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岡村孝子が明かす白血病闘病の日々 「私のために治療してほしい」愛娘の言葉に覚悟決める

 前千葉県知事で俳優の森田健作(72)がパーソナリティーを務めるラジオ番組『森田健作青春もぎたて朝一番!』(NACK5 毎週日曜 前5:30〜6:00)と『森田健作 青春の勲章はくじけない心 増刊号』(ニッポン放送 5月4日 後1:00〜2:00)の取材会が26日に行われ、シンガー・ソングライターの岡村孝子(60)が参加した。「急性骨髄性白血病」から復帰後初のラジオ出演となった岡村が、闘病の日々を明かした。

岡村孝子が森田健作のラジオに出演

岡村孝子が森田健作のラジオに出演

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 岡村は1982年7月、女子大生デュオ・あみんとして「待つわ」でデビューし、ミリオンヒットを記録。85年にソロデビュー後も「夢をあきらめないで」(1987年)などのヒット曲を世に送り出してきたが、2019年4月、血液のがん「急性骨髄性白血病」と診断され、闘病生活がスタート。その後回復し、昨年9月に『35周年記念&復帰コンサート2021“Hello Again!”』を開催し、久々にファンの前に立った。

 病気が判明したきっかけは消化器内科の定期検診。岡村は当時を振り返り「私は健康だけが自慢だったが、何か疲れるな、肩がこるな。体調悪いなと思い、定期検診に行ったら、何か血液の数値が変だよと言われた」と説明。その後、検査を重ねて「急性骨髄性白血病」に罹患したことが分かった。

 突然病気になったことがわかり、岡村自身も気持ちの整理がつかないままだったが、娘が支えになってくれたという。「患者本人は白血病と言われても訳がわからない。うちはシングルマザーの家庭。『母に亡くなってもらっては困ります』と娘が先生に言ってくれた。図書館で(病気のことを)いろいろ調べて質問もしてくれた。私は(整理がつかず)ぼーっとしていたときにありがたいなと思いました」としみじみ感謝した。

 また、娘から「かなりつらい治療になると思うけど、私のために治療してほしい」と言葉をかけられたと明かす。「『大変な治療が始まるので、もしかしたら起き上がることができない状態になるかもしれないけどいい?』って聞いたら、『いてくれるだけでいいから』って。まだ(娘を)残していくわけにはいかないので頑張るしかないかなと覚悟が決まりました」と語った。

 入院中はずっと無菌室にいたため、季節移ろいを感じることもなかった。「春に入院したが、季節が分からなかった。お掃除の方が『今日はすごい暑いから部屋の中で正解ですよ』『あ、じゃあ夏なんだ』とか。退院し、一歩外に出て風に吹かれたときに『秋なんだ』って(分かった)」としみじみ。一時は「年を越したら私はこの世界にいないのかな」と思うこともあったが、5ヶ月後にようやく退院を迎えた。

 森田も「生きてるって素晴らしいことですよね」と大きく頷くと、岡村は「昨日と変わらない今日が続いていくって素晴らしいなって。風が吹いたり、鳥がさえずったりして、生きてるってこういうことなんだって思いました」とにっこり。「それまで分かったつもりで『風のささやき』とかいろんな言葉を詩に書いていたが、『私まだまだ分かってなかったんだ』って退院して気付きました」と苦笑する。

 昨年9月に『35周年記念&復帰コンサート2021“Hello Again!”』を開催。その時の心境を問われ「コロナ禍だったので、会場まで足を運ばない人もいるだろうなと。皆さん悩まれると思うので、たとえ会場がガラガラでもいいかなと思って向かったが、3階までぎっしりとお客が入っていた」と、その時の様子を思い浮かべる。観客は声を出すことができないため、温かい手拍子や拍手で盛り上げてくれたそうで、岡村は「みんなから『このコンサートを成功させるんだ』という気持ちがヒシヒシと伝わってきた」とファンの支えに感謝した。

 そして「治療中に背骨を6ヶ所圧迫骨折していた」とし、「体力的に今も100%の状態ではない。その時、私にできる精一杯を伝えようと思った。皆さんに支えてもらって戻ってくることができた。とにかくありがとうの気持ちを込めながら歌いました」と復帰コンサートに込めた思いを明かした。

 その模様を収めたBlu-ray『ENCORE IX』が5月18日に発売される。森田は、岡村が小学校5年生の時に自身のレコードを買ったというエピソードに触れ「私、自分でこれ買います。御礼です」と語り、岡村ら出演者の笑いを誘っていた。

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