大阪を拠点に活躍したお笑いコンビ「おかけんた・ゆうた」のおかゆうたさん(本名・井元保則)さんが22日、脳内出血のため大阪市内で死去した。61歳。25日、吉本興業が発表した。
ゆうたさんは鹿児島県出身、1981年、吉本新喜劇の人気座員だった岡八郎さんに弟子入り。83年にNSC(吉本総合芸能学院)を1期生として卒業し、八郎さんに弟子入りしたおかけんたとコンビを結成した。
心斎橋筋2丁目劇場や、ダウンタウンの伝説番組『4時ですよーだ』にレギュラー出演し、人気となった。
漫才では、けんたがドナルドダックの声まねや、「ええ声ぇ〜♪」と美声を響かせ、丸刈りがトレードマークのゆうたさんがにこやかにかけあった。99年に「第34回上方漫才大賞」大賞を受賞した。
近年はコンビ活動が休止状態となっていたが、今月15日、YES THEATER『よしもとお笑いライブ』で、これから始まるコンビ結成40周年のプロローグとして漫才を披露。これがゆうたさんの最後の舞台になった。公演終了後には「40年はほんまにあっちゅうまでした」「1日でも長くやりたい」などと話していた。
コメントを寄せたけんたは、ゆうたさんが人工透析を受けていたことを明かし、「私の知る限り、こんなに皆さんに愛されてる芸人はいません」の相方の人柄を伝えた。「ほんま、長く漫才やりたかった。旧暦の七夕の日に、天に召されたゆうたくん。この日だけでかまへんから、一年にいっぺん会って♪えぇ〜漫才♪しょーな」と、“ええ声”で追悼。「今までありがとう。最高の相方、おかゆうたくん」と記した。
■おかけんた コメント全文
週3で透析を受けていた、ゆうたくん。
私が劇場にいると、「おっ、相方どやねん」「ゆうた、元気してんの?」と皆さんが声をかけてくださいました。
私の知る限り、こんなに皆さんに愛されてる芸人はいません。そんな時、相方からポツンときたメール、「漫才やりたいです。」 涙が止まりませんでした。
それが実現した、台風の最中での3年半ぶりの漫才。
舞台で私の肩を持って重心をとる相方が、愛おしくて愛おしくて たまりませんでした。
漫才が終わって、取材を受けた時のゆうたくんの言葉「1日でも長くやりたいというのがあるからね。」
ほんま、長く漫才やりたかった。旧暦の七夕の日に、天に召されたゆうたくん。
この日だけでかまへんから、一年にいっぺん会って♪えぇ〜漫才♪しょーな。
今までありがとう。
最高の相方、おかゆうたくん。
ゆうたさんは鹿児島県出身、1981年、吉本新喜劇の人気座員だった岡八郎さんに弟子入り。83年にNSC(吉本総合芸能学院)を1期生として卒業し、八郎さんに弟子入りしたおかけんたとコンビを結成した。
漫才では、けんたがドナルドダックの声まねや、「ええ声ぇ〜♪」と美声を響かせ、丸刈りがトレードマークのゆうたさんがにこやかにかけあった。99年に「第34回上方漫才大賞」大賞を受賞した。
近年はコンビ活動が休止状態となっていたが、今月15日、YES THEATER『よしもとお笑いライブ』で、これから始まるコンビ結成40周年のプロローグとして漫才を披露。これがゆうたさんの最後の舞台になった。公演終了後には「40年はほんまにあっちゅうまでした」「1日でも長くやりたい」などと話していた。
コメントを寄せたけんたは、ゆうたさんが人工透析を受けていたことを明かし、「私の知る限り、こんなに皆さんに愛されてる芸人はいません」の相方の人柄を伝えた。「ほんま、長く漫才やりたかった。旧暦の七夕の日に、天に召されたゆうたくん。この日だけでかまへんから、一年にいっぺん会って♪えぇ〜漫才♪しょーな」と、“ええ声”で追悼。「今までありがとう。最高の相方、おかゆうたくん」と記した。
■おかけんた コメント全文
週3で透析を受けていた、ゆうたくん。
私が劇場にいると、「おっ、相方どやねん」「ゆうた、元気してんの?」と皆さんが声をかけてくださいました。
私の知る限り、こんなに皆さんに愛されてる芸人はいません。そんな時、相方からポツンときたメール、「漫才やりたいです。」 涙が止まりませんでした。
それが実現した、台風の最中での3年半ぶりの漫才。
舞台で私の肩を持って重心をとる相方が、愛おしくて愛おしくて たまりませんでした。
漫才が終わって、取材を受けた時のゆうたくんの言葉「1日でも長くやりたいというのがあるからね。」
ほんま、長く漫才やりたかった。旧暦の七夕の日に、天に召されたゆうたくん。
この日だけでかまへんから、一年にいっぺん会って♪えぇ〜漫才♪しょーな。
今までありがとう。
最高の相方、おかゆうたくん。
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2023/08/25