お笑いコンビ・Wヤングの平川幸男(ひらかわゆきお 本名:平川幸朗/ひらかわこうろ)さんが、11月11日に治療を受けていた大阪市内の病院で亡くなった。78歳だった。所属事務所が12日発表した。
平川さんは、1941年10月5日兵庫県神戸市生まれ。1958年より舞台に立ち始め、1961年に西川ヒノデに弟子入り。1964年に初代Wヤングを結成以来、演芸ブームを牽引し、1975年、1978年には上方漫才大賞を受賞。1984年、佐藤武志と再び、Wヤングを結成。舞台上を走り回る体当たりの漫才で人気を博し、今日まで長きに亘り、第一線にて活動してきた。
相方の佐藤は書面を通じて「僕にとっては相方でありながら、師匠でもあり家族のような存在でもありました。コンビとしては今後迎える喜寿・米寿・卒寿などの長寿祝い年で、なんばグランド花月ででっかいイベントをやって悔いなく引退できればいいなと話していました」。
「あと10年はやれると思っていました。それくらい元気でパワフルな男でした。その夢が叶わず無念で心寂しい思いです。師匠、ゆっくり先に休んでいてください。35年間本当にありがとうございました」とコメントを寄せた。
なお、通夜、告別式は家族葬にて執り行われ、所属事務所は「ご遺族、ご関係者さま、斎場等での取材はご遠慮いただきますようお願いいたします」と呼びかけている。
平川さんは、1941年10月5日兵庫県神戸市生まれ。1958年より舞台に立ち始め、1961年に西川ヒノデに弟子入り。1964年に初代Wヤングを結成以来、演芸ブームを牽引し、1975年、1978年には上方漫才大賞を受賞。1984年、佐藤武志と再び、Wヤングを結成。舞台上を走り回る体当たりの漫才で人気を博し、今日まで長きに亘り、第一線にて活動してきた。
相方の佐藤は書面を通じて「僕にとっては相方でありながら、師匠でもあり家族のような存在でもありました。コンビとしては今後迎える喜寿・米寿・卒寿などの長寿祝い年で、なんばグランド花月ででっかいイベントをやって悔いなく引退できればいいなと話していました」。
「あと10年はやれると思っていました。それくらい元気でパワフルな男でした。その夢が叶わず無念で心寂しい思いです。師匠、ゆっくり先に休んでいてください。35年間本当にありがとうございました」とコメントを寄せた。
なお、通夜、告別式は家族葬にて執り行われ、所属事務所は「ご遺族、ご関係者さま、斎場等での取材はご遠慮いただきますようお願いいたします」と呼びかけている。
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2019/11/12