海外事業などさまざまな分野に携わり、1987年に社長就任、2001年に名誉会長として経営の第一線から退くまで、現在にも受け継がれる数々の功績を遺した。また文化資本経営を提唱し、社会の文化芸術活動への支援などにも取り組んだ。
■ブランド開発
現在に至るまでロングセラー商品として販売されている1967年発売の男性用総合化粧品ブランド「MG5」の立ち上げなどに関わる。
「ハイクオリティー、ハイイメージ、ハイサービス」を軸としたプレステージ戦略実現のため、イメージクリエイターとしてフランス人セルジュ・ルタンス氏を起用。日本ならではの高品質な製品やカウンセリングサービスもあいまって、資生堂及びグローバル市場に向けた新たなブランドに対する高い評価を獲得することに成功。1980年にフランス・ドイツで展開を開始し、欧州におけるプレゼンスを確立した。
■海外事業
グローバル化推進を本格的に開始した1960年代、厳しい外国為替管理法や現地での資金借入れ難しかった時代に、資生堂アメリカ社長として赴任し、現地経営の立て直しを行う。
外国部長に就任した1980年代、83 年には日本の化粧品メーカーとして初めて北京市に対する技術協力を実現し、現地ブランドを発売。その後の中国市場における資生堂の礎を築いた。
欧米の高級化粧品市場で大きなウエイトを占めるフレグランス市場の重要性についてもいち早く着目し、1990年にデザイナーズフレグランスの企画・販売を手掛ける「ボーテ プレステージ インターナショナル」社を設立し、現在の当社のフレグランス事業の礎を築いた。
■ビジョナリー経営
「企業には理念がなければならない」という信念のもと、企業使命「私たちは、人々との出会いを通じて、新しく深みのある価値を発見し、美しい生活文化を創造します」を制定。今後の企業は経済活動とそこから派生する社会的貢献にとどまらない文化活動(メセナ)が重要であると唱え、当時の日本企業においてメセナ活動の機運を高めることに貢献。
■人財育成
次世代の経営を担うミドルマネジメント層に対して、定期的に自らが資生堂の理念やビジョンを語る私塾を組織。その中で視野を広げる取り組みとして、さまざまな分野の社外有識者(松岡正剛氏やいとうせいこう氏など)を招き、ビジネスと直接関係のない非日常のテーマによる講演を通じ、普遍的な知の探求、思想哲学への思索を促す人財育成に取り組んだ。
■「さん」付け活動
役職に基づく縦型ではなく、フラットな組織を志向する取り組みの一環として、役職名を敬称として使用することが普通だった当時の慣習を変革すべく、肩書に関わらず社員同士を「さん付け」で呼ぶことを推奨。現在は、会長・社長であっても「○○さん」と呼ぶ文化が根付いている。
■社内外の文化の懸け橋
化粧品会社トップとして、社会の文化芸術活動に対して支援を行うとともに、文化資本による企業の価値創造にも積極的に取り組んだ。
■略歴:福原義春さん
1931(昭和6)年3月14日生まれ。東京都出身。
1953(昭和28)年3月 慶応義塾大学経済学部卒業
1953(昭和28)年4月 株式会社資生堂入社
1978(昭和53)年2月 同 取締役外国部長
1983(昭和58)年2月 同 常務取締役
1985(昭和60)年2月 同 専務取締役
1987(昭和62)年2月 同 代表取締役副社長
1987(昭和62)年7月 同 代表取締役社長
1997(平成9) 年6月 同 代表取締役会長
2001(平成13)年6月 同 名誉会長
サイトでは「生前のご厚誼に深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。通夜・葬儀は近親者のみにて執り行われました。ご遺族の意向により、ご供花・ご香典・ご弔問などは固くご辞退させていただきます」と伝えた。
福原名誉会長は、1953年の資生堂入社以後、ブランド開発や海外事業などさまざまな分野に携わり、1987年に社長就任、2001年に名誉会長として経営の第一線から退くまで、現在にも受け継がれる数々の功績を遺した。また文化資本経営を提唱し、社会の文化芸術活動への支援などにも取り組んだ。
■ブランド開発
現在に至るまでロングセラー商品として販売されている1967年発売の男性用総合化粧品ブランド「MG5」の立ち上げなどに関わる。
「ハイクオリティー、ハイイメージ、ハイサービス」を軸としたプレステージ戦略実現のため、イメージクリエイターとしてフランス人セルジュ・ルタンス氏を起用。日本ならではの高品質な製品やカウンセリングサービスもあいまって、資生堂及びグローバル市場に向けた新たなブランドに対する高い評価を獲得することに成功。1980年にフランス・ドイツで展開を開始し、欧州におけるプレゼンスを確立した。
■海外事業
グローバル化推進を本格的に開始した1960年代、厳しい外国為替管理法や現地での資金借入れ難しかった時代に、資生堂アメリカ社長として赴任し、現地経営の立て直しを行う。
外国部長に就任した1980年代、83 年には日本の化粧品メーカーとして初めて北京市に対する技術協力を実現し、現地ブランドを発売。その後の中国市場における資生堂の礎を築いた。
欧米の高級化粧品市場で大きなウエイトを占めるフレグランス市場の重要性についてもいち早く着目し、1990年にデザイナーズフレグランスの企画・販売を手掛ける「ボーテ プレステージ インターナショナル」社を設立し、現在の当社のフレグランス事業の礎を築いた。
■ビジョナリー経営
「企業には理念がなければならない」という信念のもと、企業使命「私たちは、人々との出会いを通じて、新しく深みのある価値を発見し、美しい生活文化を創造します」を制定。今後の企業は経済活動とそこから派生する社会的貢献にとどまらない文化活動(メセナ)が重要であると唱え、当時の日本企業においてメセナ活動の機運を高めることに貢献。
■人財育成
次世代の経営を担うミドルマネジメント層に対して、定期的に自らが資生堂の理念やビジョンを語る私塾を組織。その中で視野を広げる取り組みとして、さまざまな分野の社外有識者(松岡正剛氏やいとうせいこう氏など)を招き、ビジネスと直接関係のない非日常のテーマによる講演を通じ、普遍的な知の探求、思想哲学への思索を促す人財育成に取り組んだ。
■「さん」付け活動
役職に基づく縦型ではなく、フラットな組織を志向する取り組みの一環として、役職名を敬称として使用することが普通だった当時の慣習を変革すべく、肩書に関わらず社員同士を「さん付け」で呼ぶことを推奨。現在は、会長・社長であっても「○○さん」と呼ぶ文化が根付いている。
■社内外の文化の懸け橋
化粧品会社トップとして、社会の文化芸術活動に対して支援を行うとともに、文化資本による企業の価値創造にも積極的に取り組んだ。
■略歴:福原義春さん
1931(昭和6)年3月14日生まれ。東京都出身。
1953(昭和28)年3月 慶応義塾大学経済学部卒業
1953(昭和28)年4月 株式会社資生堂入社
1978(昭和53)年2月 同 取締役外国部長
1983(昭和58)年2月 同 常務取締役
1985(昭和60)年2月 同 専務取締役
1987(昭和62)年2月 同 代表取締役副社長
1987(昭和62)年7月 同 代表取締役社長
1997(平成9) 年6月 同 代表取締役会長
2001(平成13)年6月 同 名誉会長
2023/09/05