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阪神・淡路大震災を忘れない 当時9歳だったMBSアナウンサーが語る“リアル”な記憶

 MBSテレビの大吉洋平アナウンサー(36)が、阪神・淡路大震災から27年となる17日放送の『よんチャンTV』(月〜金 後3:40 ※関西ローカル)で、母校・神戸市須磨区の松尾小学校を訪れ、“語り部”となって自身の被災経験を児童たちに伝える。
 
 大吉アナは9歳で震災を経験したが、同地域はいわゆる被災地として取り上げられる場所ではなかった。そのため、現在の同校教師は当時何が起きたかを知らない。写真や資料も残っておらず、教頭でさえ当時高校生という世代になった。もちろん、児童は震災そのものを経験していない。

17日放送『よんチャンTV』で母校を訪れる大吉洋平アナ(右)(C)MBS

17日放送『よんチャンTV』で母校を訪れる大吉洋平アナ(右)(C)MBS

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 こういった現場は無数にあり、個人的なエピソードを胸に秘めたまま27年を過ごした被災者がほとんどなのが事実だ。「甚大な被災現場ではないものの、そこには確実に震災は起きていた」。あの時の記憶が年々薄れる中、大吉アナが今だからこそ伝えたい“リアルな震災の話”を同校の全児童に語りかける。

■大吉洋平アナウンサー コメント全文
地震の後、小学校も水は出ず蛇口から褐色のさび付いた水が流れていたことをよく覚えています。校庭は給水所になって、自衛隊の車が並んでいた。とても寒い中、みんなで水をもらいにいったのですが 、誰も地震を意識していなかったので、水汲みのためのポリタンクなんか持っていませんでした。

そのため、プラスチックの衣装ケースから衣装を取り出して水を貯めるため持ってきた人や、鍋に水を汲んで何往復もした人もいました。私もきょうだい3人で何往復もしました。わたしの親が神戸市 の小学校の 教師で、その学校が避難所になったため、親はそこに行きっぱなしで、わたしは近所のおばちゃんにみてもらっていました。

また、近所の友だちの家で過ごすことも多かったのですが、あるときNHKが読み上げていた死者の中に、近所の、自分たちが通った保育園の先生の名前が聞こえました。見ていた全員が絶句しました。そのときの空気をとてもよく覚えています。そういう身近な人が亡くなる、ということが突然目の前に突き付けられました。

小学校が再開し、とてもよく覚えているエピソードがあります。先生が一人一人点呼していくのですが、目が真っ赤になっていました。たぶん「生きていてよかった」と思いながら、一人ずつゆっくり名前を呼んで、声をかけながら、点呼をすすめていたのだと思います。

さらに時が経って、灘区や東灘区、長田など被害の大きかった地域から引っ越してきた児童たちが多くいました。そういう子たちにどのように声をかけるか、子どもながらに気をつかっていました。しばらくして、引っ越してきた児童の一人が作文を発表し、家が燃えて失ったことなどを泣きながら話していたときの教室の様子をとてもよく覚えています。

将来、必ず大きな地震が来ると言われています。水のことだったり、家族との連絡 方法 だったり、もしもの時に近所の誰に頼れるのだろうとか、小学生ながらに、想像して考えてみてほしいと思います。

私の神戸の知人などの中には「地震のことは話したくない」と言っている人もいます。今回、偶然ですが母校で、自らの言葉で伝える機会をいただいて、とてもありがたいです。風化させないような波を毎年作っていきたいと思います。

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