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岡村隆史の“芸の原点”に触れた1週間 相方・矢部浩之と“新しいラジオ”作る決意

 ナインティナイン岡村隆史(49)にとって、自身の芸の原点に触れる1週間となった。新型コロナウイルスによる肺炎のため、3月29日に亡くなった志村けんさん(享年70)との共演映像、とんねるず・石橋貴明(58)との対談などが、相次いで放映された。各番組での岡村の言動や表情を通して、その原点をたどってみる。

ナインティナイン(C)ORICON NewS inc.

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■ナイナイのコンセプトは“西のとんねるず” 『めちゃイケ』時代は「とにかく必死で」

 まずは、19日深夜放送のフジテレビ系バラエティー番組『石橋、薪を焚べる』(毎週火曜 深0:25)。かつて、自身のラジオ番組『岡村隆史のオールナイトニッポン(ANN)』(ニッポン放送 毎週木曜 深1:00)で、石橋をゲストに迎えた際に「僕ら『西のとんねるず』目指そうと相方と言っていましたから。恥ずかしいけど。僕らのコンセプトです。お互いサッカー部ですけど」と語っていた。この日の放送でも、岡村は「全国にバッと出たのって『ねるとん』の芸能人大会ですからね。あの日で変わった」とかみしめるように振り返った。

 タイトル通り「薪を焚べ」ながら2人でゆったりとトークが展開されていく中、石橋から「売れたとか、視聴率取ったとか、やったーっていうのはないの? 『めちゃイケ』とか?」と向けられた岡村。かつてはドリフとひょうきん族がしのぎを削った土曜の夜8時という、芸人にとって憧れの時間帯で番組を続けてきたからこその言葉が飛び出した。「その時に貴明さんも『すごい。真面目にお笑い番組やっていたらこうやって結果は出るんだな』と言ってくれはって。確かになかなか30%取るっていうのはあれでしたけど。『めちゃイケ』に関しては、とにかく必死でやっていました」。

 岡村は『めちゃイケ』時代、自身もピリピリしていたため、人付き合いが疎かになっていた部分があったと反省を口にしながら、当時の番組作りとして「僕らは学校みたいな感じでしたから。片岡飛鳥さんがいて、そこで学んでいくしかなかった」と回顧。真面目に、ストイックに自分と向き合い続けた岡村だったが、2010年に、約5ヶ月間にわたって休養する。『薪を焚べる』では、当時の様子をゆっくりと振り返っていった。

 「あの時は映画をやらせてもらって、自分がなんにもできてないと思って、そうならないためにも舞台をやろうと思って、計画して。でも、台本とか直しているうちに寝られなくなって、そこから一気に気持ちが下がってしまって…。半年くらい休むってなった時に(石橋から)『また、やりたくなったらやったらいいし、ゆっくり休みなさい』って言われたんです。休むことで気持ちが戻ってきたというか。もう一度ちゃんとこのお仕事やりたいなと思い出した」

 休養を経て、自身の心境にも変化が訪れたといい「自分のできること、できないことがわかってきましたし、全部背負うとしんどくなるって。あれがなかったら、ホンマに普通に今もずっとピリピリしたままやったかもしれないですね」と告白。憧れである石橋から、自身の気持ちを引き出される形で「人間っぽくなったかもしれないです。抜くところを抜く。頼る時は頼る」と語っていた。

■ラジオで見せた志村さん愛 コント映像きっかけに生まれた“新たな縁”

 それからさかのぼること約1週間。14日の日本テレビ系バラエティー『ぐるぐるナインティナイン』2時間SPでは、過去の名場面として志村さんが出演した『ゴチ』の映像が放送された。値段を当てる時の言い方で笑わせ合う様子や、変なおじさんのポーズを披露した姿、9年前に「2代目志村けんは岡村だ」と話題になった際の様子もオンエアされると、ワイプで見守っていた岡村は感慨深い表情を浮かべた。志村さんの訃報が伝えられた直後に放送された『岡村ANN』では、番組の半分以上にあたる約1時間20分にわたって笑いを交えながら別れを惜しんだが、自身の芸風についてこう表現した。

