撮影監督の前田米造(まえだ・よねぞう)さんが、7月6日午前8時45分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため都内病院で死去した。85歳。葬儀・告別式は、故人の遺志により、近親者にて執り行われた。
前田さんは、1935年10月23日東京生まれ。1954年撮影助手として日活撮影所に入社。1972年『たそがれの情事』(西村昭五郎監督)でカメラマンとしてデビューし、『赫い髪の女』『キャバレー日記』などロマンポルノの名作を手掛けた。
1982年にフリーとなって以降、さまざまな監督とコンビを組み、とくに森田芳光、伊丹十三作品を数多く担当した。1986年『それから』(森田芳光監督)で毎日映画コンクール撮影賞および日本アカデミー賞最優秀撮影賞を受賞。
1991年には『天と地と』(角川春樹監督)で同じく日本アカデミー賞優秀撮影賞を受賞した。また、2007年には芸術文化に対する多大なる貢献を讃えられ、旭日小綬章を受章したほか、2021 年には永年にわたる多大な貢献と顕著な実績を讃えられ、日本アカデミー賞会長功労賞が贈られた。
日活は書面を通じて「生前の偉大なご功績に深い感謝の意と尊敬の念をもって、謹んで哀悼の意を表します」とコメントしている。
前田さんは、1935年10月23日東京生まれ。1954年撮影助手として日活撮影所に入社。1972年『たそがれの情事』(西村昭五郎監督)でカメラマンとしてデビューし、『赫い髪の女』『キャバレー日記』などロマンポルノの名作を手掛けた。
1982年にフリーとなって以降、さまざまな監督とコンビを組み、とくに森田芳光、伊丹十三作品を数多く担当した。1986年『それから』(森田芳光監督)で毎日映画コンクール撮影賞および日本アカデミー賞最優秀撮影賞を受賞。
1991年には『天と地と』(角川春樹監督)で同じく日本アカデミー賞優秀撮影賞を受賞した。また、2007年には芸術文化に対する多大なる貢献を讃えられ、旭日小綬章を受章したほか、2021 年には永年にわたる多大な貢献と顕著な実績を讃えられ、日本アカデミー賞会長功労賞が贈られた。
日活は書面を通じて「生前の偉大なご功績に深い感謝の意と尊敬の念をもって、謹んで哀悼の意を表します」とコメントしている。
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2021/07/13