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YOASOBI、楽曲原作の橋爪駿輝と対談 音楽の原点と極貧時代を明かす「泥水をすするような」

 コンポーザーのAyase、ボーカルのikuraからなる“小説を音楽・映像にするユニット”YOASOBIが、きょう17日より配信を開始した電子書籍の総合文芸誌『yom yom vol.63』(新潮社)で、小説家・橋爪駿輝氏と対談を実施。今年5月にリリースした楽曲「ハルジオン」が、橋爪氏の短編小説『それでも、ハッピーエンド』から生まれたが、今回平成生まれの3人が鼎談を行った。

YOASOBIが、電子書籍の総合文芸誌『yom yom vol.63』(新潮社)で橋爪駿輝氏と対談

YOASOBIが、電子書籍の総合文芸誌『yom yom vol.63』(新潮社)で橋爪駿輝氏と対談

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 橋爪氏から結成の経緯について向けられると、Ayaseが「最初は僕のところにmonogatary.comのスタッフさんから連絡があったんです。小説を音楽にするっていう企画があるんですけど曲作りませんかって。そこからボーカリストを探して、ikuraをインスタグラムで見つけて。あいみょんさんだったかな。カバーした動画が上がっているのを見て、オファーしました」と告白。「いい意味で『いそうでいなかった声』だなとすごく思っていて、聞きなじみがあるんだけど、幾田りら(ikuraのソロ活動時のアーティスト名)でしかない。スッと入りやすいけれど、ハマる声」と語った。

 ユニットにおける小説の位置づけについて、ikuraは「自分がシンガーソングライターとして活動している時は、自分がストーリーを作って自分で曲を書いて歌ってるんですけど、YOASOBIの時は原作者さんがいて曲を作るAyaseさんがいて、私がいる。イメージとしては小説が骨でAyaseさんがそれに肉付けをして、自分は皮膚、と思っています。最後のコーディネイトというか」と説明。「YOASOBIの活動は、セッションをやる時の感覚に似ています。いろんな人のいろんなエッセンスが入っていいものが出来上がったりする感じ。三者で作り上げることに、ソロとの違いがありますね」と明かした。

 音楽活動の原点については、Ayaseが「小学校1年生ぐらいからずっとピアノをやっていて、コンクールとかも出て1日10時間練習するほどガチで。漠然と自分はピアニストになるんだろうなあと思っていたんですけど、大昔の人が作った名曲をその人の意図を汲み取ってどれだけカッコよく弾けるかってことを競うのが楽しくもあったんですけど、途中から自分は音楽を弾く側じゃなくて創り手になりたいんだな、かつ演者でもありたい、と思ってバンドを始めたのがきっかけです」と回顧。

 ikuraは「物心ついた時からずっと歌が好きで、父が弾き語りをしていたり、割と音楽に溢れた家庭で、将来は歌手になりたいと思ってました。小学校4〜5年生くらいの時に、父が母の日に自分で作詞作曲した歌を母にプレゼントしているのを見て、わっ、私も自分で作詞作曲する人になりたいと思って。で、中学2年生くらいからオーディションを受けて、3年生で本格的にライブ活動を始めました」と打ち明けた。

 橋爪氏が「お会いしてみると、2人ともアーティストなのに、意外と質素な感じがします」との感想を口にすると、Ayaseは「僕は質素どころか、10年くらい極貧だったので。今日食う金もない、ガスも電気も止まってる、みたいなバンドマン生活で。割と半年前くらいまで。中学卒業してから、バンド始めて10年くらいそんな感じでした」とコメント。「泥水をすするような生活でした。お酒に強くなったのも、バンドマン同士の過酷な飲み会による、けがの功名みたいなところもありますし。橋爪さんの新作の『さよならですべて歌える』は、バンドマンの話じゃないですか。読んでリンクすることが多すぎて、当時の僕みたいな要素がたくさんあったんで」と口にしていた。

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