“新ビーチの妖精”の愛称で親しまれたビーチバレー選手・坂口佳穂(26)。2019年には国内最高峰ツアーである『マイナビジャパンツアー ファイナル』優勝、『FIVBワールドツアー2019 1starイスラエル大会』優勝など、輝かしい成績を残し、昨年末に電撃引退を発表した。同時期に結婚発表もあり話題を集めたが、このほど、アナウンサーやキャスターを数多く擁する事務所「セント・フォース」への所属が決定。セカンドキャリアとしてキャスターの道に進むことを決めたようだ。彼女の現在の心境や、選手時代の葛藤などを聞く。
■アスリートに目指す前にタレント活動も経験 今後目標とするのは、潮田玲子
――昨年末に引退と結婚を発表されましたが、この数ヵ月はどのように過ごされていたのでしょうか?
坂口佳穂 引退してから生活スタイルがガラッと変わったこともあり、ゆっくりと休んでいました。でも休みながらも次にやりたいことへと意識は向いていました。じっとしていることが苦手なのかもしれないです(笑)。
――4月1日からセント・フォースに所属され、キャスターを目指すと伺いました。
坂口佳穂 引退後もスポーツに携わることができるお仕事がしたいと思っていて。ゆくゆくはスポーツキャスターになりたいとい思っています。
――元アスリートで、キャスターとして活躍されている方もたくさんいらっしゃいますよね。坂口さんはどんな活動をしていきたいですか?
坂口佳穂 ビーチバレーはもちろんですが、スポーツ自体が大好きなので、いろいろなスポーツの魅力を伝えていきたいです。私が憧れているのは元バドミントン選手の潮田玲子さんです。バドミントン以外のスポーツにも造詣が深いですし、女性アスリートが安心して競技を続けられることを目的とした『Woman's ways』という団体の代表をされているところも尊敬しています。潮田さんのようにスポーツに関わり続けながらマルチな活動をしていくことを目標に活動していければと思っています。
■成績と関係ないところでの注目にネガティブな意見も…「選手時代はあえて強気で過ごしていた」
――ビーチバレーの選手は大学生になってから目指したとのこと。ちょっと遅いスタートのように感じるのですが、どうしてそのタイミングで始めたのでしょうか。
坂口佳穂 もともとバレーボールは部活でやっていたんですが、ビーチバレーとの出会いは父の紹介で試合を観に行ったことなんです。DJがいて音楽がガンガンに流れて、とってもキラキラして見えて“こんな形のバレーボールがあるんだ!”と衝撃を受けたんです。“この場所に自分が立てるようになりたい!”と思って、大学入学とともに『川崎ビーチスポーツクラブ ビーチバレーバレー』のアカデミー生となって、毎日練習をして選手を目指しました。
――ビーチバレーの世界に飛び込んでみていかがでしたか?
坂口佳穂 海風が強く吹くのでボールがどっかにいっちゃうし、砂に足を取られて走れない、ジャンプもできない、とても大変でした(笑)。簡単なパスすらまともに打てなくて“なんでビーチバレーをやろうと思ったんだろう…”と思ったりもしましたね。でも、先輩から「砂に慣れるのに3年かかるよ」と聞いていたので、その言葉を信じてひたすら砂の上で練習をしました。
――選手になってからは『新ビーチの妖精』と呼ばれるなど、成績とは関係のないところで注目を浴びることも多かったと思います。そういったことについての葛藤はありましたか?
坂口佳穂 結果を出せていない段階で注目していただいたことについては申し訳ない気持ちもありました。ただ、そういった注目のおかげでスポンサーさんがついて、練習環境を整えることができたり、海外合宿への参加やコーチをつけることも可能になったり…できることの幅が広がりました。ありがたいという気持ちのほうが断然大きいです。
――時にはネガティブなことを言われることもあったのでは?
坂口佳穂 ありましたね。「坂口選手は顔だけだ」と言われり(笑)。確かに結果が出ていないのに試合に推薦してもらうこともあったので、私に対して疑問に思う人がいるのは仕方なかったと思っています。でも私には私の役割があると思っていましたし、気にしないようにしていました。ネガティブな意見や見え方を跳ね返すには結果を出していくしかないので、勝つことへの原動力になったりしました。
――強い精神力で何事にも打ち勝っていかれたのですね。
坂口佳穂 昔から負けず嫌いなんですよ(笑)。でも、そうじゃないと選手生活は続かないので、あえて意識して、常に強気でいるようにしていました。
■ビーチバレーに出会ったことで、人間性にも磨き「私はもっとわがままな人間だった」
――ビーチバレーは、坂口さんの人生にどのような影響を及ぼしましたか?
