元タレントの上岡龍太郎(本名・小林龍太郎)さんが5月19日、大阪市内の病院で肺がんと間質性肺炎のため死去した。81歳。引退後の窓口となっていた米朝事務所が2日公表し、地元・関西に悲しみの声が広がった。
息子の映画監督・小林聖太郎氏は「お世話になった方々にも突然のお知らせとなってしまったことを深くお詫びいたします。昨年秋頃、積極的治療の術がなく本人も延命を求めていない、と知らされた時に少しは覚悟しておりましたが、あれよあれよという急展開で母も私もまだ気持が追いついていない状態です」とつづり、関係者やファンへの感謝を伝えた。
落語家の桂ざこばは「上岡のお兄さんは大好きな方でしたが、皆でワーワー言ってても、どこかでこれ以上入ってはいけないように、なぜか僕が勝手に感じていました。もちろんご本人はいつもカッコ良く自然体で、そんなことは考えてなかったでしょうね。また寂しくなります」と、ありし人柄をしのんだ。
上岡さんが初代局長を務めた『探偵!ナイトスクープ』に探偵として出演していた越前屋俵太は、自身のツイッターに「上岡龍太郎さんが、お亡くなりになってました。ちょっと言葉になりません。探偵時代、お世話になった人でした。ご冥福をお祈りいたします」と投稿。
ハイヒール・モモコはブログに「ビックリしました。お元気でゴルフされてると噂聞いてました。むちゃ可愛がって下さりました」とつづり、長男が生まれた際に育児本をもらったと回顧。「ネットもない時代、上岡先生のくれはった本だけで3人育ちました。ありがとうございます」と感謝を込め、「天国でノック先生と喋りまくって下さいね。ありがとございました。安らかに…」と追悼した。
関東でも、大竹まことがラジオの生放送で「上岡さんのことを大阪の師と仰いでいて、東京ではたけしさんがいろんなことからかばってくれているというかね。私のようなものをきょうまでこういうところでしゃべれるようにしていただいたということで感謝しています」と語った。
上岡さんは1942年3月20日生まれ、京都市出身。横山パンチの芸名で、60年に横山ノックさん、横山フックさんと「漫画トリオ」を結成。68年に解散後は、『鶴瓶上岡パペポTV』『探偵!ナイトスクープ』をはじめとしたテレビやラジオ番組の司会などで、絶妙な笑いを交えたトークを繰り広げ、関西を中心に絶大な支持を誇った。
息子の映画監督・小林聖太郎氏は「お世話になった方々にも突然のお知らせとなってしまったことを深くお詫びいたします。昨年秋頃、積極的治療の術がなく本人も延命を求めていない、と知らされた時に少しは覚悟しておりましたが、あれよあれよという急展開で母も私もまだ気持が追いついていない状態です」とつづり、関係者やファンへの感謝を伝えた。
落語家の桂ざこばは「上岡のお兄さんは大好きな方でしたが、皆でワーワー言ってても、どこかでこれ以上入ってはいけないように、なぜか僕が勝手に感じていました。もちろんご本人はいつもカッコ良く自然体で、そんなことは考えてなかったでしょうね。また寂しくなります」と、ありし人柄をしのんだ。
上岡さんが初代局長を務めた『探偵!ナイトスクープ』に探偵として出演していた越前屋俵太は、自身のツイッターに「上岡龍太郎さんが、お亡くなりになってました。ちょっと言葉になりません。探偵時代、お世話になった人でした。ご冥福をお祈りいたします」と投稿。
ハイヒール・モモコはブログに「ビックリしました。お元気でゴルフされてると噂聞いてました。むちゃ可愛がって下さりました」とつづり、長男が生まれた際に育児本をもらったと回顧。「ネットもない時代、上岡先生のくれはった本だけで3人育ちました。ありがとうございます」と感謝を込め、「天国でノック先生と喋りまくって下さいね。ありがとございました。安らかに…」と追悼した。
関東でも、大竹まことがラジオの生放送で「上岡さんのことを大阪の師と仰いでいて、東京ではたけしさんがいろんなことからかばってくれているというかね。私のようなものをきょうまでこういうところでしゃべれるようにしていただいたということで感謝しています」と語った。
上岡さんは1942年3月20日生まれ、京都市出身。横山パンチの芸名で、60年に横山ノックさん、横山フックさんと「漫画トリオ」を結成。68年に解散後は、『鶴瓶上岡パペポTV』『探偵!ナイトスクープ』をはじめとしたテレビやラジオ番組の司会などで、絶妙な笑いを交えたトークを繰り広げ、関西を中心に絶大な支持を誇った。
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2023/06/02