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氷川きよし「なんで私が…」 デビュー曲「箱根八里の半次郎」の衝撃を回想

 年内をもって歌手活動を休養する氷川きよしが20日、文化放送『氷川きよし 22年の感謝をこめて 限界突破RADIO』(後7:00〜)に出演。1年目から冠番組のパーソナリティーを務めている同局の特番でデビュー当時を振り返った。

氷川きよし photo:厚地健太郎(C)oricon ME inc.

氷川きよし photo:厚地健太郎(C)oricon ME inc.

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 2000年2月2日、22歳でデビューした氷川は、同年10月から文化放送で冠番組のパーソナリティーを担当。『氷川きよし 箱根八里の二時半次郎』(2000年10月〜02年3月)、『ズンドコサンデー あっぱれきよし!』(02年4月〜08年3月)、『氷川きよし節』(08年4月〜21年3月)、そして、現在の『氷川きよし 限界突破RADIO』を放送してきたが、休養に伴って12月30日をもって番組が終了することになった。

 通常放送の最終回に先がけ、この日は2時間特番を放送。冒頭「氷川きよしことKiina(キーナ)でございます」とあいさつした氷川は、リスナーからのリクエストに応えていき、1曲目はデビュー曲の「箱根八里の半次郎」を流した。

 22年前を振り返り、「最初はびっくりしましたよね。デビュー曲が『箱根八里の半次郎』と言われたときは、“なんで私が…”と思ったんですけど」と、衝撃を受けた本音を吐露。それでも、同曲作詞の松井由利夫氏、作曲の水森英夫氏の期待に「お応えしたい」の一心だったといい、「絶対にチャンスを大ヒット曲に結びつけたい、それが毎日の闘いでしたね」と回想した。

 同曲は『やだねったらやだね』のフレーズが印象的だが、「キャッチーでかわいらしかったですね。このフレーズがあるから、自分のメンタルが持ったというか。重々しくて渋めだったら、22歳の自分にはしんどかった。あのフレーズがちょっと息が抜けるというか、かわいらしく見せられる部分だったんじゃないかな」と解説。

 当時は「もっと演歌っぽくしろー!」と野次を飛ばされることもあったというが、「それがバネになりましたよね。叩かれて叩かれて、それで頑張っていこうと。どこか自分は客観的に見ていたので、売れようが売れまいがテンション変わらない自分でいたいなと思っていましたね」と振り返った。

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