落語家の三遊亭円楽さん(享年72)が9月30日に亡くなったことを受け、円楽さんの弟子として活動していた伊集院光がコメントを寄せた。
円楽さんは、1950年2月8日生まれ、東京・墨田区出身。円楽一門会所属。三遊亭楽太郎として『笑点』などで人気を博す。2010年3月1日、6代目三遊亭円楽を襲名した。2018年に肺がん、2019年に脳腫瘍、2020年には肺がんの再発と初期の大腸がんが見つかり、そして脳梗塞と闘った。
今年1月25日に脳梗塞のため入院した円楽さんは、5月20日に退院していたが、7月放送の『笑点』にVTR出演。今年8月11日は、高座復帰を果たしたが、同27日には、軽度の肺炎のため入院していた。
伊集院は1984年に、圓楽一門の三遊亭楽太郎(現:6代目三遊亭円楽)に弟子入りし、三遊亭楽大を名乗った。88年に二つ目に昇進し、90年頃まで落語家として活動していたが、その後自主廃業した。
一昨年の『伊集院光とらじおと』では、当時の話をしながら、円楽さんが今後の自身の活動を「入口は誰でもいい。だけど、落語っていうものに惚れてください、好きになってください。そういうための裏方になりたい」と語った上で「お前も(落語を)やれよ」と伊集院に提案した。伊集院が「すげー爆弾を落としてきたな。もし、自分がけいこしてきたら聞いてくれますか?」と話すと、円楽さんは「いいよ。聞かなくたってわかるよ。(落語を)やっていたし(落語を)聞いている人は。できるできる」と呼びかけた。その後、昨年6月にはよみうりホールでの『二人会』が実現していた。
■伊集院光コメント全文
17歳の時に、学校に行かずふらふらしていた時分に、師匠に拾っていただき、人間にしてもらいました。その後、僕は古典落語の道を諦め、紆余曲折あったものの「お前が俺を尊敬しているうちは弟子を名乗ったらいいさ」と温かい言葉をいただき、師弟関係を続けさせていただきました。ここ数年は、円楽伊集院光二人会を開催するなど、夢のような時間を過ごすことができました。「回復したら博多と札幌でまたやろうぜ」と約束していたのに、この文章を大人としてきちんとした定番の追悼の言葉でしめるべきなのでしょうが、まだ頭の中が整理できておらず、まとめることができません。もう少し心の中で師匠と会話をしてから、いろいろ話させてください。
円楽さんは、1950年2月8日生まれ、東京・墨田区出身。円楽一門会所属。三遊亭楽太郎として『笑点』などで人気を博す。2010年3月1日、6代目三遊亭円楽を襲名した。2018年に肺がん、2019年に脳腫瘍、2020年には肺がんの再発と初期の大腸がんが見つかり、そして脳梗塞と闘った。
伊集院は1984年に、圓楽一門の三遊亭楽太郎(現:6代目三遊亭円楽)に弟子入りし、三遊亭楽大を名乗った。88年に二つ目に昇進し、90年頃まで落語家として活動していたが、その後自主廃業した。
一昨年の『伊集院光とらじおと』では、当時の話をしながら、円楽さんが今後の自身の活動を「入口は誰でもいい。だけど、落語っていうものに惚れてください、好きになってください。そういうための裏方になりたい」と語った上で「お前も(落語を)やれよ」と伊集院に提案した。伊集院が「すげー爆弾を落としてきたな。もし、自分がけいこしてきたら聞いてくれますか?」と話すと、円楽さんは「いいよ。聞かなくたってわかるよ。(落語を)やっていたし(落語を)聞いている人は。できるできる」と呼びかけた。その後、昨年6月にはよみうりホールでの『二人会』が実現していた。
■伊集院光コメント全文
17歳の時に、学校に行かずふらふらしていた時分に、師匠に拾っていただき、人間にしてもらいました。その後、僕は古典落語の道を諦め、紆余曲折あったものの「お前が俺を尊敬しているうちは弟子を名乗ったらいいさ」と温かい言葉をいただき、師弟関係を続けさせていただきました。ここ数年は、円楽伊集院光二人会を開催するなど、夢のような時間を過ごすことができました。「回復したら博多と札幌でまたやろうぜ」と約束していたのに、この文章を大人としてきちんとした定番の追悼の言葉でしめるべきなのでしょうが、まだ頭の中が整理できておらず、まとめることができません。もう少し心の中で師匠と会話をしてから、いろいろ話させてください。
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2022/09/30