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西川貴教、究極の願いは「不老不死」? 歌、滋賀、筋肉…常に結果を残す男が抱いた26年の葛藤

 T.M.Revolutionとしてデビューしてから、26年。音楽活動はもちろん、10年も続く『消臭力』のCM、地元・滋賀ふるさと観光大使や『イナズマロックフェス』の開催、アニメなどのサブカル方面など、その活躍は多岐に渡る。近年ではフィットネス分野でも目覚ましい活躍を見せたほか、この夏は「HOT LIMIT」などのメドレー曲が甲子園を彩るなど、話題に事欠かない。このように、やることなすこと結果を残し、まさに順風満帆のように見える西川。だが、その裏側には知られざる苦労があった。彼の“言葉”から、枯れることのないバイタリティーの秘密を探る。

初の日めくりカレンダーを発売する西川貴教(写真:田中達晃/Pash) (C)oricon ME inc.

初の日めくりカレンダーを発売する西川貴教(写真:田中達晃/Pash) (C)oricon ME inc.

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■26年間の自分と向き合う作業、「思いもよらぬ仕上がりを目指している(笑)」

 デビューから26年。西川貴教が、初めて“日めくりカレンダー”を発売するという。31日分の言葉と写真が掲載されているわけだが、“日めくりカレンダー”といえばまず思い出されるのが松岡修造だ。2014年に発売し、大きな話題を呼んだ。西川は「松岡さんは太陽のイメージ。一方、僕といえば“風”の印象なのかなと(笑)。北風と太陽じゃないですが、いよいよそういう立ち回りをせねばいかんのかという感じでした」と、取材陣を笑わせる。

――『日めくりカレンダー まいにち、西川貴教』(小学館)には印象的な言葉が並んでいますが、どう選んだのですか?

【西川貴教】この26年間、その時その時で僕が思ったこと、突き上げるものを感じた時に放った言葉など、過去のインタビューやメディアで話した言葉の中からチョイスしていきました。重視したのは、誰かの言葉ではなく、自分自身が発信し、自分で責任が負えるもの。ある意味、この26年を紐といていくような作業になりました。

――まさに、26年間の自分と向き合う作業。

【西川貴教】そうですね。特に近年は、アーティスト活動以外の部分でいろいろやっていると、皆さんに感じていただけるようになって。正直、自分でも思いもよらぬ仕上がりを目指している感じですね(笑)。最初は、「アーティストとしてどうパフォーマンスの精度を上げていくか」を考えていましたが、よもや、こんなにいろんなことをさせていただけるとは…。結果、想像していたより遠い場所に来てたなぁ、と(笑)。自分で切り拓いたというよりは、皆さんに連れてきてもらったんだと、感慨深いです。

これまでのアーティスト人生を語る西川貴教(写真:田中達晃/Pash) (C)oricon ME inc.

これまでのアーティスト人生を語る西川貴教(写真:田中達晃/Pash) (C)oricon ME inc.

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――2008年頃からは、滋賀ふるさと観光大使や『イナズマロックフェス』など、地元・滋賀県にまつわる仕事が増えました。

【西川貴教】観光大使って、僕も当初はこんなに具体的なことをするイメージではなかったんです。でも、最初に県の広報誌で当時の知事と対談させていただいて。甥っ子姪っ子がまだ小さかったので、「この子らが大人になるときに、こういう問題を解決してほしい、こういう地域になってほしい」と伝えたら、「それだけおっしゃるなら、その受け皿の制度を作りたいからやってくれ」と言われて。数ヵ月後に、本当に役職をいただいたという形でした。

――先日の夏の甲子園では、滋賀県・近江高校の吹奏楽部が90年代のヒット曲「HOT LIMIT」などのメドレーで応援したことが話題に。彼ら高校生が生まれる前の曲なのに、懐メロではなく“現在”として捉えられているって、すごいことだと思いました。

【西川貴教】彼らのお父さんお母さんの世代が、見たり聴いたりしてくださっていたのかもしれない。時間という距離を感じることなく、受け止めてもらえたのはうれしいですね。

■黒リボンスーツの裏で会社の登記? 大ブレイク時も「お祭りは長く続かない」

――確かに、90年代に西川さんが出てきたときは衝撃でした。『HEY! HEY! HEY!』(フジテレビ系)などの音楽番組では、トークの面白さに驚いて。

【西川貴教】僕にとっても、本当にエピックな瞬間でしたね。人生が変わったと思うし、オンエアの翌日から、周りの接し方が180度変わった気がしました。でも、あまりに大きな渦の中にいると、むしろ恐怖の方が大きくて。

――そうなんですか?

