タレントのデヴィ夫人(81)が、23日放送の読売テレビ『八方・陣内・方正の黄金列伝!』(後4:25 ※関西ローカル)にゲスト出演。貧しかった幼少時代から、スカルノ大統領との出会い、現在の芸能界での活躍まで、大波乱の人生を振り返る。
番組おなじみの「幸せ・不幸せ度グラフ」とともにデヴィ夫人が過去を明かし、番組レギュラーの月亭八方、陣内智則、月亭方正とトークを繰り広げる。
デヴィ夫人は、東京・麻布の大工の家に生まれ育ったが、裕福ではなく、定時制高校に通いながら保険会社で働き、土日には喫茶店でアルバイトをして家計を支えた。貧困生活を脱却するために、17歳で赤坂の超高級クラブで働くようになり、大卒者の月給が約1万円の時代に一晩で同額稼いだという。そして19歳の時、インドネシア建国の父・スカルノ大統領に偶然見初められた。
3ヶ月の文通を経てインドネシアへ移住し、正式に大統領の第3夫人となったが、幸せもつかの間、日本に残していた母と弟を相次いで亡くす経験をし、その壮絶な状況をデヴィ夫人自身が語る。また番組では、その当時、読売テレビがインドネシアで取材した夫人のVTRを発見し、貴重な映像が公開される。
1965年に軍事クーデターでスカルノ大統領が失脚し、身ごもっていたデヴィ夫人は日本へ帰国。出産後はフランスに亡命し、育児と並行しつつ社交界で活躍し、アラン・ドロンやリンゴ・スターらと交遊。一方、30歳の時にスカルノ大統領が死去し、またしても悲しみのどん底へ突き落され、当時の様子を娘・カリナさんが振り返る。
その後、50代で発表した写真集が話題となり、世界的セレブとして日本のバラエティー番組に出演するように。テレビ出演を後押しした友人・美川憲一が、VTRでその裏側と秘蔵エピソードを語る。さらに、現在でも『世界の果てまでイッテQ』などで芸人ばりのロケに挑んでいるデヴィ夫人について、出川哲朗がそのプロ意識の高さを証言。
「81歳であのロケは大変じゃないですか?」と心配する陣内に対し、デヴィ夫人は「いまや人生100年時代。私は108歳まで生きるつもりで何事にもチャレンジします!」と堂々宣言する。
番組おなじみの「幸せ・不幸せ度グラフ」とともにデヴィ夫人が過去を明かし、番組レギュラーの月亭八方、陣内智則、月亭方正とトークを繰り広げる。
デヴィ夫人は、東京・麻布の大工の家に生まれ育ったが、裕福ではなく、定時制高校に通いながら保険会社で働き、土日には喫茶店でアルバイトをして家計を支えた。貧困生活を脱却するために、17歳で赤坂の超高級クラブで働くようになり、大卒者の月給が約1万円の時代に一晩で同額稼いだという。そして19歳の時、インドネシア建国の父・スカルノ大統領に偶然見初められた。
1965年に軍事クーデターでスカルノ大統領が失脚し、身ごもっていたデヴィ夫人は日本へ帰国。出産後はフランスに亡命し、育児と並行しつつ社交界で活躍し、アラン・ドロンやリンゴ・スターらと交遊。一方、30歳の時にスカルノ大統領が死去し、またしても悲しみのどん底へ突き落され、当時の様子を娘・カリナさんが振り返る。
その後、50代で発表した写真集が話題となり、世界的セレブとして日本のバラエティー番組に出演するように。テレビ出演を後押しした友人・美川憲一が、VTRでその裏側と秘蔵エピソードを語る。さらに、現在でも『世界の果てまでイッテQ』などで芸人ばりのロケに挑んでいるデヴィ夫人について、出川哲朗がそのプロ意識の高さを証言。
「81歳であのロケは大変じゃないですか?」と心配する陣内に対し、デヴィ夫人は「いまや人生100年時代。私は108歳まで生きるつもりで何事にもチャレンジします!」と堂々宣言する。
2022/01/18