坂口佳穂 考え方や人とのコミュニケーションの仕方も変わるくらい、大きな影響がありました。ビーチバレーやる前はもっともっとわがままだったと思います(笑)。
――内面にも大きな変化があったんですね。
坂口佳穂 社会人になって最初に組んだパートナーが、“思いやりの心を持って相手と接すること”や“人の気持ちを考えること”が全てプレーに繋がることを私に教えてくださったんです。一番胸に響いたのは「それを直さなかったら勝てない」と言われたこと。それ以来、考え方や人とのコミュニケーションの取り方が変わりました。
――実際に、人の気持ちを考えることは良いプレーにつながるんですか?
坂口佳穂 つながります。相手の気持ちや、相手のやりやすさを考えながらプレーするのとしないのでは、本当に全然違いますね。教えを実践したことで良い結果にも繋がったので、今でもその時のパートナーには感謝しています。
――それほどの経験を得てトップアスリートの道を歩んで、25歳での引退は少し早い気もするのですが…。
坂口佳穂 ビーチバレーには45歳でプレーしている現役選手もいるので、早いほうなんだと思います。でも、選手を続けることは精神的にもけっこう大変なことが多くて。ちょっと早いですけど、次のステップに進んでがんばろうと決めました。
――時にはビーチバレーが恋しくなることもあるのでは?
坂口佳穂 プレーヤーとしての未練は全くないです。ただ、ビーチバレーのことは本当に大好きですし、選手たちもカッコいいので、たくさんの人たちに興味を持ってもらいたいという気持ちはありますね。
――確かにビーチバレーは坂口さんのように選手が注目されることはありますが、試合が注目されることはまだ少ないですよね。
坂口佳穂 おそらく五輪でメダルを獲っていないことが原因なのかなと。世界が見ている大会で勝って注目を集めてほしいです。あとは私が最初に衝撃を受けたときのように、夏フェスのような雰囲気の会場で音楽と共に試合を楽しんでもらいたいです。ビーチバレーはエンタメ性の高いスポーツなので、もっともっと若い世代の方に興味を持ってもらえたらなと思います。いまは状況的になかなか難しいので、落ち着いたらですけど…。
――今後はビーチバレーの魅力を伝えていくのも、坂口さんのミッションになりますね。
坂口佳穂 そうですね。ビーチバレーはもちろん、同じようにマイナーなスポーツをがんばっている方々のお手伝いがしたいですね。これからは競技についてしっかりと勉強をして、2024年のパリ五輪にキャスターとして参加できるのが目標です。
文/奥村百恵
■アスリートに目指す前にタレント活動も経験 今後目標とするのは、潮田玲子
――昨年末に引退と結婚を発表されましたが、この数ヵ月はどのように過ごされていたのでしょうか?
坂口佳穂 引退してから生活スタイルがガラッと変わったこともあり、ゆっくりと休んでいました。でも休みながらも次にやりたいことへと意識は向いていました。じっとしていることが苦手なのかもしれないです(笑)。
――4月1日からセント・フォースに所属され、キャスターを目指すと伺いました。
坂口佳穂 引退後もスポーツに携わることができるお仕事がしたいと思っていて。ゆくゆくはスポーツキャスターになりたいとい思っています。
――元アスリートで、キャスターとして活躍されている方もたくさんいらっしゃいますよね。坂口さんはどんな活動をしていきたいですか?
坂口佳穂 ビーチバレーはもちろんですが、スポーツ自体が大好きなので、いろいろなスポーツの魅力を伝えていきたいです。私が憧れているのは元バドミントン選手の潮田玲子さんです。バドミントン以外のスポーツにも造詣が深いですし、女性アスリートが安心して競技を続けられることを目的とした『Woman's ways』という団体の代表をされているところも尊敬しています。潮田さんのようにスポーツに関わり続けながらマルチな活動をしていくことを目標に活動していければと思っています。
■成績と関係ないところでの注目にネガティブな意見も…「選手時代はあえて強気で過ごしていた」
――ビーチバレーの選手は大学生になってから目指したとのこと。ちょっと遅いスタートのように感じるのですが、どうしてそのタイミングで始めたのでしょうか。
坂口佳穂 もともとバレーボールは部活でやっていたんですが、ビーチバレーとの出会いは父の紹介で試合を観に行ったことなんです。DJがいて音楽がガンガンに流れて、とってもキラキラして見えて“こんな形のバレーボールがあるんだ!”と衝撃を受けたんです。“この場所に自分が立てるようになりたい!”と思って、大学入学とともに『川崎ビーチスポーツクラブ ビーチバレーバレー』のアカデミー生となって、毎日練習をして選手を目指しました。
――ビーチバレーの世界に飛び込んでみていかがでしたか?