【西川貴教】だって、こういうお祭りって長く続かないじゃないですか。僕自身、バンド時代は何年も鳴かず飛ばずで、バキバキにヘコんだところからT.M.Revolutionになって這い上がってきたので。あの当時も、とても鼻高々にはなれなかったんです。だから、例の黒いリボンのスーツを着ていた裏では、今後のためにすでに会社の登記も済ませてましたからね(笑)。

――音楽活動も幅広いですよね。『消臭力』のCMは10年も続いているし、『機動戦士ガンダムSEED』主題歌を担当するなど、アニメ界隈にも。

【西川貴教】当初から思いもよらぬ方向へ行っていたし、常に背水の陣でした。だから、「今、歌える場所」を確保するためには懸命にやるしかない。当時は、アニソンをアーティストが歌うって、どうしても話題先行のイメージがありました。でも僕は、やるなら作品の意味を汲み取って、ファンの皆さまにも納得いただきたいと思った。とはいえ、当初は「畑を荒らすな」とか「媚びている」とか、かなり揶揄されましたね。それを乗り越えたことで、今では信頼関係ができているかなと思います。

――声優としても出演しました。

【西川貴教】アーティストの範疇外でしたが、チャンスをいただけるならやってみようと。いろんな声優さんに、「“1年生”なので、何でもいいからアドバイスください!」とお願いしました。それなりのキャリアがあるなかで、叱責されるのはなかなかつらかったですよ(笑)。

――カレンダーに「新しいことに挑むときはひとり残らず『1年生』」という言葉がありますが、まさにそれですね。

【西川貴教】はい、そのとおりです。たとえ恥ずかしくても、1年生として勉強させてもらえるのは幸せなこと。何に関してもそうですが、あの時に臆していたら今のこの状況はなかったでしょう。

『日めくりカレンダー まいにち、西川貴教』(小学館)

『日めくりカレンダー まいにち、西川貴教』(小学館)

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――最近ではフィットネス方面での活躍が目覚ましく。コンテスト『ベストボディ・ジャパン』では、モデルジャパン部門ゴールドクラス(50歳〜59歳)で2連覇しました。

【西川貴教】このコロナ禍で、アーティストはライブにも制限がかかり、手足をもがれた状態になりました。それでも挑戦する姿を見せることでしか、西川貴教が生きる価値はないと思ったことが挑戦への入り口となりました。

――そんな思いがあったんですね。お話を聞いていて、日めくりカレンダーの中にある「いい男の条件は負けを知っていること」という言葉の意味が見えてきた気がします。

【西川貴教】いろいろ言われたり、恐怖もありましたが、それを乗り越えることで、また新たなチャンスをもらってきました。ずっと人前に出続けている印象があるかも知れませんが、実は苦労や悔しさはたくさんあるし、そもそもドン底から這い上がってきた人間。今も、頭を下げてデモテープを配っていた昔と、やっていることはさして変わってないんです(笑)。そういう意味では、遠回りの人生を送ってきたのかな。

――それにしても、これだけ長く活躍できる秘訣は?

【西川貴教】僕、小さい頃から死に対する恐怖がすごく強かったんですよ。そのせいかもしれない。この体と思考で、過ごせる人生って本当に一瞬しかない。ならば、1回こっきりの人生で得られる“最大”を取っていきたいんです。だから、電脳化できる技術や義体、自分の理想や課題に向き合える猶予があれば…と常に思っていて(笑)。

――ということは、西川さんの究極の願いは“不老不死”!?

【西川貴教】そうなりますね(笑)。やりたいことを形にするのに5〜10年。すると、今考えていることだけでも、300年くらい人生がないと足りないんです。そこをいかに縮められるか…。そのためにこれからも必死で動いていこうと思います。

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  • 初の日めくりカレンダーを発売する西川貴教(写真:田中達晃/Pash) (C)oricon ME inc.
  • これまでのアーティスト人生を語る西川貴教(写真:田中達晃/Pash) (C)oricon ME inc.
  • 初の日めくりカレンダーを発売する西川貴教(写真:田中達晃/Pash) (C)oricon ME inc.
  • 『日めくりカレンダー まいにち、西川貴教』より
  • 『日めくりカレンダー まいにち、西川貴教』より
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  • 『日めくりカレンダー まいにち、西川貴教』より
  • 『日めくりカレンダー まいにち、西川貴教』(小学館)

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