 「僕がこの世界に入って30年くらいになりますけど、バラエティーでやる動きであったり表情であったりは、ほぼほぼ志村さんのコピー、パクリに近い。それでご飯を食べさせてもらっている。ドリフをどっぷり見て、勝手に体の中に染みついていて、どこかで自分が面白いことをしよう、学校で人気者になろうと思った時にドリフで人気者になるっていう感じだった」

 さまざまな媒体で志村さん愛をにじませてきた岡村だが、それがラジオならではの展開に発展したことも。2012年5月放送の『ナイナイANN』では、志村さんの過去映像を見ていたところ、ちあきなおみが「夜へ急ぐ人」を情念たっぷり歌う様子を口パクで再現したものにたどり着いたと報告。そこから、ちあきが歌う映像を視聴したところ「魂で歌ってはる」と衝撃を覚えた岡村は、楽曲を制作した友川カズキのことを検索。そこで「生きてるって言ってみろ」という曲での“魂の歌唱”に触れて感激し、翌6月には友川をゲストに迎えた。

 ゲスト回までに、友川を敬愛する山口智充をゲストに呼ぶなどして、リスナーとも勉強を深めていった結果、コーナーを通して、友川の飾らない人柄と歌の魅力が伝わる放送となった。友川との交流は続き、2014年に矢部がANNを卒業し、岡村がひとりで始めた『岡村ANN』の1周年を記念して、2015年に行われた歌謡祭にも友川が出演するなど、リスナーにとってもなじみの深い存在となった。

■人生の半分以上を捧げた『ANN』 2人体制のスタートで静かに宣言「変わっていかないといけない」

 直接の思い出はもちろん、コントをきっかけにして新たな“つながり”も生まれるなど、志村さんは岡村に多大な影響を与えてきた。それゆえに、『ぐるナイ』SPで志村さんの映像を見つめる岡村の姿からは、さまざまな思いが伝わってきたが、その直後に放送されたラジオ『岡村ANN』では、ある発表が行われた。先月23日放送の同番組内での“風俗発言”で「女性蔑視」「性的搾取」などの批判が集まり、岡村は2週にわたって番組で謝罪。相方の矢部浩之(48)も2週続けて登場し、相方に対して公開説教を行ったことも話題となった。

 こうした中で迎えた、この日の『ANN』冒頭、岡村はこれまでラジオスタッフと秘密裏に行われてきた話し合いの内容を説明しながら、相方の矢部に再び『ANN』に加わってもらおうという決断にいたったと告白。直接電話で思いを伝えたところ、矢部からも快諾されたと明かし「ニッポン放送のみなさん、営業担当の方、ネット局の方々、みなさんすごく動いてくださって、調整してくれはりました。それで、改めて、2人で再スタートさせていただくことになりました。そのスタートの日なんですが、5月14日、つまりは、今日ということです。本当にありがとうございます」と関係者に改めて感謝。2人そろって、5年半ぶりとなる冒頭の怒鳴りは「OK!」で番組が幕開けした。

 再出発をするにあたって、番組の核となるネタ投稿のコーナーも大きく変更した。新しく始まった「ダァ…」や、18年続いてきた「セルゲイブブカ」、四半世紀続いてきた「僕の点取り占い」を終了。世界一の鼻を持つという矢部を褒めまくる「鼻王・矢部浩之」、カラオケ企画「リスナーVS桑田ヤベスケ!歌ウマ決定戦!」、リスナーから寄せられた選択肢に2人で答える「せーーーの!」を立ち上げると発表し、「新しいラジオに変わっていくため」の一環として、はがきのみでなく、メールでのネタ投稿も受け付けると明かされた。

 発言があって以降、矢部、番組関係者などとの話し合いを続け、考えに考え抜いた末に今回の結論にいたった。岡村にとっては自身の人生の半分以上をかけた大事な番組である『ANN』。これまでの放送を聞いていると、ただ単に「再び相方を迎えて、コンビでのラジオが復活、コーナーも刷新して再出発をする」という意味だけでなく、今回を機に2人で向き合っていきながら「変わっていく」という決意を示したと言えるだろう。2人の年齢を合わせると「99」になる今年、この1週間で改めて自身の原点に触れた岡村が、相方の矢部とともに、どのようにして“新しいラジオ”を作っていくのか注目したい。

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