坂口佳穂 海風が強く吹くのでボールがどっかにいっちゃうし、砂に足を取られて走れない、ジャンプもできない、とても大変でした(笑)。簡単なパスすらまともに打てなくて“なんでビーチバレーをやろうと思ったんだろう…”と思ったりもしましたね。でも、先輩から「砂に慣れるのに3年かかるよ」と聞いていたので、その言葉を信じてひたすら砂の上で練習をしました。
――選手になってからは『新ビーチの妖精』と呼ばれるなど、成績とは関係のないところで注目を浴びることも多かったと思います。そういったことについての葛藤はありましたか?
坂口佳穂 結果を出せていない段階で注目していただいたことについては申し訳ない気持ちもありました。ただ、そういった注目のおかげでスポンサーさんがついて、練習環境を整えることができたり、海外合宿への参加やコーチをつけることも可能になったり…できることの幅が広がりました。ありがたいという気持ちのほうが断然大きいです。
――時にはネガティブなことを言われることもあったのでは?
坂口佳穂 ありましたね。「坂口選手は顔だけだ」と言われり(笑)。確かに結果が出ていないのに試合に推薦してもらうこともあったので、私に対して疑問に思う人がいるのは仕方なかったと思っています。でも私には私の役割があると思っていましたし、気にしないようにしていました。ネガティブな意見や見え方を跳ね返すには結果を出していくしかないので、勝つことへの原動力になったりしました。
――強い精神力で何事にも打ち勝っていかれたのですね。
坂口佳穂 昔から負けず嫌いなんですよ(笑)。でも、そうじゃないと選手生活は続かないので、あえて意識して、常に強気でいるようにしていました。
■ビーチバレーに出会ったことで、人間性にも磨き「私はもっとわがままな人間だった」
――ビーチバレーは、坂口さんの人生にどのような影響を及ぼしましたか?
坂口佳穂 考え方や人とのコミュニケーションの仕方も変わるくらい、大きな影響がありました。ビーチバレーやる前はもっともっとわがままだったと思います(笑)。
――内面にも大きな変化があったんですね。
坂口佳穂 社会人になって最初に組んだパートナーが、“思いやりの心を持って相手と接すること”や“人の気持ちを考えること”が全てプレーに繋がることを私に教えてくださったんです。一番胸に響いたのは「それを直さなかったら勝てない」と言われたこと。それ以来、考え方や人とのコミュニケーションの取り方が変わりました。
――実際に、人の気持ちを考えることは良いプレーにつながるんですか?
坂口佳穂 つながります。相手の気持ちや、相手のやりやすさを考えながらプレーするのとしないのでは、本当に全然違いますね。教えを実践したことで良い結果にも繋がったので、今でもその時のパートナーには感謝しています。
――それほどの経験を得てトップアスリートの道を歩んで、25歳での引退は少し早い気もするのですが…。
坂口佳穂 ビーチバレーには45歳でプレーしている現役選手もいるので、早いほうなんだと思います。でも、選手を続けることは精神的にもけっこう大変なことが多くて。ちょっと早いですけど、次のステップに進んでがんばろうと決めました。
――時にはビーチバレーが恋しくなることもあるのでは?
坂口佳穂 プレーヤーとしての未練は全くないです。ただ、ビーチバレーのことは本当に大好きですし、選手たちもカッコいいので、たくさんの人たちに興味を持ってもらいたいという気持ちはありますね。
――確かにビーチバレーは坂口さんのように選手が注目されることはありますが、試合が注目されることはまだ少ないですよね。
坂口佳穂 おそらく五輪でメダルを獲っていないことが原因なのかなと。世界が見ている大会で勝って注目を集めてほしいです。あとは私が最初に衝撃を受けたときのように、夏フェスのような雰囲気の会場で音楽と共に試合を楽しんでもらいたいです。ビーチバレーはエンタメ性の高いスポーツなので、もっともっと若い世代の方に興味を持ってもらえたらなと思います。いまは状況的になかなか難しいので、落ち着いたらですけど…。
――今後はビーチバレーの魅力を伝えていくのも、坂口さんのミッションになりますね。
坂口佳穂 そうですね。ビーチバレーはもちろん、同じようにマイナーなスポーツをがんばっている方々のお手伝いがしたいですね。これからは競技についてしっかりと勉強をして、2024年のパリ五輪にキャスターとして参加できるのが目標です。
文/奥村百恵
2022/04/01